中島愛「30 pieces of love」「8 pieces of love」 PR

中島愛|30の愛を込めて

今年デビュー10周年を迎えた中島愛が、初のベストアルバム「30 pieces of love」をリリースする。発売日となる6月5日は、彼女の30歳の誕生日。10周年、そして30代突入という大きな節目を飾るベストアルバムには「30 pieces of love」のタイトルが表す通り、合計30曲のさまざまな“愛”の形が詰め込まれている。

音楽ナタリー過去7回の特集で、たびたびデビュー当時の思い出などを語ってくれたまめぐ。今回は30歳の誕生日を目前に、幼少期から現在に至るまでを振り返ってもらった。

取材・文 / 臼杵成晃 撮影 / 堀内彩香

エンドレス「アイアイ」リサイタル

──20代もあと数日で終わってしまいますが、どんなお気持ちですか?

中島愛

同級生に会うと「焦る」ってワードがよく出てくるんですけど、私は周りに歳上の女性が多いこともあってか、特に焦るという気持ちはなくて。残り1カ月を切ったあたりから、いっそひと思いに早く30歳にならせてくださいという感じで(笑)。カウントダウンが嫌なんですよ。やり残したこともそこまでないから、早く30代になりたいなという気持ちで過ごしてます。

──中島さんの場合は、そんな人生の節目がデビュー10周年のタイミングと重なっていることもあり、より節目について考えたり聞かれたりすることも多かったでしょうし。

そうなんですよ。1年以上前から、このベストアルバムを出すことを含めてずっと考え続けてきたので、30歳になることでその流れから解き放たれるようなすがすがしさもあって(笑)。

──ナタリーでも節目節目でお話を聞いてきましたし、デビュー10周年については前回いろいろとお聞きしたので(参照:中島愛「ラブリー・タイム・トラベル」インタビュー)、ここはあえて、30年間の道のりをまるまる振り返っていただきたいなと。覚えていることや両親に伝え聞いたことなど、子供の頃のことを教えてください。

1歳ちょっとの頃に撮られた自分のビデオを観たことがあるんですけど、延々と「アイアイ」リサイタルを開催していました。テーブルの上に乗って童謡の「アイアイ」をエンドレスリピートで歌い続けているという。その頃からそういう人だったんだなって思いました(笑)。親に会うたびに言われるんですよ。「延々と歌を聴かされてた」って。ちょっとしゃべれるようになって、立ち始めた頃からそうだったと聞きました。

──なんでそういう子になったのか、自分で思い当たる節はありますか?

生まれたのは茨城の本当に田舎の町で、田んぼと畑と山と……みたいな環境だったんです。隣の家同士も離れていたから、大きな音を出しても大丈夫だったんですね。父はアマチュアでドラムを叩いていたので、家にはドラム室のようなものがありまして。家にいるときはいつも、父がドラムを叩いているかギターを弾いてるか歌っているか、みたいな感じだったので、考える間もなく音楽に興味を持っていました。

──音楽以外のところで何か覚えていることはありますか?

だいぶやんちゃで、よくケガをしていました。すり傷なんかじゃなく、口の中が切れて血まみれとか(笑)。

──近所の子とは仲良くできる、社交的なタイプ?

いや……すごく覚えているのが、お母さんに「仲良くやっていけない」って泣きながら相談したことで(笑)。4歳ぐらいの頃かな? うまく人間関係が構築できないことに悩んで訴えかけている場面が記憶に残っています。仲良く遊んではいるんですけど、相手の出方が予想外だったときに臨機応変に対応できるタイプじゃなかったみたいで、そこからちょっとずつ1人で遊ぶことを覚えていくんです。1人で音楽を聴いたりする楽しさをのちに発見するんですけど、今思えばあの日が分岐点でした(笑)。

男子と腕相撲ができなくなって

──そんな時期の、いわゆる「将来の夢」はなんだったんですか? 歌手になりたいとか、ケーキ屋さんになりたいだとか。

中島愛
中島愛

歌手になりたいとは思っていなかったですね。歌うことが特別だとは思っていなくて、「暇だからおしゃべりしよう」みたいな感覚で歌っていたんだと思います。

──よくある「セーラームーンになりたい」みたいなこともなく?

はい。1つあったのは、ちょっと好きな男の子が「僕はパン屋さんになる」と言っていたので、「じゃあ私はそれを売る」って。

──パン屋の従業員(笑)。

「パン屋になるの? じゃあそのパン売ってあげる!」みたいな。その男の子が誰だったかも思い出せないですけど(笑)。ジャングルジムの上で叫んでたのを覚えてます。特別何かになりたいというのはなく、ぼんやりしてました。

──小学校に上がってからはどんな感じでしたか?

5年生を境にガラッと性格が変わるんですけど、それまでは幼稚園の延長線上で。基本的には外で遊ぶのが好きな子供でした。それが変わったのは……私、なぜか腕相撲に勝つことに非常に重きを置いていた時期があって。

──えっ?

教室で腕相撲をして戦うのが好きで、それは女子だけじゃなく男子も一緒だから、勝ちたい一心で一生懸命腕立て伏せをしていたんです。でもある時期を境に、女子と男子が一緒に遊ぶのはちょっと……みたいな雰囲気になりますよね。それが私はすごくショックで。「みんな仲間なのに、なんで急に溝ができた?」って理解できなかったんです。「子供でいられなくなった」と自覚してから、急に性格が陰に入っちゃって。

──男子と腕相撲ができなくなったことが原因で。腕相撲って、言ってみれば手をつなぐ行為ですからね。

そうなんですよ。そういう意識の芽生えが周囲にできてきたり、単純に勝てなくなったりだとか……その頃から区切りや節目に敏感になったんですよ(笑)。人には変わらざるを得ない時期がある、と知ったことにショックを受けたんです。

──その節目を迎えた頃、歌への興味はどうなっていました?

歌うのはずっと好きでしたけど、1人の世界に入り込むようになったことで、今につながる歌謡曲にめちゃめちゃハマっていきました。歌うとストレスが発散できるので、母親によくカラオケに連れていってもらっていたんです。ずっと私が歌って母は聴いてるだけなんですけど、たまに「疲れたからお母さんも歌ってよ」とマイクを渡すと、松田聖子さんとか歌謡曲の歌を聴かせてくれて。

──歌謡曲にハマったきっかけは母親の歌声。

ルーツは完全にそうですね。リアルタイムのヒット曲も追っていたので、自分の中に2つの道ができたみたいな。

──そこが中学生あたりでどんどんディープになっていくわけですね。

はい。中学生活は……決して戻りたくはない時期ですね(笑)。人とうまく接することも、それをしようとも思っていなかった。友達はいたんですけど、こっちが心を閉ざしているから、あまり世界も広がっていかなくて。そういう自分から抜け出したい、という気持ちから芸能事務所に履歴書を送ることになったので、今となってはよかったのか悪かったのか(笑)。