音楽ナタリー Power Push - 宮沢和史
「音楽」を経て見つめる未来
音楽を作ることは続けていく
──そのために、歌ではない新しい手段を取られたと。とはいえ、人は宮沢さんにやはり「音楽」を求めてしまうと思うんですが。
音楽をやめるわけではないし、自分で歌う以外のことはなんでもやりますよ。ほかの方に曲を書くとか。石川さゆりさんへの提供曲で、「MUSICK」でもセルフカバーした「さがり花」のように、自分の作家活動の1つの到達点のような曲も書けるようになったし、「自分が歌いたい」と思うくらいのものを提供したいです。
──「シンガーとしての自分」と「作家としての自分」に、意識の上で明確に線を引いている部分はあるんですか?
「これは自分が歌うだろうな」という歌は、作ったときにわかるんです。ただ、自分自身が歌い切れないものも意識的に作っていくようなことは増えると思います。例えば石川さゆりさんに歌えないものはないだろうし、野暮になるからいちいち説明はしませんが、1つの歌にもさまざまな思いを込めているわけで。「さがり花」はまさにその象徴なんですが、そんなふうに思いを“託す”相手がいて、その人がとても素晴らしく歌ってくれると「ああ、伝わったな」と思うし、自分自身がそこに込めた思いに縛られて、足取りが重くなってしまうこともなくなるのだろうなと。
──ほかの方に託すことによって、歌に込めた思いやメッセージそのものも属人性を離れて軽やかになるというか、自由になる部分があるんでしょうね。
そうですね。あとは当然それが売れてくれたり、歌う方が大事に思ってくれたり、いつもコンサートで歌ってくれたらなおいいなと思います。
──しかし、これまで人前で歌うことを前提に歌を作ってきて、「自分が歌う」というチャンネルが一切なくなるというのは、不思議な気持ちだったりしませんか?
ただ、それはちょっとわからないなと思っていて。ステージで歌わないだけで、自分で歌って録音するということはあるかもしれません。
──いずれにせよ、広く発表するようなものではないと。
もともと僕には誰にも嫌われない音楽を作ることはできませんからね。「こう作れば口当たりよく、万人に好かれるだろうな」という思考はない。どうしてもスパイシーになるし、誰も食べたことのない味付けをしてしまう……まあ“毒”が入るんですね。だから60%くらいの人に嫌われたりもするんですけど、一方で5%の人は病的に好きになってくれたりする。その“熱度”を感じて初めて「あ、伝わった」と思うタイプなので。満遍なく愛される音楽を作れる人は素晴らしいなと思うんですが、自分にとってそれはロックではないし、どんどん「わかりやすいもの」が選ばれていく時代に、不特定多数に向かって自ら発信するという道は現時点では選ばないでしょうね。
悠長なことは言ってられないんです
──宮沢さんはこれまで、物事をわかりやすくするために、もっと言うならばマスに売れるような強いものにするために捨象されがちな「行間」とか、語られはしなかった思いだとか、そうしたものを大事にしてこられたと思うんです。これからそれを歌ではなく言葉で人に伝えようとするならば、どんなポイントを意識するんでしょうか?
そうですね……言葉にするなら、「これまで連綿とこの世界に伝わってきたものを、自分の短い人生の中で断ってしまわないような」ということでしょうか。沖縄民謡に限らずでしょうけど、この世に伝わっている文化には、単純に連続してはいないように見えても、それこそ何百年単位で育まれてきた文脈があるんです。文脈というと堅苦しいですが、今の自分がしているのと同じように、何百年か前にどこかで誰かが生き、笑って、泣いて、愛してきた。それを、たった数十年しかない自分の代において、ノリとかトレンドとか、そういうことで断ってしまってはいけない。世界を継続させていかなければならないんだと思います。そういう意識でないと、自分たちにとっての「善」も、いつか政治やメディアや経済の大きな、しかし短期的な力にひっくり返されてしまうかもしれない。若い人が希望を抱きにくかったり生きにくかったりするのは、上の世代が「自分の生きてる間だけよければいい」と考えてきたせいでもあると思っています。本来下の世代に生き様を見せていかなければならない人が、どんどん矮小化している。沖縄の話に戻ると、沖縄もまた、その固有の文化や伝統を「本土並み」というような言葉のもとに経済と引き換えにしてしまったこともある。だけど沖縄には宝物がたくさんあるし、音楽や芸能の伝統を守る人たちは、ベテランから若手まですごく意識の高い人が多い。これからそういう人たちと一緒に戦っていくのがすごく楽しみだし、やりがいも感じています。
──これまでとはまた違った形で音楽と関わるというわけですね。
音楽を愛するということは別にマイクを握ることだけではないし、これまでの道が途切れたわけでもなんでもない。ただ、それを自分が歌うという形に限るのは、正直「呼吸が苦しいな」という感じになってきただけのことです。「ああ、宮沢、引退しちゃったんだね」と思っている人も多いと思いますが、僕がこれから誰もやったことのないことに挑戦する姿をみんなに見せられれば、それは音楽の歴史に残ることになるかもしれないし。
──なるほど。
あとに続く人たちにも、音楽家の生き方には「メジャーでレコードを出して……」というだけではない、さまざまな可能性があることを示すことができればいいと思っています。歌いたくなったら歌えばいいしね。
──自分の意識や活動、メッセージを「歌う」ということに押し込めないし、その可能性を否定するわけでもない。より意識は自由になったということなんでしょうか。
そうですね。「歌しかやっちゃいけない」とか「死んでも歌わない」というように、自分の可能性を決めきってしまわないことが大事なのだろうなと思います。ただ、僕はもう50歳ですから、悠長なことは言ってられないんです。未来の音楽の場をいい方向に持っていくためにするべきことの多さを考えると、録音してCDを出して、ヘアメイクしてメディアに出て……というような時間が、今はまだるっこしく感じるんです。
「長い時間軸」を大切にしてきた
──音楽の未来のため、後進のためという言葉を多く伺いますが、やはり今はそういう意識が強いんですね。
やっぱり、すごい音楽が聴きたいじゃないですか。先輩たちからはこれまでにいろいろな影響を受けたし、十分にすごいものを聴かせてもらったので。特にこの先は若い人の作る音楽にやられたいんですよ。音楽家単位では、MIYAVIとかKenKenのように「これはすごい!」という人はいるんですけど、総体としてはそういうものが少ない、もっと出てこなくちゃいけない、と思っていますから。
──その理由はなんだと思われますか?
やっぱり、業界の状況が悪くなったことも含めて、売る側もメディアも、みんなが短期的な結果を求めすぎているのかもしれませんね。なんだか一発芸的というか、インパクト勝負というか……。昔と比べると、じっくり腰を据えた制作も冒険もしづらいし。僕はそういう意味では恵まれていた時代にデビューできたんだなと思うんですが、その中で学んできたこと、見てきたものを自分でため込むのではなく、それが少しでも使えるものであるならば、これからの活動の中で次の世代に還元できるといいと思います。自分も改めて勉強できるしね。
──これまでの活動で得た最大の学びを挙げるとすると、何になるんでしょうか。
先ほどの話と少しかぶるんですが、自分の生きている時間よりもずっと長いスパンで物事を考えるということですね。今生きている人が自分の生を消費することしか考えていないと、未来はどんどん先細っていく。しかし「>」の形に先細るはずのものを、自分が何かすることで0.1mmでも動かしていければ、それはいずれ平行な「=」の形になるかもしれないし、100年後には「<」にさえなるかもしれない。それを信じていたい。「日本も世界も沖縄もきっと100年後、楽しいぞ。たぶん俺はいないけど」って、言っていたいんですよ。その長い視点がなければ、社会はどんどんおかしなことになる。
──宮沢さんの音楽は、パーソナルな感情やエピソードを歌っているように見えても、実は人の一生をはるかに超えた、普遍的で長い時間軸を感じさせるものが多いですしね。
そうですね。でもそれは「いろいろ勉強した結果、歴史を大事にしようと思う」というような重々しいものじゃない。100年と少し前、日本では貧しくて生きていけない人たちが新天地を信じてブラジルに渡り、そして今の日系社会を作り上げたわけですが、僕はその最初の移民の1人だった中川トミさん(2007年逝去)にブラジルで会ってるんですよ。「移民史」というとすごく壮大な、自分とは切り離された歴史のように思いがちですが、実はそのトミさん……つまり少し前まで普通に生きていたおばあさんの一生の中のことでしかないという側面もあるんですよね。全然遠くない。「歴史上の出来事」も、自分が接している相手の一生のうちに起こったことなんですよ。だから、200年前も100年後も、すべて今の自分が見て体感していることとつながっている。そういうことを僕は伝えてきたし、これからも伝えていきたいんです。
──歌うことをやめるという決断に際しては、そういう時間軸を見つめる宮沢さんの視点と、逆にどんどん短期的になっていく今のメディアや音楽業界のスピード感が乖離しているという意識も、とても大きかったんじゃないかと思うんですが。
それは大いにありますよ。さっき言ったような音楽業界の状況もそうだし。「今年は黄色が流行る!」と言われたって「興味ないよ」で済むけど、そういうものに無自覚になびく人が増えてきて、「あいつらを排斥しよう」「サンゴを埋め立てて商業施設を作ろう」と声の大きな人が言えば、容易にそちらになびく人も多くなる。言いすぎかもしれませんが、そうした非寛容や想像力の欠如が、これまでに数多の悲劇を生んできた。だから僕は、世の中を1つの色に塗りつぶすような言葉は決して吐かないようにしてきたつもりです。だけど、今は多くの人に向けて発信される言葉や情報が、そういうものになっているのかもしれませんね。
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宮沢和史(ミヤザワカズフミ)
1966年山梨県甲府市生まれのシンガーソングライター。THE BOOMのボーカリストとして1989年にデビューし、2014年に解散するまでに14枚のオリジナルアルバムをリリース。一方でソロ名義で5枚、GANGA ZUMBAとしてアルバムを2枚発表している。2015年12月には過去のナンバーや新曲、新録のセルフカバー曲などをパッケージしたベストアルバム「MUSICK」を発売し、2016年1月に歌手活動の休止を発表。同月に休止前最後となる全国ツアー「宮沢和史 コンサートツアー 2016『MUSICK』」を開催した。6月には同ツアーのファイナル公演の模様を収めた映像作品「Miyazawa Kazufumi Concert Tour 2016 MUSICK」をリリースしている。