millennium parade|時代を牽引する表現者たちの矜持

いい仕事した

──「Philip」は楽曲だけでなく映像も含めて、アブストラクトな要素の多い作品ですが、同時に社会と接続し、誰も置いてけぼりにしない表現にしていくというポイントはどういうところでしょうか。

山田遼志

常田 俺と集で言えば、この何年か一緒に作品を作り続けている中で、その都度反省点を共有することを大事にしていて。その作品が社会に対してどうアプローチしていくのかは各々が考えてることだし、だからこそ作品を作ったあとの反応を消化してつかみ取れる感覚があって。その感覚があるから、社会的な感覚から逸脱もできれば、中にも入れるバランス感覚を身に付けてこられた気がする。今回は、それを遼志さんというアーティストの作品に注入するっていうテーマもありましたね。

山田 僕個人で言うと、作品において暴力的な描写はある程度必要だと思っていて。それをどこまで見せるか。音にハメたら暴力的なものが暴力に見えなかったりするのもある。それがうまいこといったのが今回のMVで。暴力的なことや性描写って、タブーの象徴だと思うんです。単純に考えると、社会を持続するために必要なことってタブーを押さえ付けることなんですよ。だからこそ、普段抑え込まれているタブーを引き出すとゾクっとするし、人それぞれの内側にあるものに触れられる気がしていて。それは自分の中の1つのセオリーですよね。

佐々木集

──まさに。そしてタブーや毒が、突き抜けてしまえばポップなものになる場合もある。

常田 そうだね。

山田 それこそ今は特に、SNSの動きやアメリカのBlack Lives Matterだったり、香港のデモだったり、いろんなところで暴力的なことが露呈している。でも日本人は「こっちは関係ない」と思う人と、自分のこととして考えて動く人と両極端になってる。で、「関係ねえ」って無視するのも僕は暴力だと思っちゃうんですよ。でも、それは決して悪じゃなくて。そういう広い意味での暴力性があることを個々で認識していくこと……それがこのMVの役割なのかなと思いますね。

常田 いや、いい仕事したよね。

山田 うん、仕事したわあ(笑)。

佐々木 ……今って、簡単に暴力的な発言ができちゃう側面もあれば、それを正義の立場でバッサリと切れちゃう側面もあって。どちらにせよ暴力的な側面に巻き込まれてしまうわけで、それを見た人は自分の気持ちを溜め込む結果になる。で、その溜め込んだ気持ちを昇華してもらえるMVであればいいなとは思いますけどね。ただ、コロナ禍の中では特に、同時多発的にみんなが悲しい気持ちになってるじゃないですか。だから、暴力性をそのまま人間で表現したら少し危ういかなと思って。だからこそ別の生き物の物語に転換すれば、ポップなものにハマっていくんじゃないかっていうのは思いましたね。ポップな形で「裏を返せばこういうことなんじゃない?」と提示すること、新しい視点を提供することが大事な気がする。

──暴力を描くことはある種のポップさを生むけど、そこにあるのは実際に暴力を肯定するというよりも、自分がどう生きていくのかを考えさせる視点だっていうことですよね。

佐々木 そうですね。1人で社会の渦から逸脱して生きていくのは限界があることだとは思うんです。だからこそ、はみ出していった人たちを同調圧力で叩くようなことをしたくないし、すでにある社会の渦から抜け出す人の生き方を認めるべきだっていう主張ともちょっと違うし……遼志さんはどう思います?

山田 そうだなあ。同調圧力みたいな暴力が生まれてくる場所から離れることも大事ですけど、そことは違う渦を自分で作っていくことも大切だと思うんですよね。でも、新たな渦を作っても、たいていは同じになっちゃう事実もある。例えば保守でもリベラルでも、結局言ってることの本質は同じだし。じゃあ同じようになっちゃうなら何が大事かって、それをつなぐものだと思うんですよ。それが科学なのかもしれないし、芸術なのかもしれないし。対話しようとは思う。自分がよければそれでいい、というのは最大の悪かと。それには抗いたい。ただそれも暴力だけど。

常田 まあ、それが音楽の役割だなんだって考え出すと、また説明くさくなっちゃうなあと思うんですけどね。コンセプトとしてはいろんなことを考えるけど、音楽そのものには主義主張を持ち込まなくてもいいと思ってるんだけどね。所詮音楽なので。基本は快楽的でいいし、その奥に何かを感じ取ってくれたらいいなとは思う。

左から常田大希、佐々木集。

みんなが躍動してる様を見たいだけ

──ただ、常田さんがPERIMETRONやmillennium paradeで体現しているような、周囲の仲間を大事にして、それを表現にしていくことが真っ当で強い生き方になってきたと思うんですよね。頭ごなしに均一化、均質化されていく世の中だからこそ、1人ひとりを認めていく生き方がリアルだし、強いと思います。

常田 素直な感覚として信頼できる人間と共に作れば、強度のある表現になるはずという感覚で集まったから。俺らの在り方が時代的か、と言われたら確信はないんですけど……でも、そういう集団ならではの表現が強くなるのは間違いないと思う。

常田大希

山田 なんかさ、みんな「根っこなんてなくていい」っていうのを認められたらいいのにと思いますね。

佐々木 おお!

常田 パンチラインだな。

山田 今日話していて思ったことですけど。それこそ常田くんみたいに、仲間のつながりとか自分の表現とか、目の前にあるものをしっかりつかんでいるだけで別にいいのにと思いますね。それを実現しているのがmillennium paradeっていう場所のような気がする。

──そうですね。主義主張とかじゃない、そのまま存在するだけで受け入れ合える場所というか。

常田 そうっすね。何か突飛なことをやりたい、何か自分を表現できることを突き詰めたいという思いを持ったアーティストたちが、カッコいいと思うことを純粋にやれてる状況が貴重だし、それぞれが躍動している姿を見て俺は感動するんです。で、今回も個々が躍動してたからね。そういう場所を音楽を通じて作っていくのが俺の責任だと思うので。集も遼志さんもそうだけど、それぞれが突き詰めてる表現をそのままぶつけられる環境を整えること……それ自体が、俺が一番強いと思う表現に近付くことなんですよ。俺個人は、各々が活躍できる場所を作る人間でしかないと思ってる。もちろん俺の作る音楽に関しては俺の気持ちがあるけど、millennium paradeというプロジェクトはもっと特殊なものだとは思ってます。

──ライブでも常田さんが一番ステージの手前にいるし、millennium paradeの顔であり中心なのは間違いない一方で、調整役のような側面が強いですよね。束ねるでも従えるでもない、人と人をつなぐ役割を意識している。それは今日話した社会的なテーマに置き換えても、一番重要なことだと思うんです。

常田 まあ、俺は本当にみんなが躍動してる様を見たいだけなんだけどね(笑)。それも含めて、今回もいいものが作れてうれしいです。

佐々木 もはや「MVを作ってる」という感覚はないからね(笑)。

常田 はははははは(笑)。MVを超えてるよね。集がグッズをMVのプロダクトで作りたいって言ってるんですよ。普通1曲のMVに対してグッズなんて作らないじゃないですか。それくらい、1つの作品に対する思いが普通のプロジェクトとは違う。それが作品にも出てるし、その気持ちが聴く人にもだんだん伝わってきてる実感もあるし。

──自分も存在できる場所になるんじゃないかと、millennium paradeやPERIMETRONに自分自身を投影する人がさらに増えていくといいですよね。

常田 うん、そうだとありがたいですね。

左から佐々木集、山田遼志、常田大希。