millennium parade|時代を牽引する表現者たちの矜持

常田大希×中野裕太 対談

“経てきた8年”を表現した「Philip」

──「Philip」はmillennium paradeの活動の根底にあるものが、生々しく痛烈な形で音楽と映像に表れた作品だと感じました。この「Philip」を、常田さんご自身はどういう作品だと捉えられていますか。

常田大希

常田大希 曲の原型自体は、俺が20歳くらいの頃に作っていたものなんですよ。それを今でもいいと思えたし、今の自分が昔の自分をもしっかり肯定できる感覚があって。その当時の作品と今、向き合ったらどうなるのか興味があって、再構築してみたいと思ったのが始まりですね。

──原曲は、中野さんもラップで参加したSrv.Vinciの「Stem」ですよね。その「Stem」を、石若駿さん、江﨑文武さん、常田俊太郎さん、山田遼志さんといったSrv.Vinci時代からの仲間と共にアップデートしようと思ったのはどうしてなんですか。

常田 俺も含め、昔から今にかけて各々が各々で成長して、それぞれの人生を歩んでいて。その中でもう一度、この曲の中で向き合ったらどうなるんだろうという興味があったんです。改めて道筋を振り返ろうと思ったというか。裕太くんにラップしてもらったのも、“経てきた8年”をお互いに表現したいっていう気持ちでしたね。

中野裕太 俺の弟も音楽をやっていて、俺と弟、大希とでGAS LAWというバンドをやってたときもあったんです。それ以外にも、大希が世に出していない作品、世に出している作品問わず詞を提供したり、歌ったり、逆に俺の出演した映画などの音楽も手伝ってもらったり……ずっとクリエイションを一緒にやってきた関係だし、俺個人も大希のことを弟みたいに思っていて。ここ2年くらい連絡を取ってなかったんですけど、今、「一緒にやろう」と声をかけてくれたのはきっと、大希の中でタイミングが整ったということなんだろうなと。

──King Gnuの最新アルバム「CEREMONY」でも圧倒的な結果を出して、音楽的な内容や実験性を含めて日本のポップミュージックの地図を一気に塗り替えたところがありましたし、millennium paradeも本格始動から1年半という急激なペースでより一層アブストラクトな表現を提示し続けてきましたよね。世間に対して音楽の在り方を問える立場になったことで、常田さんとしては改めてご自身の原風景に向き合いたいという意味合いもあったんですか?

常田 そうだな……ここまでダーッと活動してきた中で、自分自身を見直したかったところはあったと思います。コロナの影響もあって、今年は世の中のすべてが止まるタイミングがあったじゃないですか。その中で、ものすごいスピードで走ってきた今の自分を見直したり、昔の自分が無我夢中でやっていたことを肯定してあげたい、そういうタイミングだった感じはしますね。俺のやってきたことは正しいのか、そもそも自分に合ってるものなのか。ケアもそうですけど、自分を構成するいろんな“部分”をもう一度確認するタイミングだった気がします。

中野 それこそ8年前に「Stem」を作ったときはもっと直情的でした。どこにも出すあてがなく、「とりあえず裕太くん一緒にやろうよ!」みたいになって、とにかく詞を書いて……今考えると、当時のリリックは若い。あのときの歌詞を読むとさ、思春期の膿みたいな、ジャクソン・ポロックが絵の具を殴り付けるような絵というか……。

常田 お。ポエティック兄さん(笑)。

中野 ははははは(笑)。こいつ、昔から俺のことポエティック兄さんって呼ぶんですよ。

──そのポエティックさがこのラップの深みと沁み方になってるんじゃないかと思います。

常田 出たー!って感じだよね(笑)。

中野 でも今は、ただ殴り付けるだけだった表現の時代から、精神的な重心が移動した気がします。それは大希も一緒だと思うんです。いいことも苦しいことも経験すると、今いる場所からの物事の見え方が変わる。で、その変化をちゃんと反映したリリックにしたいと思って、今回全部書き直したんですけど。大希も、会えなかった2年の間で状況的にも人間的にもすごく変わったなと。成功して成長した姿を素敵だなと思いながら見ていたし、お互いに模索しながら自分の生き方を貫いてきた数年だったんじゃないかな。でも、根本的には変わってないから、こうしてまた会えたわけだし。それがうれしいですよね。

──信頼できる仲間がいつでも集える場所がmillennium paradeであるという意識が、今回のように音楽的にも関係性的にもロマンを生んでいくところがあるように感じました。

常田 やっぱり信頼する部分はずっと変わらないからね。裕太くんに対してももちろんそうですけど、作品に対するストイックな向き合い方とか、物事を突き詰めていくプロフェッショナルさ、クリエイティブにおける姿勢……そういう部分を昔からリスペクトしているので。何かを一緒に作るという意味ではそこへの信頼感は相当なものですね。それに、もともとmillennium paradeは自分がリスペクトしてる人たちを輝かせたいという気持ちがあるものだから。20歳の頃の自分を肯定できるっていうのも、そこに含まれてくるんじゃないかなと思います。

中野 まあ、お互いに「倒れるまでやる!」みたいなところが似てるよね(笑)。そういうのって、誰とでも共有できるかといったらそうではないんですよ。人間的なチャーミングさがあったうえで、ストイックさとかプロ意識をリスペクトできる関係性というのはとても大事なものだと思う。

──曲じゃなく人間がグルーヴを持っている。

常田 そうそう、そこは切り離して制作できないから。今回の「Philip」も、MVまで含めてちゃんとそれが出せたと思いますね。

社会に対してミスフィットを感じてしまう人に向けて

──生のグルーヴとビートミュージックの融合の中で、どれだけポップなものを作れるのかがmillennium paradeの音楽の根本的なテーマだと思うんです。そのうえで「Philip」は、過去の曲に比べて人間臭い質感が前に出た曲だと感じます。

常田 うん、やっぱり生々しいものの差し引きっていうのはテーマとしてあった気がします。裕太くんの声も特殊な乗せ方をしているし。そういう意味では、生々しさとか人間臭さと改めて向き合った曲な気がしますね。

中野 この曲を制作するうえで大希に言われたのは、大衆的なところというか、大勢の人に向けられるようなテンションを意識してほしいってこと。

常田 大衆的という言葉はいろんな意味合いを持ってると思うんですけど、millennium paradeでは自分たちの表現をちゃんと多くの人に知ってもらうことが必要だから。あくまで自分たちのクリエイションを徹底したうえで、アンダーグラウンドとオーバーグラウンドの線をつないでいくことが大事。

中野裕太

中野 「多くの人につながるものを意識してくれ」と最初に言われたときに、まず“声”を獲得しなきゃいけないと思ったんですよ。俺は音楽で実績があるわけでもないし、大希のファンの中には「誰?」って思う人もいらっしゃるはずで。片や俳優としての俺を知ってる方は、「ラップもやるんだ」と驚くだろうなと。そんな中、音楽において自分の声を獲得するというのはどういうことなのか考えて。それを含めて詞を考えたときに、チャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」のように「これがアメリカだ!」みたいな感じでみんなに強く言うことは俺にはできないし、ビリー・アイリッシュの「bad guy」みたいなスタンスも自分がやるにはしっくりこない。そう考えていった結果としてたどり着いたのが……社会に対してミスフィットを感じてしまう、そういう一個人と傍で会話するような設定で構成したなら、自分らしい声が見つかりそうだと。

──「自分自身の声を獲得する」というのはつまり、自分が経験したり感じたりしてきた社会と自分の構図をメッセージ化することだった?

中野 そういうところも多少はあります。「フィリップ」という人物のイメージソース自体は、サマセット・モームの「人間の絆」という小説の主人公、「海老足のフィリップ」なんです。フィリップは先天的に足に障害があって、そのコンプレックスや苦労に向き合って生きていて。トラブルに巻き込まれながら、大変な生涯を送る……そういう1人の人間を描いた小説を思い出して、フィリップみたいな人に俺らが言葉をかけられたら、もっと彼は自信を持って生きられたかもしれないし、彼のコンプレックスはひっくり返っていたかもしれないと思ったんです。なにか思い悩む人に、「大丈夫だよ」と語りかけるような歌にしたかった。押し付けがましく言うのではなく、「さんざん雨が降ったね。きれいに洗い流されたね。」みたいなスタンスでそういう人のそばにいること、そうやって会話することが、今の自分にはしっくりきたんです。