マカロニえんぴつの音楽は全年齢対象
──今回、表題曲の「はしりがき」は「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」の主題歌ですし、今、マカロニえんぴつの存在感はどんどんお茶の間に浸透していますよね。今のバンドの状況は、どのように受け止めていますか?
はっとり 流行は巡っていくものだし、今の自分たちの居場所も、自力で勝ち取ったものだと思いたいけど、誰かが譲ってくれたものでもあるような気もするし。僕としては、今の居場所を自分たちでつかみ取ったという感覚は、あるような、ないような……という感じなんです。僕らの音楽に耳を貸し、なんなら手を貸してくれる人たちがいる喜びは噛み締めていますけどね。
──「勝ち取ったものだと思いたいけど、誰かが譲ってくれたものかもしれない」という感覚をもう少し詳しく伺いたいです。
はっとり 今、僕らがいるこのポジションにいるのは、もしかしたら僕らじゃなかったかもしれないから。カッコいいバンドって、掘れば掘るほどたくさんいるんですよ。例えば、錯乱前戦というバンドを僕はすごくカッコいいなと思っていたけど、今の僕らがいる場所にいたのが彼らだった可能性だってあるわけで。僕らは、すげえトリッキーなことをやっているわけでもない。どちらかといえば先人に対するリスペクトが強いタイプのバンドで、「いい遺伝子を持っています」とは胸張って言えるけど、オリジナリティという面で言うと正直、未だ憧れのほうが大きい。取り立てて変わったことをやっていない分、「このポジションには、違う人がいたかもしれないんだよな」と思うこともあるんです。
──なるほど。僕は今この時代の日本のメインストリームにマカロニえんぴつがバンドとして立っていることに、すごく特別なものを感じますけど、この時代に自分たちが持ち得ているポップさとは、どういう部分に根差しているものなのだと思いますか?
はっとり 僕のポップ感みたいなものって、こういう1時間の取材で話しきれるようなものでもないような気がするんです。でも……1つ言うと、僕は保育園の頃から歌うことが大好きで。トラや帽子店という、童謡や子供向けの歌を作って地方で公演しているグループがいたんですけど、保育園の課外授業で、そのトラや帽子店の歌をみんなで歌ったりしていて。その時間がすごく好きだったんですよね。トラや帽子店のポップセンスと言葉選びのセンスってすごいんですよ。童謡なのに、今聴いてもどこかJ-POP寄りで、歌のラインもスッと入ってくる。トラや帽子店を幼少期の頃に聴いたことは、自分の音楽活動にすごく大きな影響をもたらした気がしますね。この間も弾き語りライブで彼らの「はじめの一歩」という曲を歌ったんですけど、バンドを組むきっかけになったユニコーンや、スピッツやaikoさん、姉のコンポから流れてきたJ-POP、親父の影響で聴いたプログレやハードロック……僕のルーツはいろいろありますけど、そのすべてに影響を受けるよりも前に、「ポップス」という面においては大きなルーツになったのが、トラや帽子店だったのかもしれないです。
──幼少期に聴いていた童謡をルーツとして自覚されていることが、すごく象徴的なことでもありますよね。今のマカロニえんぴつの、音楽が響く場所や聴き手を選ばない感性に通じているというか。
はっとり 僕らは「全年齢対象」って、ずっと言ってきていますからね。
しんちゃんは常に走っている
──改めて、「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」の主題歌である「はしりがき」はどのようなことを考えながら制作されましたか?
はっとり それこそ今言ったように、「ポップな曲を作る」ということを僕らは8年間やってきて。「アッパーなビートで魅了してライブでお客をかっさらおう」というスタンスではなくて、「ライブに来てくれた皆さんの心に残るメロディを作ろう」というスタンスでやってきたバンドであり、だからこそ舞い込んできた「クレヨンしんちゃん」のタイアップだと思うんです。ポップであることに注力してきたからこそ、大きなタイアップであっても、自然体で作れたなと思います。今までの曲が評価されてここまできたのだとしたら、余計なことは考えず、むしろ余計なことを考えたらいい曲ができなくなるんじゃないかっていう恐怖心と闘いながら、特にAメロ、Bメロは自然に出てきたメロディを使いましたね。
──タイトルはなぜ「はしりがき」となったんですか?
はっとり 2015年に「エイチビー」というミニアルバムを出したときのツアータイトルが「マカロックツアーvol.2 ~走り書き編~」だったんです。当時は、自分たちのことを“粗削り”のバンドと言っていたんですけど(笑)。
田辺 普通、人から言われることなのに(笑)。
はっとり そう(笑)。でも、あの頃はそうとしか言いようがなくて。自分たちの音を「粗いなあ」と思いながらも、その粗さを武器にすべき時期だったし、この曲を書いているときにふと当時のことを思い出したんですよね。もちろん、マカロニえんぴつというバンド名にちなんでつけたタイトルでもあるんですけど、多少、粗くなくなってきている今だからこそ、「のろのろ歩かずに走れよ」っていう意味を込めてこのタイトルを付けました。それに「クレヨンしんちゃん」って、常にしんちゃんが走っているから。その感覚と今の自分たちのモードが重なったんです。
──「はしりがき」の歌詞には“青春”という言葉が出てきますが、これまでも、マカロニえんぴつには「青春と一瞬」(2020年4月発売のアルバム「hope」収録曲)や「溶けない」(2020年7月配信のシングル曲、2020年11月発売「愛を知らずに魔法は使えない」の収録曲)といった、青春をモチーフにつづられた歌がありますよね。なぜ、はっとりさんは歌の中で青春に思いを巡らせるのでしょうか?
はっとり 僕からすると、自分から青春を掲げている感覚はないんですけど、人が青春と呼びたくなるものを作っているんだと思うんです。そもそも、青春って旅と一緒だと思うんですよ。旅って、その最中は宿を予約したり、バスの時間を気にしたりしなきゃいけなくて、あまりゆっくりできないし面倒くさいことも多いですよね。終わったあとでやっと「いい旅だったね」と思い返すようなもので。青春も一緒で、その最中に「これ青春じゃん! 最高!」とはならないんですよ(笑)。そう思えるようなものって薄っぺらいし、きっとそれは青春ではないですよね。青春って、過去を振り返って、「あれが青春だったんだな」と気付くものだと思うんです。
──そう思います。
はっとり 僕の歌は、取り返すことができない失ったものに執着していると思うんです。それが、人の言う青春に触れているのかもしれない。決して「学校生活ウェーイ! 放課後ウェーイ!」という意味での青春ではない。青春って、過去の自分が成し得なかった巨大なイメージであり、過去の自分しか持っていなかった感性のことだと思うんです。そういうものに固執しているから、僕らは“青春を歌うバンド”というイメージがついているのかもしれないですね。1秒前の自分だってもはや過去の自分なわけで、だとしたら、生きることは“青春の連続”とも言えるし、あるいは、“後悔の連続”とも言えるかもしれない。僕は、後悔を大事にしています。後悔した過去にこそ、未来を強く生きようと思うに値する原動力が詰まっているはずだから。人が黒歴史と呼ぶ過去にだって、その汚くて情けない過去の中に手を突っ込めば、今につながるヒントがたくさんあるし、それを見つめることは怖いことでもなんでもない。むしろ、過去をしっかり見ることができない人は、未来も雑に扱ってしまうと思うんですよ。
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高野、田辺、長谷川が歌詞について考える