坂本真綾インタビュー|人生の転機を経て“ミュートを解除”した現在の創作活動への思い

坂本真綾が第1子の出産と休養を経て音楽シーンに戻ってきた。2022年11月に行われたワンマンライブ「un_mute」でステージ復帰を果たし、このライブで新曲「まだ遠くにいる」「un_mute」を初披露。アニメのタイアップソングとして制作されたその2曲が、このたびニューシングルとしてリリースされた。「まだ遠くにいる」は現在放送中のWOWOWオリジナルアニメ「火狩りの王」のエンディングテーマで、静と動のコントラストが激しい組曲のような仕上がり。一方、テレビアニメ「REVENGER」のエンディングテーマ「un_mute」は静謐で穏やかなムードに満ちたバラードソング。シングルにはさらに坂本本人の作詞作曲によるポップなラブソング「こんな日が来るなんて」が収録されており、バリエーションに富んだ3曲が楽しめる。

出産という人生における大きな出来事は、これから彼女の創作や表現活動にどのような影響をもたらすのか。新作のリリースを控える坂本にインタビューを行い、今現在のリアルな心境を聞いた。

取材・文 / 臼杵成晃撮影 / 柏井彰太

生命ってなんて貪欲でたくましいんだろう

──まずはご出産おめでとうございます。きっと生活はこれまでと大きく変わったと思いますが、出産や子育てを経験することで、考え方や価値観に何か変化はありましたか?

きっとあるとは思うんですけど、劇的にある瞬間からガラリと変わるということはあまりないかなあ。振り返れば、子供が産まれてから今日までに、それ以前とは違う自分というのが着実に育ってきているなと思いますけど、何か激しい勢いを伴った変化を感じることはないですね。

──なるほど。

ただ、私の場合はこれまで自分の生活の中で仕事が占める部分があまりに大きすぎたので……学生の頃から仕事を始めて、何十年も持っていた「仕事が一番」の価値観が今まで揺らぐことはなかったから、その変化は大きいですよね、やっぱり。でも、若いときに思う存分仕事に対して意識も時間も集中して注いできたあとでのプライベートの変化だから、「早く仕事に戻らなきゃ」と焦るような気持ちはあまりなくて。もしもっと若いときだったら、もう少し仕事を休むのが怖かったかもしれないと思うんです。でも今は「私の人生の中で家族を一番に考える季節が来たんだ」と受け止められていて、それはよかったなと思います。

坂本真綾

──我が子というもっとも身近な他者を迎え入れたことで、何か新たな自己発見や気付きはありますか?

子供って本当に日々変わっていく、どんどん大きくなって戻ることはない生物じゃないですか。自分は大人になってひさしいので、今日も昨日も一昨日もそんなに変わらない。下手すると1年ぶりくらいに会っても「お変わりありませんね」と感じるのが大人ですけど、子供は1年経てば別の次元くらいの変化がある。成長の幅がすさまじいから、常に刺激をもらえるんです。次の課題、次の課題と向かっていく生命の神秘というか、誰も教えてないのに、何かができるようになったら次の課題を見つけて練習していくんですよね、勝手に。そういう子供の成長を目の当たりにしていると、生命ってなんて貪欲でたくましいんだろうと。自分もかつてこういうことがあったんだろうなあ、人間誰しもこんなに生命力を持って生まれてくるんだなあ……という視点が生まれると、誰のこともみんな愛おしく思えるというか(笑)。

──そういった発見や気付きが、アーティストはおのずと作品に反映され、昇華されていくのだろうと思うんですけど、坂本さんは前回の出産前のインタビュー(参照:坂本真綾「菫 / 言葉にできない」特集)で、これから何を書いても「母親になってこんなことを書くようになった」と言われるであろうことに「想像しただけでうんざり」とおっしゃってました(笑)。

正直、出産後のインタビューではみんなそういうことを聞きたそうにしていますね。どういう答えを求められているのかわからないですけど、きっと作品に影響があるに違いない、というか今回の作品にもすでに影響が出ていますよね?みたいな(笑)。それはリスナーの皆さんも思っているかもしれないし、そういう言葉を期待されているのかなあと感じます。個人的な感覚を言えば、もちろん以前と違うところはたくさんあるし、今までと同じように人生経験を通して価値観の変化は作品に反映されると思いますけど、今のところ実際に子供が産まれたあとで創作したのは堂島孝平さんに書いた歌詞と(参照:堂島孝平ニューアルバムに眉村ちあきが参加、坂本真綾と土岐麻子の作詞曲も)、今度リリースされる鈴木みのりちゃんのアルバムに書いた歌詞(参照:鈴木みのり“5周年の集大成”アルバムを1月に、「シュガーアップル・フェアリーテイル」OP曲も)、それとこのシングルの3曲目の「こんな日が来るなんて」だけで、この3つに関して言えば、全然影響はないって感じなんですよね。これから先、自分のアルバムだとか、タイアップのない作品を作るときに、何かにじみ出てくるものはあるかもしれません。

坂本真綾

復帰ライブの裏側

──昨年11月にはひさびさのワンマンライブがありました(参照:坂本真綾2DAYSライブで“un_mute”、実感を込めて「また会いましょう! お元気で!」)。こちらも出産を経ての初ライブという意味付けはあるものの、至ってシンプルに、ひさびさのライブを楽しんでいらっしゃる印象でした。

私はそれほど頻繁にライブをやるほうではないから、今までも同じくらい間隔が空いていたことはあったし、特別ひさびさという感じでもなかったんですね。心配していたことと言えば、産後の私の心身のコンディションを、産前に予想することは私にも周りにも不可能で。実際にリハが始まって歌ってみるまでは本当に探り探りでした。ライブの内容自体は、25周年ライブ(2021年3月に神奈川・横浜アリーナで開催された「坂本真綾 25周年記念LIVE『約束はいらない』」。参照:坂本真綾デビュー25周年ライブが映像ソフト化、特典映像は舞台裏ドキュメンタリー)と対になるようなもの、あのとき歌えなかったけどこの25年の中で大事な意味を持っている曲を歌いたいという気持ちがあったので、そういうセットリストにしました。

──復帰ライブがどういう内容になるのかと思ったら、やけにマニアックな選曲で。

(笑)。実はすごく慎重に準備していたにもかかわらず、直前に風邪を引いちゃったんですよ。ちょっと不安のある状態で本番を迎えることになってしまって。みんなには「産後のあの人大丈夫かな」という見方をされると思うから、多少大げさにでも「元気ですよ」「変わりないですよ」というのを表現しなくちゃいけないという気負いもあったと思うし、「やっぱり時期尚早だったのでは」と思わせてしまうのは残念だから、いつも以上にしっかりした自分を見せなくちゃいけないというプレッシャーを感じていたんだな……と風邪を引いたときに思ったんです。ただ、そういうコンディションだったからこそ、1曲1曲を丁寧に届けることに徹することができたんですね。それで邪念を捨てられたというか。結果、今までと変わらないなと感じてもらえたり、満足してもらえたりしたのかなと思うと、結局私がどんな状況でも、世界がどんな情勢でも、音楽はシンプルに丁寧に届けることが大事で、目の前のお客さんに伝えることができれば十分なんだなと改めて思いました。

──1席ずつ空けたりもしていない満員の会場でライブができることが単純にうれしい、ということをMCでおっしゃってましたよね。

本当にありがたいことですよね。これだけたくさんの人が楽しみに来てくれるということがシンプルにうれしくて。長年活動してきて、ひさしぶりにライブをやると発表しただけでもたくさんの人に喜んでもらえて、東京でしかやらないのに一生懸命予定を合わせて集まってくれる人がいる。若い人も年上の方もいて、こんなにありがたい状況で活動を続けていられるのは本当にすごいことだなとしみじみ思いました。

坂本真綾
坂本真綾

残したいのは絶望的な気持ちではなくて、生命のきらきらした力

──そんなライブの中で、前日に情報解禁されたばかりのニューシングルの新曲がさっそく披露されたというのも大きなトピックでしたが、それがまた非常に複雑な楽曲で(笑)。「まだ遠くにいる」は組曲のようだなと思いました。

スローに始まるからバラードかな?と思ったらどんどん変化していくから、お客さんは展開を受け止めているだけでもいっぱいいっぱいだったんじゃないかと思います(笑)。どんな曲だったか、あとで思い出そうとしても思い出せなかったでしょうね。

──ではここからシングルの話を伺います。「まだ遠くにいる」は現在放送中のWOWOWオリジナルアニメ「火狩りの王」のエンディングテーマですが、いつ頃から制作に取りかかっていたのでしょうか。

25周年ライブの直後くらいには歌詞を書き始めていたから、私からしたら「やっと世に出る!」という感じです。

──作・編曲の姉田ウ夢ヤさんとご一緒するのは今作が初めてですよね。制作はどのように進めたんですか?

先ほど組曲的とおっしゃっていましたけど、入り口と出口がまったく違うような面白い展開の曲がいいんじゃないかという構想がまずありまして。何人かの作家さんにお願いしたところ、「火狩りの王」に一番合いそうだなと思ったのが姉田さんの楽曲だったんです。イメージにはすごく合ってるんだけど、どう歌うの?と思うくらい難しかったので、レコーディングも苦労しましたけど、それ以上にこれからライブでどうやって歌っていけばいいんだろうな、大変な曲になってしまったなと思っています(笑)。そのうち慣れるでしょうけど。

──作詞は坂本さんご自身ですね。

はい。原作の小説がすごく面白くて、書きたいテーマや内容はすぐに思い浮かびました。とはいえ物語があまりにも壮大ですし、人類最終戦争後の世界を描くというシリアスな問題提起を扱った作品なので、聴く人が自分のこととして置き換えたり共感したりできるところまで音楽として持っていけるかどうか、作詞をするうえではすごく難しかったです。

──この複雑なメロディに言葉を乗せるという難しさもあったでしょうし。

特に、サビにたびたび登場する印象的なフレーズのところに日本語を乗せるのが難しくて。でもアニメの純和風な世界観に対して英語の歌詞が出てくるのはどうしても違和感があって……「バラバラ」とか「ゆらゆら」とか、英語だと同じ4音でもいろんなことが言えるんですけど、この弾む音階に日本語を乗せようと思ったときに、音の響きと言葉の親和性を考えるのはすごく難しかったです。

──「生まれた時代を生きるだけ 答えがあるかはわからない」というフレーズは、作品に合わせて出てきた言葉なのでしょうけど、今現在のこの世界においてもリアルに響くものがありますよね。

そうなんですよね。どんな時代でもその時々でいろんな問題があると思うんですけど、これからの若者はいろいろと大変だろうなって。さまざまな課題を私たち上の世代が先送りにして「あとはよろしく」みたいなことになっているから、申し訳ないやら何やら。これからの時代がどうなるのか想像できないけれど、違う時代を生きたかったと思う人もいるかもしれない。この歌詞を書き終わったあとですけど、自分は子供を産むことになって、世界では戦争が身近に始まって……どんどん世の中は悪い方向に向かっているのに、新しい命は生まれてくる。こんな時代に生まれさせてごめんねという気持ちもあるけど、どんな時代でも生まれたからには必死に生きるだけ、というところには変わりがなくて、きっと少しでもよりよい方向にと踏ん張ってくれる人たちがいて、世の中は今日まで続いてきたんだと思うんです。こういうテーマを扱うにしても、あきらめや絶望ではなく、もっと期待を込めた曲にしたいなって。曲としては一聴してダークな印象が残るけど、あえて「命がきらきら光ってる」という言葉で終わる。残したいのは絶望的な気持ちではなくて、生命のきらきらした力なんです。

坂本真綾

──そのあたりをまさに「出産後の価値観」で書いたんですよね?と聞きたくなるところですけど、アニメ作品のテーマ曲だからおそらくもっと前に書き上げていたんだろうな、とは予測していました。

はい(笑)。でも本当に、この間ライブのリハで何度も歌いながら、自分で書いた歌詞ながら、より差し迫って感じるというか、ファンタジーのつもりで書いたものがすごくリアルになってしまったなって。悪いことばかり考えていてもしょうがないし、音楽というものは最終的に生きる力を与えるものであるべきだと思うので、未来の誰かがこの曲を聴いたときに背中を押されるものになっていたらいいなと思いますね。