cero インタビュー|5年ぶりアルバムで手にしたシグネチャー、表現者5人のコメントで紐解く「e o」

ceroが5年ぶりとなるオリジナルアルバム「e o」をリリースした。

5年ぶりとは言っても、ceroはこの間、バンドとして停滞していたわけではない。ワンマンライブの開催やフェスへの出演はもちろん、メンバーそれぞれのソロアルバムのリリース、コロナ禍においてはいち早く有料制の配信ライブを実施するなど、精力的な活動を展開してきた。

音楽ナタリーでは「e o」リリース直後のceroに、坂本真綾、有元キイチ(ODD Foot Works)、BIM、MON/KU、茂木欣一(フィッシュマンズ)による「e o」を聴いた感想コメントをもとにインタビューを実施。他者の視点を交えたメンバー3人による言葉のやり取りは、ときにフレンドリーで、ときに表現者としての彼らの成長を感じさせる、まさにceroの“これまで”と“ここから”を深掘りするものになった。さらに今回の特集には、ceroの活動を初期から追ってきた音楽ライター・松永良平によるアルバムのレビューも掲載する。

取材・文 / 松永良平

音楽ライター・松永良平による
「e o」レビュー

ceroの新作「e o」の話で、あちこちがざわついている。2015年発表の3rdアルバム「Obscure Ride」でのブラックミュージックへの接近や、2018年発表の4thアルバム「POLY LIFE MULTI SOUL」での縦横無尽なリズムの洪水に対しても驚嘆の声が多く上がったことは今でも覚えている。

cero「e o」ジャケット

cero「e o」ジャケット

だが、今回の「e o」への反応は特別だ。理解を超えながら心身に染み入ってくるこの静謐で緻密な音楽は、ある意味、現行のポップミュージックの範疇とは別枠のものかもしれない。なのに、誰もが戸惑いながらもこの音や歌や言葉に心を揺さぶられている。クエスチョンマークとシンパシーが溶け合った状態、と言ってもいいだろう。あらゆる世界の音楽と真偽や人智を超えた情報がハイスピードで行き交う時代にあって、ceroの新作が多くの耳に止まった、いや、耳を止めた。その事実が特別だと感じる。

前作「POLY LIFE MULTI SOUL」以降の5年間に配信リリースされたシングルは4曲。

  • 「Fdf」(2020年2月)
  • 「Nemesis」(2021年8月)
  • 「Cupola」(2022年3月)
  • 「Fuha」(2022年6月)

また、メンバー3人のソロアルバムもリリースされている。

  • Shohei Takagi Parallela Botanica「Triptych」(2020年4月)
  • arauchi yu「Śisei」(2021年8月)
  • ジオラマシーン(橋本翼)「あわい」(2021年12月)

そのそれぞれがきたる新作に連なる線を描きながらも、必ずしも1本の線としてのコンセプトやイメージを作り出さなかった。音楽それ自体のジャンルを細分化して小さな箱に閉じ込めたり、地味から派手へ階層を立てて区分けしてゆくことでもない。この5年という時間は、乱暴なほど放射線状に拡散したこの世界の外から、自分たちの内(コア)へとたどるように接近して、ceroの3人だからこそ生み出せるものと重ね合わせてゆくために必要だったのかもしれない。2012年の「あるはずない みたことない / 誰もしらない パラレルワールド」(「わたしのすがた」より)と、2023年の「透明な未来」(「Angelus Novus」より)が重なり合うとき、バラバラに散らばってしまった過去と未来がこのアルバムの中で集い、重なり、響き合い、再び無限に広がってゆくのを感じた。

あるいは、「c」「r」が消えた「e o」の世界では、透明なスクリーンに途方もない数で映し出されたそれぞれの「cero」を誰もが見ている、と言えるのかもしれない。だからこそ長年のファンだけでなく、初めてceroを聴いた層まで「e o」がこんなにも届いているのではないだろうか。暗闇の先にある光はぼんやりとしか見えない。だが、目指す歩みは無謀ではないと、この音楽は感じさせてくれる。

とはいえ、これは1つの推論に過ぎない。メンバー自身にとってもまだこの多層的なサウンドとストーリーをちりばめたアルバムの全体像は鮮明ではないという。その自分たちにとってさえ未分化で不鮮明なこのアルバムの持つ魅力の本質はなんなのか。このアルバムはそれを、さまざまな人たちのさまざまな人生や生活でこれからもずっと問いかけていくだろう。

cero「e o」インタビュー

マンションの一室、3人だけで始まった楽曲制作

──今回は、ceroの5年ぶり5枚目のアルバム「e o」のリリースを記念して、本作を聴いた感想コメントを5人のアーティストに寄稿していただきました。このコメントを軸に取材を進められたらと思います。まずは坂本真綾さんのコメントから。

坂本真綾

坂本真綾

新しいアルバムを、いちファンとして、首を長くして待っていました。
「e o」はきっと、そんなふうに待っていた人たちがみんな唸ってしまう作品。私個人の感想など述べるのもおこがましいですが、今までのどのアルバムよりもさらに好きでした。
私の好きなcero(手触りはひんやりとしているのに、内側で絶えずマグマみたいなものが流れ続けていて、ときどきボコっと沸騰する手触りが伝わってくるような)の音楽はそのままに、明らかに深まっているのを感じ取ることができ、この5年という月日の重みを感じました。何かを創り出すこと、それを壊すこと。持ち寄り、削ぎ落とすこと。疑い、楽しむこと。音から受け取っただけで想像でしかありませんが、そのような創作の過程に思いを巡らせ、胸を打たれました。
そうして年をとりキャリアを重ねていく彼らに同世代のひとりとして尊敬、羨望、希望の気持ちを抱かずにはいられません。

──坂本さんとceroの接点で言うと、彼女の最新アルバム「記憶の図書館」のリード曲「ないものねだり」で荒内くんが作編曲を担当しています(参照:坂本真綾「記憶の図書館」インタビュー)。

荒内佑(Key) 真綾さんサイドからのオファーは、僕のソロアルバム「Śisei」(2021年)でやったミニマルなサウンドの方向性でというものでした。ceroで好きな曲として「魚の骨 鳥の羽根」(2018年)や「Fuha」(2022年)も挙げてくれて。

──コメントの中には「同世代のひとりとして尊敬、羨望、希望の気持ちを抱かずにはいられません」という言葉があります。

荒内 いやあ、彼女は16歳でデビューしてからずっと第一線で活躍しているから、同世代というより大先輩ですよ。最初の頃のレコーディングはまだProToolsじゃなかったって言ってたもん。テープで録ってピンポンしてたって。

──さらにコメントには「この5年という月日の重みを感じました」ともあります。

髙城晶平(Vo, Flute, G) 5年と言っても、その間に3人ともソロアルバムを作ったし、ceroとしても4曲の配信シングルを出した。5年の間ずっとうんうんうなってたわけではないんですよね。むしろわりとビビッドに動いていた5年間だったと思います。

──「e o」の制作が向かう方向性として、“共同作業”がキーワードになっていますよね。最初は本格的なスタジオではなく、橋本くんが借りていた吉祥寺のマンションの一室を使っていた。やがてはカクバリズムの事務所内に設けられたレコーディングルームに作業場が移っていくけど、それでも宅録的な環境という面は変わらない。実はそういう共同作業って、ceroが1stアルバム「WORLD RECORD」(2011年発表)を制作していた2000年代末にやっていたことでもあるんですよね。

髙城 そうですね。「あの頃と同じことをやってるな」と感じる懐かしいデジャヴの瞬間がたくさんありました。でも当時と比べると、あらぴー(荒内)もはしもっちゃん(橋本)も録音やプログラミングのスキルが向上しているし、ソフトで解決できることが段違いに増えた。僕だけ相変わらずMTRでデモを作っていたわけだけど、3人でやってる作業のレベルは上がってましたね。

荒内 別に「集まって作りたい」という強い思いやコンセプトがあったわけじゃなくて、やりやすい方法を選択していたら自然とそうなっていったんですよ。リハーサルスタジオじゃなく、誰かの家に集まって制作するのは自分たちらしい。そもそもceroは3人とも宅録をしていた人の集まりだったから。

橋本翼(G, Cho) 単純に部屋で制作するのは楽しいなと思いました。

髙城 はしもっちゃんが住んでた吉祥寺の部屋が今空いてるっていう会話から始まったんだっけ。

橋本 そうだった気がする。その前はウィークリーマンションで作業しようとか話してた。

髙城 Seihoくんやビデオくん(VIDEOTAPEMUSIC)がいろんな地方に滞在して音源を作っていて、「そういう作業はいいよね、憧れるよね」という話をしてたら、あの部屋が使えるという展開になった。

cero

cero

──2021年の春先にAhh! Folly Jetのワンマンライブ(2021年3月に東京・LIVE HAUSで開催)で髙城くんと会って。「3人で始めた作業で今こんな音楽ができつつある」と、iPhoneでデモを聴かせてもらったんですよね。あとで思い返したらそれが「Nemesis」の原型だった。

髙城 コンビニの前で雨宿りしながらでしたね。

荒内 そんな大学生みたいなことやってたんだ、楽しそう(笑)。

──曲も全部聴いたわけじゃないし、きたるアルバムの全体像はまだ全然わからなかったんだけど、そういう新しい成果がプリプロで生まれてることに素直に驚いたし、感動しました。その後、場所が変わっても、その3人でのモードは続いたんですね。

髙城 そうですね。「Fuha」まで4曲のシングルはすべて吉祥寺で作りました。そこから先の「いよいよアルバムへ」というところで、作業場をカクバリズムに移したんです。