KIRINJI|目まぐるしい変化を遂げたバンド編成の8年間

KIRINJIのベストアルバム「KIRINJI 20132020」が、11月18日に発売された。

2013年の堀込泰行脱退後、田村玄一(Pedal Steel, Steel Pan, Vo)、楠均(Dr, Perc, Vo)、千ヶ崎学(B)、コトリンゴ(Piano, Key, Vo)、弓木英梨乃(G, Violin, Vo)が加入し、バンド編成へと生まれ変わったKIRINJI。このベスト盤は、2014年から2019年にかけてリリースされたオリジナルアルバム4枚から4曲ずつが選曲され、バンド編成時代を凝縮した内容となっている。

またKIRINJIは、2020年末をもって現体制での活動を終了することを発表しており、2021年からは堀込高樹(Vo, G)を中心とする“変動的で緩やかな繋がりの音楽集団”として活動していくという。バンド編成での活動にひと区切りが付いた今、堀込はこの8年間を振り返り、何を思うのか。8年前の新体制移行時の思いから現在の心境に至るまで、じっくりと語ってもらった。

取材 / 臼杵成晃 文 / 石井佑来 撮影 / 斎藤大嗣

自然な演奏を記録した8年間

──2013年に今の体制になって、それから8年ぐらいが経ちますが、この8年間を振り返ってみていかがですか?

ずっと忙しくしている感じはありますね。企画盤(2015年11月発売の「EXTRA 11」)を含めたらアルバムを5枚リリースしてますから。いいペースでできたかなとは思います。

──KIRINJIはもともと兄弟2人による、いわゆる“ユニット”という形でしたが、そもそもこの体制になったのは「バンドがやりたい」という気持ちが強かったからなんでしょうか。

「バンドがやりたい」というよりは、「自然な演奏を記録したい」という感じですかね。同じメンバーで演奏していれば、新しい曲をやったときでも相手の間合いがわかるし、その曲のアンサンブルがスッとまとまる。そういう“慣れた感じの演奏”を聴かせたいという思いがありました。

堀込高樹(Vo, G)

──サポートメンバーという形ではなく、あくまで同じグループの一員としてやることに意義を感じていた?

力関係があまり変わらなかったとしても、気持ちの引き締まり方や責任みたいなものは、サポートメンバーとグループの一員とでは違いますからね。例えば完成した音源の何かの楽器のプレイがあまりよくなかったとして、サポートメンバーであれば最終的にプロデューサーの責任になると思いますが、グループのメンバーの場合は演奏した本人の責任にもなるわけです。だからそういう意味では「それぞれが自分の責任について考えながら演奏する」ということに意義を感じていたんだと思います。

──実際に今の体制でやってみて、それまで2人でやっていたことと感覚的な違いはありました?

泰行とやっていたときは、泰行の曲は泰行が中心、僕の曲は僕が中心で、最終的な判断はお互いに任せていました。だから僕の曲に関して泰行が何か意見をするということはあまりなくて。僕は彼の曲についても「ああしようぜ、こうしようぜ」という意見をすごく言ってたのでそれが鬱陶しかったのかもしれない(笑)。今の体制になって最初の頃は、僕がデモテープを持って行って「こういうの作ったんだけど、皆さんだったらどうアプローチしますか?」みたいな作り方をしていましたね。

──曲の作り方も大きく変わったんですね。

例えば「悪夢を見るチーズ」は今のKIRINJIじゃないとできない曲だと思います。千ヶ崎くんがベースのリフとメロディだけを持ってきて「どうにかならないか」と言われて(笑)。それであんなクセがすごい曲ができたんですよ。だからKIRINJIのグループとしての幅みたいなものは広がったと思います。

息子からの影響、ヒップホップとの共振

──この8年でサウンドもだいぶ変化しましたよね。バンド編成になったものの、作品を追うごとにダンスミュージックやテクノ、ミニマル的な音楽に接近しているように感じます。特に「愛をあるだけ、すべて」と「cherish」の2枚のアルバムは、打ち込みと生音が共存しつつ音数がとても少ない。大きく変化しているなと思う反面、キリンジ時代の「DODECAGON」を聴き返してみると、意外と高樹さんがやりたいことの骨格はそんなに変わっていないような気もします。

堀込高樹(Vo, G)

「DODECAGON」のときは、それまで冨田(恵一 / 冨田ラボ)さんと一緒に作ったキリンジを刷新しなきゃいけないという気持ちがすごく強くて。ポスト渋谷系みたいなムーブメントもひと段落して、なんなら「渋谷系ってちょっとダサいかも」みたいな(笑)、そういう視線もあったんですよ。だから何か大きな変化をしないといけなかったし、昔の曲をずっとやっていくだけの人たちにはなりたくなかった。なのでそれまでは打ち込みを生音に近いサウンドで使っていたのがキリンジの特徴だったけど、大きな変化を起こしたくて「DODECAGON」を作りました。その頃に比べると、「愛をあるだけ、すべて」と「cherish」に関してはそこまで大きな変化が欲しかったという感じでもなかったかな。

──「愛をあるだけ、すべて」「cherish」に関しては、海外の音楽のトレンドともリンクしているように感じますが、そういうことも意識してました?

そうですね。当時、僕の子供が海外のヒップホップやダンスミュージックをすごく聴いていて。そういう音楽が家の中でいつも流れていると、単純に影響されるんですよね(笑)。自分が今まで作ってきた、中域にいろんな情報が詰め込まれてる音楽の成り立ちとは全然違うじゃないですか。高音と低音がバーンと伸びていて、真ん中に歌がポンとあってスッキリしている。家でそういう音像に慣らされたわけではないですけど、「なんかこっちのほうがカッコいいかも」という気持ちになってきて、結果的になんとなく似たような曲になってるかもしれないですね。

──その変化はご自身の中でも大きいですか?

「ネオ」のときはRHYMESTERを迎えたりして、その変化もすごく大きかったのですが、まだバンドのみんなで作業してる感じがあった。でも、「愛をあるだけ、すべて」以降は、サウンドのコンセプトをより際立たせるために、基本的に僕を中心にミックス作業をやるようになりました。その変化は大きいですね。

──RHYMESTERやCharisma.com、鎮座DOPENESSなど、ヒップホップ文脈の人たちが参加することが多くなったのはなぜでしょうか?

ヒップホップというものに対して僕はあまり理解がないんですけど、ラップが入ることで曲の様相が完全に変わるというのをRHYMESTERとのコラボのときに痛感しました。「普通に作ったらAOR的なポップスで終わるな」というところにラップが入ることによって、「そこから立ち上る景色が全部変わるな」と感じて。それが面白くて、それ以降もヒップホップの方たちを招いています。