音楽ナタリー Power Push - KANDYTOWN
ソウル流れる街角のドキュメンタリー
インターネットやファッション雑誌、深夜のクラブのフロアなどあらゆる場所をざわつかせている総勢16名の幼なじみたち、ヒップホップクルー・KANDYTOWNのメジャー1stアルバム「KANDYTOWN」が完成した。「Reebok CLASSIC」とのタイアップでも注目を浴びた彼らの強みは、スタイリッシュな見かけの下にある、切なさや絆を描くスムースなビートと言葉。アルバムの1曲目から、映画が始まるように彼らのライフスタイルと一体化したソウル / ジャズのムードをまとった空気が流れ出す。熟練のミュージシャンではないが、ストリートに根差した活動を展開してきた彼らだからこそ生み出しうる切迫感が、KANDYTOWNが描く物語を特別にし、空間を飛び越え聴き手の時間を親密に彩る。このクルーのメンバーである、ラッパーのDONY JOINT、GOTTZ、ビートメーカー / ラッパーのNeetzに話を聞いた。
取材・文 / 荏開津広 撮影 / nae.jay
総勢16名のヒップホップクルーの成り立ち
──以前からのファンの方以外には「総勢16名のヒップホップクルー」といってもなかなか想像しにくいところもあると思うんですが、KANDYTOWNは、ラッパー、DJ、ビートメーカー、フィルムディレクターの集合体と考えていいんですよね? まずはKANDYTOWNの成り立ちから教えていただきたいです。
GOTTZ KANDYTOWNは基本YUSHIくん(2015年2月に事故死したラッパー / ビートメーカー)のつながりで集まったんだけど、俺とDONYは地元が同じだったから、DONYの高校の友達が俺の中学の同級生だったりとか、そういうつながりもある。もともとBANKROLLとYABASTAっていう2つのヒップホップクルーがあって、BANKROLLは年長組、YABASTAは年少組で。俺とYOUNG JUJUらはYABASTAなんですよ。それにNeetzとKIKUMARUはほかのクルーとかソロでやってたんです。でもDONYはIOくんやYUSHIくんとBANKROLLやってたから、「俺らと同じ歳なのに歳上と遊んでるマセガキ」って印象が強かったかな(笑)。
Neetz もともと5、6年前からメンバーのKIKUMARUが下北沢でパーティをやってたんですよ。KANDYTOWNはまだなかったけど、そこでみんなライブやってたから会うようになったのかな。俺はその頃遊びに行ったら「こいつは曲作ってるんだよ」みたいな感じでメンバーに紹介されて、IOくんに「ビートくれない?」と言われて渡したのが知り合ったきっかけです。KIKUMARUは幼稚園と小学校が一緒だったけど、イベントに行くようになって「音楽やってんじゃん」って話になってまたつながって。学校でラップ聴いてる友達は少なかったから、パーティに行って仲間が増えたんです。
──皆さん音楽はいつ頃からどのようなジャンルのものを聴いていたのでしょうか?
GOTTZ DONYは英才教育ですよ(笑)、ラップについては。
DONY JOINT 親がブラックミュージックとかを聴いてたんで、身近に音楽があったのでその影響はあって。あとはやっぱり、音楽に詳しい友達がフッドにいたから音楽を教えてもらえたのが大きい。TSUTAYAで適当に借りたCDの中に般若さんの「おはよう日本」が入ってて「こんな音楽あるんだ」っ思ってたんですけど、学校には音楽聴いてるヤツはいなくて、BSCの家に遊びに行ったら般若さんのCDがあって「そういうの聴くんだ」って話になって盛り上がったりとか。YUSHIくんとかBANKROLLと遊ぶようになってから変わりましたね。
Neetz 般若さんのライブでDONYに会ったよね。覚えてる?
DONY JOINT 覚えてる、覚えてる。
GOTTZ 俺の場合は、親父がThe Rolling StonesとかPink Floydとか好きで、初めて自分でCDを買ったのは小学生のとき。レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のアルバムでした。ロックバンドが好きだったんですけど、所属してたサッカーチームにガーナ人とのハーフのやつがいて、2008年ぐらいにT.I.とかリル・ウェインとかを教えてくれて。
Neetz 俺の兄貴がバンドやっててプリンスみたいな曲やブルースな曲をやってたりして。それで洋楽は聴いてたけど、兄貴がエミネムとかZeebraとかを聴くようになると、サンプリングってことに興味が出て、その元になってるソウルやファンクを聴くようになったという感じ。
気が付いたらラッパーになってた
──東京では1960年代にリズム&ブルースが輸入されて入ってきたときから、ストリートとブラックミュージックの結びつきがあると思います。それこそ今お話に出た般若さんたちも世田谷の中のそうした動きから世の中に出られたわけですし、「東京生まれヒップホップ育ち」という有名なZeebraさんの言葉通りの生き方をしてきた人はもはや当たり前に存在するわけですが、皆さんはラッパーになるというビジョンはいつ頃からあったんですか?
GOTTZ 「ラッパーになるぞ」って言ってラップを始めたわけじゃないです。
DONY JOINT 気が付いたらラッパーになってたって感じだよね。
Neetz そうそう。
GOTTZ 地元の先輩に連れていかれたカラオケでナズとか2パックの音を流して先輩がフリースタイルしてるの見て「うわ、なんだこれ」みたいに思ったのが最初で。その当時って今みたいにフリースタイルブームじゃなかったから、すべてが新鮮じゃないですか。YouTubeもそこまで普及してなくて、音楽情報は海外のブートPV集のDVDをDONYの家で観て知るくらいだったし。それから下北沢のパーティで、YUSHIくんが「お前ら今日はライブうまくできるかやってみろよ」みたいに無茶振りで言ってくれたのが、自分でラップを始めたきっかけだと思う。
──そうした日常の延長からKANDYTOWNになっていくわけですね。このアルバムはそうした“日常の暮らしそのものがソウルフル”なメンバーたちの様子が描かれている、サウンドと言葉のドキュメンタリーのようにも感じました。きちんと時間の経過が曲のリリックに明記されているわけではないですが、ずっと聴いているとKANDYTOWNのメンバーの一員となって一緒に風景をシェアしているような感覚になりました。
GOTTZ KANDYTOWNは俺的には、IOくんが「やろうよ」って言ってたから始まった、って思ってる。
Neetz IOくんが仕切ったっていうのはでかい。
DONY JOINT KANDYTOWNができる前もできてからも、やってることは変わらない。ただみんなが1個になって、それがKANDYTOWNって名前になっただけ。みんな地元も一緒だし、そのほうが楽しいじゃん、ってことで。YUSHIが死んだことでなあなあになってた活動が、それでやっぱり引き締まったのかな、と。
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- 1stアルバム「KANDYTOWN」 / 2016年11月2日発売 / Warner Music Japan
- 初回限定盤 [CD2枚組] / 4500円 / WPCL-12494~5
- 通常盤 [CD] / 2700円 / WPCL-12469
収録曲
- Intro
- R.T.N
- Twentyfive
- Get Light
- Just Sink
- Evidence
- Good Die Young
- Beautiful Life
- Round & Round
- Ain't No Holding Back
- Amazing(Interlude)
- Feelz
- Song in Blue
- Scent of a Woman
- Paper Chase
- A Bad
- The Man Who Knew Too Much
- Against
- Rainy Night
初回限定盤ボーナスディスク収録曲
- Oboro
- Rap City
- Dejavu
KANDYTOWN(キャンディタウン)
東京・世田谷エリアを中心に活動する、ラッパー、DJ、ビートメーカー、フィルムディレクターからなる総勢16名のヒップホップクルー。メンバーはそれぞれ、BANKROLLやYABASTA、BCDMGなどのほかのグループや、ソロアーティストとしても活躍している。2016年3月に「Reebok CLASSIC」とコラボレートした「GET LIGHT」のミュージックビデオを制作。同年ワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビューし、11月に1stアルバム「KANDYTOWN」を発表した。