Ivy to Fraudulent Game「RE:BIRTH」特集|楽しみも喜びも共鳴できる、今だから生み出せた歌たち

Ivy to Fraudulent Gameが約1年4カ月ぶりとなるニューアルバム「RE:BIRTH」をリリースした。

今作は、群馬から上京し、オリジナルメンバーの脱退を乗り越え、新たなフェーズに突入している最中の彼らのポジティブな思いが凝縮されたポップな1枚。音楽ナタリーでは、現体制になって約1年が経過したIvyの3人にインタビュー。近年、ライブで見せる笑顔が印象的な彼らは、どのような思いを抱いてこのアルバムを仕上げたのか、話を聞いた。

取材・文 / 天野史彬撮影 / 佐藤広理

ポジティブに、ハッピーに変化

──新作「RE:BIRTH」を聴かせていただきました。新体制での出発から約1年が経ち、こんなにもポジティブで力強いアルバムが届けられたことに感動しています。

寺口宣明(Vo, G) ここ1、2年くらいで、ライブがハッピーな方向に向き始めた感じがしているんです。徐々にですけど、グッと開いた感じがするんですよね。今回のアルバムは、その空気感をパッケージしたかったんです。曲は3人がそれぞれ数曲ずつ書いているけど、それぞれの形で、その空気感が投影されているものになっている気がする。

──徐々にライブの空気が開かれていったのは、何に起因することなんだと思いますか?

寺口 ずっと“楽しいこと”をシンプルに“楽しいこと”としてやるのが苦手だったんです。俺自身もそうだし、バンドとしても、楽曲としても苦手だった。でも、「じゃあ、シンプルに楽しめる部分は俺たちが持っていないものなのか?」というと、本当は持っているものなんですよ。ただ出していなかっただけで。今はそれを出せている喜びがあるし、そんな俺たちを見て、離れた場所で聴いている人たちが頷いてくれる、ということも知ることができた。その喜びがあるんですよね。ライブが変わっていき、俺たち自身も「変わっていいんだ」と思えて……そういう実感から今回のアルバムは生まれている気がしますね。

福島由也(Dr) ライブにおける空気の変化って、最初は意識的なものだったというか、「こういう感じでやっていきたいな」という願望から始まったものなんです。でも、今は自然体でできているんですよね。「こうあらねば」という意識もなく、純粋に楽しめているということが、作品につながっているというのは、俺もすごく感じます。

──変化していく自分たちの活動に対して、聴き手が「頷いてくれている」と感じられるのは、幸福なことですよね。

寺口 コロナ禍で僕らの音楽から離れてしまった人や遠ざかってしまった人もいると思うけど、戻ってきてくれた人もいるし、「3年ぶりにライブに来ることができました」と言ってくれる人もいる。そういう人たちって、変化している今の俺たちの楽曲を聴いて、いいと認めて、ライブに来てくれているわけじゃないですか。それがすごくうれしいんですよね。対バン相手を目当てでライブハウスに来たお客さんが初めて俺たちの音楽に触れて、好きになって帰ってくれることが最近多くなっていて。そういう光景を見ると、「自分たちのやっていることを信じていいんだな」と思えるんですよね。

寺口宣明(Vo, G)

寺口宣明(Vo, G)

これを俺は「共鳴」と呼んでいる

──ざっくりした質問ですが、皆さんが思う「いいライブ」ってどういうものですか?

カワイリョウタロウ(B) 目の前にいる人の表情でこっちも動かされることってあるんですよね。僕らが発信してお客さんが反応しているという図式ではあるけど、実際はお客さんの表情にこちらも動かされているというか、相乗効果でお互いの気持ちが高まっていく。そういう状況になると、「いいライブしてるなあ」と思いますね。部分的にだけど、お客さんの表情を覚えていることもあるし。

福島 本当にいいライブをしているときって、自分がめっちゃ感動していて、身が震えるような感覚になるんですけど、その感覚を言葉にするのは難しくて。

寺口 うん。

福島 3人になって初めてやったライブのときもそうなんですよね。「これがバンドなんだ」という感覚があって、それが音になって、その音をみんなが聴いて……どんどんループして加速していく。そんな連鎖が生まれたときは、「いいライブだ」と思います。メンバー脱退みたいなストーリーがあるときはもちろんだけど、普通のライブでも、その連鎖は起こるんです。ノブがMCをして、メンバーがそれに感動して、その気持ちが音になって出るときに心から「いいライブだな」と感じますね。

福島由也(Dr)

福島由也(Dr)

──寺口さんはどうですか?

寺口 俺が思っていることと観ている人の思いが多少なりともイコールになっているときかなあ。絶対に全部がイコールにはならないんですよ。でも「なんか今、俺が思っていることを全員わかっている気がする」と思える瞬間があって。ステージとフロアって本来は離れているものだけど、そういうときに、ひとつの生き物になったような気がするんです。そんなときは、「いいライブだな」と思いますね。テンションだけでもなく、演奏だけでもない、すべてが伴ったときに、「俺もう、なんもいらねえ!」みたいな瞬間が来ますね。

──それは、「共感」という言葉で見合ってますか?

寺口 俺は「共鳴」と呼んでいるんですよね。エネルギーとエネルギーがぶつかったときに生まれるもので、「共感」というよりは、もっと現象めいたもののような感じがするんです。すごく轟音だけど、ずっと聴いていたい……みたいな感覚。

予想だにしなかった“今”を詰め込んだアルバム

──改めてアルバム「RE:BIRTH」の話をできればと。Ivyは、メンバー脱退以降もサポートギタリストを迎えて活動を続けてきました。アルバムに関しても躊躇なく制作に入っていけましたか?

寺口 アルバムを作るのに2、3年空くバンドもいるし、もちろんそれも1つの形だと思います。でも、俺たちは短めのスパンでアルバムを出してきたバンドだし、そこは崩したくなかった。もっと時間をかけて、この編成として落ち着いてから、「これが俺たちです」とアルバムを出すこともできたとは思うんですけど、今この状態だからこそ生まれるものって、たくさんあるんじゃないかな。

──そうですね。今は今しか捉えられない。

寺口 俺たちが東京に出てきたこと、メンバーが抜けてしまったこと、描いていた未来ではない未来で生まれるカオスな状態……そういうものをアルバムとして記録して出したいという気持ちがあったんです。なので、「アルバムを作るのはちょっと待とう」みたいなことはなかったですね。

──メンバーの脱退からどのようにバンドは再出発していったのですか?

寺口 ああいう事態が起きて、「バンドどうすんだ?」という話し合いはもちろんあったんですけど、「音楽をやめる」という声は出なかったんです。なんとかして音楽を鳴らしていきたいという気持ちで耐えてきた。ただ、これはサポートの方に悪く受け止めてほしくはないんですけど、「4人で鳴らす音楽だけど、正式メンバーは3人」という状況に対して、バンドとしてのメンタルが前と比べて完璧とは言えないんですよね。少なくとも、僕自身にそういう感覚はあって。でも、その中で見えてきたもの、つかんできたもの、さらには新しく歌いたいこともある。無理やり続けて潰れる、みたいなことにならなくてよかったなと思っています。

──カワイさんはどうですか?

カワイ メンバー脱退は、まさか、という出来事ではあったんですよね。自分たちには縁のないことだと思っていたから。でも、ふたり(寺口と福島)が前向きな姿勢だったので、僕はそこに助けられました。引っ張ってもらったし、だからこそ続けられているんだと思う。

カワイリョウタロウ(B)

カワイリョウタロウ(B)

──福島さんは?

福島 俺も最初はパニックになったけど、逆に、バンドとしての結束が強くなったような気もしていて。ノブが言ったこともわかるんだけど、俺は、「この3人でバンドだな」と思える感覚もありました。精神的な面での2人(寺口とカワイ)への信頼も、改めて自分の中で明確に感じましたし。

──上京することに関しては、皆さんの中でどのような決断があったんですか?

カワイ まあでも、福ちゃんはもともと東京に住んでたもんね。

福島 そう。俺だけ東京に住んでいたんで、週2で群馬に帰っていた感じ(笑)。

──カワイさんと寺口さんが東京に引っ越してきて、バンドとしての上京が完了したという。

寺口 好奇心みたいなものでもあったんですよね、東京に住みたいというのは。東京に出てきたらすべてがよくなる、なんていう確証はない状態で出てきたんですけど、少なくとも俺は群馬に生まれて群馬で育って、1年ちょっと前までそこに住んでいて。言ってしまえば、暮らしという面では、そこが世界のすべてという感じだった。そういう中で生きてきて、もしかしたら群馬にい続けたほうが精神的にも、人間関係的にも、安定はしていたのかもしれない。でも、東京に行ったら思うことも変わるだろうし、知らなかった幸せもあるだろうし、苦しみもあるだろうし……そういったことを俺は感じたくて、東京に出たいと思ったんです。年齢的にも、行くとしたら今が最後のチャンスかな、というのもあったんですよね。20代後半で、あと何年か待っていたら東京には行かないだろうなって。

寺口宣明(Vo, G)

寺口宣明(Vo, G)

カワイ やっぱり今はバンドが形を変えていく最中だからこそ、新たな挑戦というか、刺激が欲しかったというのもあると思います。東京でバンドをやることで、自分の気持ちも変わってくる部分もあるのかなって。実際、東京に出てきて出会う人の数も多くなったし、そこにはいろんな考えの人がいるし。

寺口 あと、高崎clubFLEEZという地元のライブハウスで僕らは練習をしたり、ライブもたくさんやったりしてきたんですけど、そこが閉店してしまったのも大きかったかもしれない。めちゃくちゃ東京に出てきたかったら、20歳くらいのタイミングで出てくればよかったと思うんですよ。でも俺がそう思わなかったのは、群馬が音楽をする環境としてはすごくいいからだと思うんですよね。スタジオもあるし、ライブハウスもあるし、バンドもたくさんいるし、音楽の歴史もあるし、東京からの距離もそこまで遠くはないし。ただ、FLEEZが閉店してしまったことで、「行け」ってことなのかなと思って。正直、東京に行くかどうか、ずっと揺れていたんですよ。でも、自分たちがホームとしていた音楽の場所がなくなってしまったから。それが決め手だったかもしれない。