ナタリー PowerPush - グッドモーニングアメリカ
メジャーデビュー前夜、明かされるバンドのドラマ
生きてきた中で一番悔しい思い
──それなら活動休止しようと。そのときはけっこうシリアスなムードだったわけでしょう?
渡邊 全然。超イケイケでした(笑)。「活動再開したらいきなりドカンといっちゃうんだろうなーすぐ引っ張りだこになるなー」とか思ってました(笑)。
──それから7年(笑)。
たなしん 長かったあー……本当に長かった……(笑)。
──活動休止した時期はTOTALFATとかBIGMAMAも、右肩上がりに知名度を上げていたと思うんだけど。焦りもあったでしょう?
金廣 いや、全然。「すぐ追いつくっしょ! 余裕余裕」って。
渡邊 活動休止して最初の1年くらいは余裕でしたね。
──その1年は何をしていたんですか?
たなしん 俺と幸一は、普通にレッスンに入ったり、とにかく練習していました。
渡邊 そもそも、「次のステップに行くためには実力を付けないとだめだから、各々が音楽と向き合って修行をしよう」っていうぐっそんの意見から、活動休止したんです。
金廣 俺は弾き語りでライブに呼ばれて、ひとりでいろんなとこを回って歌っていましたね。日本語の新曲を歌っていたんですけど、わりと評判がよくて。「じゃあバンドでもやれるだろう。余裕だね」って思っていたんです。でも、実際に新曲をバンドで合わせたりはあんまりしてなくて。スタジオに入っても、THE BEATLESのカバーとかやってたもんね。初歩の初歩から、ちゃんとやり直そうって。
──とにかく普遍的なロックバンドになろうとしてたんだ。
渡邊 そうですね。そんな感じで1年が経って……「そろそろやべえな」ってなり始めて(笑)。そのくらいからちょっと卑屈になってくるんですよ。どんどん閉じてきて、負け惜しみばかり言うようになって。焦りと迷いがエスカレートしていったのが活動休止2年目に差しかかるくらいですね。それで、月に1回くらい俺の家に集まって、ちょっとずつ曲を作り始めたりして。
金廣 曲に対しては本当に自信があったから。「ライブをやればいけるでしょ!」って思ってた。その頃にバンド名を現在のグッドモーニングアメリカに変えたんです。それで、水曜日の平日に八王子のRIPSで、グドモとして初のライブをやったんですよね。ブッキングライブだったんですけど。
たなしん そしたらすげえ予約が来たんですよ。for better, for worse時代のお客さんから。
渡邊 「ほら見ろ。こっからいっちゃうよー」と(笑)。
──それで、いざ新曲だけのライブをやったんだ。どうだったの?
渡邊 本当に最悪でした。もう、どこを見てライブしていいかわからなかったです(笑)。
金廣 お客さんが全員、味方の目をしていなかったですね。全然受け入れられず。お客さんは前身バンドの延長線上にある音楽を聴きに来てるはずなのに、ほぼバラードみたいな感じでしたから。それでも、悪いところが全然見えていなくて。「技術が足りないんだ、練習しなきゃ!」ってなった。
渡邊 そもそもの観点が間違ってますよね。そこからもちょこちょこと曲を作って、引き続きライブはしていたんですけど。復活してから3本目のライブで、名古屋の(CLUB)QUATTROに出たんです。それが決定的でした。俺が生きてきた中で一番悔しい思いをしました。for better, for worseをやってたときに仲良くなった、西海岸系のバンドがたくさん出てるイベントに呼んでもらったんですよ。みんな前のバンドを知ってるわけじゃないですか。だから、俺らとしてはバシッと決めたかったんですけど……本当に悲惨なライブをして。みんな何も言わないけど「前のほうがよかったのに。あいつら失敗したね」っていう目線が半端じゃなくて。
たなしん 俺、打ち上げで言われましたもん。「すまん、たなしん。俺まったくわからんわ」って(笑)。
金廣 でも、わからないって言われても、わからない人が悪いと思ってました(笑)。
平野 たぶん、それで自分らを正当化するしかなかったんだよ。それでなんとかバンドを保っていたというか。
金廣 本当そうですね。それから、5月くらいに2ndデモを作ったんです。
渡邊 閉じてる環境ではあったけど、それは本当にいいものができたんです。その当時の俺らにできる最高のものを作れたと思って。「これはようやく来た、ここからいくぞ!」と。だけどそれを出すタイミングで、影響力が一番あったドラムのぐっそんが「抜ける」って言い出したんですよ。
──なんで?
金廣 「俺も歌いたい」って。
渡邊 伝えたいことはどんどん増えてきて、書きたい歌詞も増えてきて。でもそれを歌うのは金廣で、自分じゃないっていうところもあったんだと思う。自分の求めるサウンドにバンドが付いていけてない部分もあっただろうし。それでも前までは、いい具合にすり合わせができていたけど、閉じた環境で各々閉じこもったまま成長して、ひずみが生じたんですね。そのタイミングで、ちょっと一度立ち止まって、ここから先を考えようと。
金廣 俺は、そのときちょうど「他人から提供されたものはいい前兆だ」っていう内容の本を読んでいて。「この脱退は俺が選んでないから、きっと何かのいい前兆なんだ」と考えて。話をされたその日に新しいメンバーを探しました。活動もうまくいってなかったし、田中のことが嫌いだったから。
──え、なんで?
金廣 その頃の田中はなんでも批判から入る批評家みたいになっていて、それがすごくヤだったんです。一緒にやりたいとも思ってなかったんです。ぐっそんが辞めるって言ったときに、田中は「俺も考える」って言っていたから、「絶対こいつも辞めるわ」と思ったし(笑)。だからその日に、前々から俺と一緒にやりたいって言ってくれてたドラマーとベーシストを誘って。ギターは引き続き幸ちゃんがいいなと思ってたんで、すぐ幸ちゃんに電話して。
渡邊 俺もそのときは続けるかすごく悩んだけど、金廣がそう言ってくれたことが後押しになって。まだ終わりたくないって気持ちもあったんですよ。TOTALFATやBIGMAMAがどんどん上がっていってるのに、結局何も成し遂げないまま終わるのがヤだった。
金廣 そしたら、次の日くらいに田中から電話かかってきたんです。「あ、辞める話かな」って思って出たら「俺も一緒にバンドやりたい」って(笑)。
──たなしんはどういう心境で電話したの?
たなしん 俺は辞めようと思ってたんですよ。そしたら(脱退の話をされた)翌日にたまたまBuntaが家に遊びに来て。そこでぐっそんが辞めることと、自分も辞めようと思ってるという話をしたら「もったいないから絶対やめないほうがいい」って言われて。「ドラマーなんていくらでも紹介するから、また一緒に対バンやろうよ」って言ってくれたんです。それがすごく自然に受け入れられて。「バンドやりたいな」って、単純に思ったんです。
金廣 そう言われて、俺は「えっ!?」って(笑)。もうほかの人にオファーしちゃってたし、ヤバい、計算外だと(笑)。でも、これも俺は選んでないなあって。これもいい前兆なのかなあと受け入れて。「じゃあ一緒にやりましょう」って。
- メジャーデビューアルバム「未来へのスパイラル」/ 2013年5月8日発売 / 日本コロムビア
- 初回限定盤
- 初回限定盤 [CD+DVD] / 3200円 / COZP-766~7
- 通常盤 [CD] / 2800円 / COCP-37940
CD収録曲
- ファイティングポーズ
- キャッチアンドリリース
- タイムスリップしたみたいに
- 未来へのスパイラル
- ロールプレイングゲーム
- 突破していこう
- 風で高く舞い上がれる程
- たった6文字じゃ
- あなたに逢えて
- バンバンガンガン
- 下らない毎日が
- 餞の詩
初回限定盤DVD 収録内容
- 「輝く方へリリースツアーファイナル」@渋谷CLUB QUATTRO 2012.09.30
- だけど不安です
- ウォールペーパーミュージックじゃ踊りたくないぜ
- 光となって
- 言葉にならない
- 心臓抉って
- 空ばかり見ていた
- MUSIC VIDEO「輝く方へ」
グッドモーニングアメリカ
金廣真悟(Vo, G)、渡邊幸一(G, Cho)、たなしん(B, Cho)、ペギ(Dr, Cho)による4人組バンド。2001年に前身バンドfor better, for worseを結成し、2007年より現在のバンド名に変更。for better, for worse時代は英語詞だったが、バンド名変更を機に日本語詞へと切り替え、サウンドもよりポップさを増す。2008年より現在の編成で活動を開始し、自主企画の開催やリリースを積極的に行う。2012年冬には初のワンマンツアーを成功に収める。2013年5月、1stフルアルバム「未来へのスパイラル」で日本コロムビアよりメジャーデビュー。