ナタリー PowerPush - グッドモーニングアメリカ
メジャーデビュー前夜、明かされるバンドのドラマ
前身バンドから数えると、実に結成13年目の1stフルアルバムにして、メジャーデビューアルバムとなる「未来へのスパイラル」をリリースするグッドモーニングアメリカ。ここには、グッドモーニングアメリカがグッドモーニングアメリカであるためのアティチュードがタフに刻みつけられている。メロディックパンクに出自を持っているからこそ捨てられるはずもなかった熱量。自由なサウンドアプローチと向き合うことで獲得したポップネス。そして前のめりに開かれていく歌の力。今回のインタビューでは、紆余曲折を経てたどり着いた本作に至るまでのバンドヒストリーを、メンバー全員に余すところなく語り尽くしてもらった。
取材 / 三宅正一(ONBU) 文 / 小島双葉 撮影 / 福本和洋
前身バンド・for better, for worse
──前身バンドも含めて、このバンドの始まりから教えてもらえますか。
渡邊幸一(G, Cho) 本当に最初のところから話すと、俺と金廣が高校で同じクラスだったんです。中央大学付属高等学校、略してチュウフ。
金廣真悟(Vo, G) 僕は中学のときからバンドをやっていて。でも、高校に入って組む人がいなくて。当時、僕は吹奏楽部だったんですけど、吹奏楽部にはドラムを叩ける奴がいるわけじゃないですか。そいつとバンドをやろうっていう話になって。そのとき、たまたま教室で幸ちゃん(渡邊)がギターを弾いてたのかな。お互いに家が八王子で近所だったのもあって、「一緒にバンドやろうよ」って。
渡邊 最初は僕の友達のベースを呼んでGRAPEVINEのコピーとかやった覚えがあります。その年の夏にSTATIONARY☆FRONTってバンド名で立川のACTでライブしたよね。その当時に聴いてた洋楽のカバーをやったり、金廣が早々に曲を作ってたのでオリジナルとかもやったり。
金廣 そんな感じでやってたんですけど、幸ちゃんがそのときのドラムに嫌われてるって思いはじめて(笑)。
渡邊 嫌われてるっていうか、あんまり仲良くなれなくて(笑)。その頃はスタジオに入ってめっちゃ練習するというよりも、本当にホワッとした高校生らしい感じで活動していたし。それで自然とSTATIONARY☆FRONTから離れちゃって。その一方で俺はテニス部に入っていて、そこでたなしんと出会ってたんです。その頃に同じ高校だったTOTALFATのベースくん(Shun)とかBuntaとかと仲良くなりはじめて。「俺らもTOTALFATっていうバンドでライブやってるよ」って聞いて、最初のドラムのぐっそん(野口慎介)とかたなしんとかと、みんなで観に行ったりしてたんですね。それで、「TOTALFATカッコいいし、俺らもああいうことやろうよ」って話になったんです。俺とぐっそんと、トモゾーってベースの奴とバンドやろうかって。
金廣 当時は田中(たなしん / B)がギターでしたからね。
渡邊 俺はギターやってたし、トモゾーもすでにベース弾けたし、ぐっそんもドラムを少しやってて。たなしんは楽器経験がなかったんですけど、仲良かったからギター持たせて(笑)。それが前身のfor better, for worseっていうバンドの始まりです。
金廣 最初はブタゴリラって名前だったけどね。
渡邊 そう(笑)。文化祭に出るためにバンド名を決めようってなって、トモゾーが八百屋でバイトしてたから「もうブタゴリラしかない」って。で、ブタゴリラのままライブハウスでも活動しはじめて。「そろそろブタゴリラじゃないほうがいいんじゃないかな」って話に当然なって(笑)。その当時、SLICK SHOESっていうバンドのコピーをやってたんですね。そのコピーしてた「for better, for worse」って曲がすごい好きで。後々、辞書で調べたら「いいときも悪いときもある」っていう、結婚式の誓いみたいな意味があって、いいなと。それでfor better, for worseとして、俺とたなしんがギターボーカルで、トモゾーがベース、ぐっそんがドラムで始まりました。
──それはいつ頃の話ですか?
渡邊 高校2年の終わりくらいなのかな。金廣は金廣で、STATIONARY☆FRONTを続けてて。
金廣 そう。幸ちゃんのことを嫌いだと思ってるドラムと一緒にやってました(笑)。
──STATIONARY☆FRONTはどういうバンドだったの?
金廣 どちらかというと東海岸系の音楽に近かったですね。八王子にRIPSとMatch Voxってハコがあるんですけど、その当時はきれいにシーンが2つに分かれていて。西海岸系はRIPSで、それ以外がMatch Vox……当時はブロードハートクラブって名前でしたけど。俺はそのブロードハートクラブで、マキシマム ザ ホルモンのダイスケさんとかにすごくよくしてもらっていて。
たなしん for better, for worseとSTATIONARY☆FRONTで対バンもしてたよね。企画に呼んだり、呼ばれたり。仲良くやってました。
これはもう金廣を入れるっきゃない
──そこから金廣くんがfor better, for worseに合流するまで、どういう流れがあったんですか?
渡邊 大学に上がるタイミングでベースのトモゾーが「法学部に入って弁護士になりたいから、もうバンドは続けられない」と。それが高3くらいだよね?
たなしん そうだね。俺が彼女にフラれたときだから(笑)。当時、初めてできた彼女がサチコっていうんですけど、トモゾーと付き合っちゃったんですよ。そういうのもあってバンドの空気がちょっと……(笑)。
渡邊 えっ!? それが原因だったの!?(笑)
たなしん 違うけど(笑)。トモゾーはずっと気まずそうだったから。でも結局、トモゾーは本当に弁護士になって夢を叶えましたからね。
金廣 で、サチコと結婚したんだよね(笑)。
渡邊 そう(笑)。それでベースが抜けてしまって。テニス部でもう1人仲のいいユウタっていう友達がいたんですけど、そいつに入ってもらって。その彼がギターをやりたいっていうので、たなしんがベースになったんです。
たなしん ちなみにこれ、今だから言うけど俺はギターがやりたかったんですよ(笑)。でも、ユウタは本当に仲がよかったし、コイツとバンドやりたいなと思ったので、譲ったんです。
渡邊 それで高3の終わりから新しいギターが入って、デモ作ったりしながら活動していました。でも、大学2年になる頃にユウタも「就職して普通に家族を持ちたいから、これ以上はバンドを続けられない」って。
たなしん ちなみに、彼も結婚して夢を叶えてます(笑)。
渡邊 うちのバンドにいたやつはみんな幸せになってます(笑)。それで、この先どうするかを俺とたなしんとぐっそんで話したんです。そこで「これはもう金廣を入れるっきゃない」って話になって。金廣とは高校の頃からずっと仲がよかったし、歌がうまいのも知ってたから。金廣はSTATIONARY☆FRONTを続けていたんですけど、俺から見たら精力的にライブをやってなさそうな雰囲気だったし。
金廣 STATIONARY☆FRONTはその頃、ホルモンのダイスケさんにツアーに誘われてたんですね。「ツアー回るならCD作れよ」って言われて、CDを作ってて。でもツアーの日程も全部組んでさあ全国回ろうっていうときに、メンバーの1人が「俺はこういうスタンスじゃない」って言いはじめて。せっかくダイスケさんにこんなによくしもらってるのに、期待に応えられない、困ったなあって思ってる矢先に、ぐっそんからバンドに誘われて。俺はぐっそんに対して、同年代だけどリスペクトできる部分がすごくあったので、コイツとだったら面白いかなと思って、すぐに入りました。
──バンドを移ることによって、音楽的なアプローチが変わることはなかったの?
金廣 変わるというより、むしろ受け入れてもらってましたね。STATIONARY☆FRONTが持ってた曲のキャッチーさやポップさと、for better, for worseでぐっそんが作ってた、ちょっとマニアックな音楽性っていうのが、うまいこと合わさったような感じでした。
- メジャーデビューアルバム「未来へのスパイラル」/ 2013年5月8日発売 / 日本コロムビア
- 初回限定盤
- 初回限定盤 [CD+DVD] / 3200円 / COZP-766~7
- 通常盤 [CD] / 2800円 / COCP-37940
CD収録曲
- ファイティングポーズ
- キャッチアンドリリース
- タイムスリップしたみたいに
- 未来へのスパイラル
- ロールプレイングゲーム
- 突破していこう
- 風で高く舞い上がれる程
- たった6文字じゃ
- あなたに逢えて
- バンバンガンガン
- 下らない毎日が
- 餞の詩
初回限定盤DVD 収録内容
- 「輝く方へリリースツアーファイナル」@渋谷CLUB QUATTRO 2012.09.30
- だけど不安です
- ウォールペーパーミュージックじゃ踊りたくないぜ
- 光となって
- 言葉にならない
- 心臓抉って
- 空ばかり見ていた
- MUSIC VIDEO「輝く方へ」
グッドモーニングアメリカ
金廣真悟(Vo, G)、渡邊幸一(G, Cho)、たなしん(B, Cho)、ペギ(Dr, Cho)による4人組バンド。2001年に前身バンドfor better, for worseを結成し、2007年より現在のバンド名に変更。for better, for worse時代は英語詞だったが、バンド名変更を機に日本語詞へと切り替え、サウンドもよりポップさを増す。2008年より現在の編成で活動を開始し、自主企画の開催やリリースを積極的に行う。2012年冬には初のワンマンツアーを成功に収める。2013年5月、1stフルアルバム「未来へのスパイラル」で日本コロムビアよりメジャーデビュー。