ナタリー PowerPush - グッドモーニングアメリカ

メジャーデビュー前夜、明かされるバンドのドラマ

Kick Rock MUSICとの出会い

──それくらいの時期にKick Rock MUSIC(現在の所属事務所)と出会ったんですか?

渡邊 僕たちのほうからアプローチしたんです。僕らが大学2年のときに、Kick Rock MUSICから「PUNK ROCK SOUNDTRACKS」っていうV.A.の第1弾が出る話を聞いて。その参加資料をTOTALFATのBuntaが持ってたんですね。それを、そのときBuntaと一緒に住んでたたなしんが見つけて。

──そんなに仲良かったんだ。

たなしん いや、俺はむしろベースくんの方といつも一緒にいて。そのときはBuntaとはあんまりしゃべったことはなかったんですよ。

──でも一緒に住んでたんでしょ?

たなしん 当時Buntaが「実家を出たいんだよね」って話をしてて。冗談半分で「うち来る?」って言ったら「じゃあ行くわ」って。そのノリで一緒に住み始めたんです。それで、Buntaが持ってたその資料を見つけて。GOOD4NOTHINGに始まり、いろんなバンドが名を連ねていて。それにどうにか参加したくて、急いで2曲レコーディングして、それをKick Rock MUSICに送って。そしたら「これならええやん」って返事が来たんです。

渡邊 それがfor better, for worseの全国流通盤として初の音源ですね。そこからKick Rock MUSICとつながりができました。

──平野さんは当時、彼らをどういうバンドだと思って見てたんですか?

平野"KICK"豊(Kick Rock MUSIC / FIVE RAT RECORDS)

平野"KICK"豊(Kick Rock MUSIC / FIVE RAT RECORDS)  当時は明るくてキャッチーな感じが主流だったので、ちょっとエモ要素が入ってるのが珍しいと思ってましたね。まあ演奏はへたくそやったけど(笑)。当時、メインは幸一が歌ってたもんな。

渡邊 そうです。最初のアー写は俺が一番デカいですからね(笑)。金廣は一番小さかった。

──たなしんは、今とは全然違うキャラクターだったとか。

たなしん そうですね。MCとかもほぼしてないし。

平野 でも、変な存在ではあったよな。人間的に。

金廣 MCとかは、むしろさせないようにしてたんですよ。ぐっそんと「たなしんには絶対にしゃべらせないようにしよう」って。

たなしん それ、今初めて聞いた(笑)。

金廣 ちゃんと緊張感を持って、ベースに徹してほしくて。

渡邊、ボーカルをクビに

──いろんなことが回りはじめて、当時はTOTALFATらとこのまま一緒に上がっていけると思っていたわけでしょう?

金廣 一緒にスプリット盤(2005年リリース「When The 8th Spring Has Come…」)も出しましたからね。

渡邊 大学を卒業するタイミングで、卒業制作じゃないですけど、TOTALFATとスプリット盤を出そうよってなって。そのときに、ついに俺がボーカルをクビになるんです(笑)。

たなしん それを、俺とぐっそんはずっと相談してたんですよね。「どうあいつにボーカルをやめてほしいって伝えようか」と。

渡邊幸一(G, Cho)

渡邊 忘れもしないですよ。ある日、大学でぐっそんから真面目な顔で呼び出されて。「ボーカル、これから金廣でいきたいんだよね……わかってくれるか?」みたいな話をされて(笑)。「お、おう。俺もそう思ってたよ」みたいな(笑)。

──内心、ショックではあったんだ。

渡邊 すごいショックでした。歌わせてほしかったです。今でも狙ってます(笑)。

たなしん 最初は、幸一が歌いたくて組んだバンドだったからね。

渡邊 でも、そのときに「いや、俺は歌いたいから!」って言ってたら、今こうはなってないのは確かで。

──渡邊くんはやっぱり、金廣くんのボーカリストとしてのスキルやセンスに一目置いていたからこそ、受け入れられたんでしょう?

渡邊 それはもちろん。俺がいくら練習しても敵わないなって。

たなしん 高校でもみんな言ってましたよ。「金廣は本当に歌がうまい」って。

金廣 うまいというか、うまそうに見せるのが得意だったんじゃないかな(笑)。

──でも、ソングライティングやボーカルに対する自信はあったわけでしょう?

金廣 そうですね。中学から曲を作っていたというのもあったし。あと、大学1年のときにホルモンのダイスケさんに「お前とツアー回りたいんだよ。お前の曲いいと思うから」って言われて。それがすごく自信になったのはありますね。

ワガママを言って活動休止

──でも、TOTALFATとのスプリット盤をリリースした翌年に活動休止してしまう。

金廣 まず、スプリット盤を出す前年、「heartstrings」のリリースツアー中に歌詞を英語から日本語にしようって話が出ていたんですよ。

──誰が言い出したの?

金廣真悟(Vo, G)

金廣 自然とですね。ツアーを回って、日本語やりたいなあと感じていて。それでメンバーに「日本語にしない?」って言ったら「あ、いいよ」って(笑)。そのあとにスプリット盤の話が出て、じゃあそれに日本語の曲を入れようかってなったんですけど、TOTALFATが断固拒否で(笑)。

──今では彼らも日本語詞を歌ってるけど(笑)。

渡邊 あはははは(笑)。TOTALFATとしては、高校、大学と一緒に同じシーンで過ごしてきたのに、いきなり日本語の曲を入れるのはちょっと違うでしょって。確かにそうだなと思って、じゃあ今ある曲でいいものを入れようと。そのスプリットの3曲はfor better, for worseとしての最終形態というか、名曲3曲だと今でも思います。

金廣 それでスプリット盤を出して、ツアーを回って。それが終わって、いよいよ日本語の曲を4曲レコーディングしたんですけど、全然うまくいかなくて。「こんなん絶対出したくない」って、事務所からお金も出してもらってるのにワガママを言って(笑)。

渡邊 「heartstrings」のツアーが終わったくらいから、バンドに悪い空気が出てきてたんですよね。自信過剰だったし、斜に構えていた。当時、それまでずっと洋楽を聴いていたんですけど、ぐっそんが中島みゆきやミスチルとかをすごくいいよねって言いはじめたんです。そのときは彼にすごく発言権があったし、実際、俺らもいいなと思ったんですよね。「こういうことやって、音楽で感動させたいよね」って。

ペギ(Dr, Cho)

金廣 だけど、録ったすぐあとに「出したくない。日本語で新しいシーンに飛び込もうとしてるのに、こんな状態じゃ納得できない」って、またワガママを言って。その流れで「活動休止します」って(笑)。

渡邊 今考えたらムチャクチャですよ(笑)。だって、平野さんは日本語の曲を録ったときに「じゃあKick Rock MUSICじゃなくて、君らのためにレーベルを作って、そこで出してあげようか」とまで言ってくれてたんですよ。でも「いや、そういうんじゃないんで」って断って(笑)。

──曲のどんなところがダメだったの?

金廣 単純にカッコよくなかった。ミスチルの四番煎じみたいな(笑)。

メジャーデビューアルバム「未来へのスパイラル」/ 2013年5月8日発売 / 日本コロムビア
初回限定盤
初回限定盤 [CD+DVD] / 3200円 / COZP-766~7
通常盤 [CD] / 2800円 / COCP-37940
CD収録曲
  1. ファイティングポーズ
  2. キャッチアンドリリース
  3. タイムスリップしたみたいに
  4. 未来へのスパイラル
  5. ロールプレイングゲーム
  6. 突破していこう
  7. 風で高く舞い上がれる程
  8. たった6文字じゃ
  9. あなたに逢えて
  10. バンバンガンガン
  11. 下らない毎日が
  12. 餞の詩
初回限定盤DVD 収録内容
  • 「輝く方へリリースツアーファイナル」@渋谷CLUB QUATTRO 2012.09.30
  1. だけど不安です
  2. ウォールペーパーミュージックじゃ踊りたくないぜ
  3. 光となって
  4. 言葉にならない
  5. 心臓抉って
  6. 空ばかり見ていた
  • MUSIC VIDEO「輝く方へ」
グッドモーニングアメリカ

グッドモーニングアメリカ

金廣真悟(Vo, G)、渡邊幸一(G, Cho)、たなしん(B, Cho)、ペギ(Dr, Cho)による4人組バンド。2001年に前身バンドfor better, for worseを結成し、2007年より現在のバンド名に変更。for better, for worse時代は英語詞だったが、バンド名変更を機に日本語詞へと切り替え、サウンドもよりポップさを増す。2008年より現在の編成で活動を開始し、自主企画の開催やリリースを積極的に行う。2012年冬には初のワンマンツアーを成功に収める。2013年5月、1stフルアルバム「未来へのスパイラル」で日本コロムビアよりメジャーデビュー。