東海地区最大級の無料野外ロックフェスティバル「FREEDOM NAGOYA 2024 -15th Anniversary-」が、5月18、19日に愛知・名古屋大高緑地 特設ステージで開催される。
「FREEDOM NAGOYA」は2010年にスタートし、今年15周年を迎える入場無料フェス。今年はBACK LIFT、HEY-SMITH、ROTTENGRAFFTY、キュウソネコカミ、夜の本気ダンス、忘れらんねえよらが出演し、過去13回出演したENTHが大トリを務める。音楽ナタリーではこのフェスを運営しているRAD CREATION株式会社の代表取締役社長・綿谷“wata”剛にインタビューし、RAD CREATION立ち上げの経緯や「FREEDOM NAGOYA」開催のきっかけ、印象に残っている過去のステージなどを聞いた。
取材・文 / 小林千絵撮影 / 臼杵成晃
イベント情報
FREEDOM NAGOYA 2024 -15th Anniversary-
- 2024年5月18日(土)愛知県 名古屋大高緑地 特設ステージ
- 2024年5月19日(日)愛知県 名古屋大高緑地 特設ステージ
名古屋のライブシーンを盛り上げられる場所に
──綿谷さんはどういう経緯でRAD CREATIONの社長になったのでしょうか。
もともとバンド活動をしていて、自分のバンドを売るためにイベントを企画したり、コンピレーションアルバムを作ったりしているうちに、バンドよりも裏方の業務をしているほうが楽しくなっちゃって。バンドを辞めて、名古屋のCLUB Zionというライブハウスでバイトを始めました。そこで2年ほど社員として働いていたのですが、売り上げの管理も自分の仕事だったので、売り上げを知ったときに「休みもなく長時間働いてこんなに利益が出ているのに自分の給料はこれだけ? おかしいな」と。仕事はめちゃくちゃ楽しかったのですが、それに気付いたときに独立を決めて、TRUST RECORDSというレーベルと栄R.A.Dというライブハウスを立ち上げました。
──レーベルとライブハウスを同時に立ち上げたのはどうしてですか?
もともとはレーベル運営をやりたくて会社を立ち上げたんです。だけど当時は所属アーティストが少なかったので、実際は毎日やることがなくて。「独立してレーベルを立ち上げよう」と思ったのに、結局ライブハウスも立ち上げることにしました。
──立ち上げ当初、R.A.Dにライブハウスとしてのコンセプトはあったのでしょうか?
Zionで働いていたときに、04 Limited Sazabys、BACK LIFTと出会って。彼らを筆頭に、一緒に独立した長尾健太郎が所属していたTHIS MORNING DAY、THE NINTH APOLLO所属のPipeCut Wedding、THREE LIGHTS DOWN KINGSなど、20代前半のバンドたちと切磋琢磨して名古屋を盛り上げられる場所にしたいという思いがありました。自分にとってライブハウスの人間として一緒に歩んでいくバンドは、音楽性やジャンルよりも人間性が重要で。打ち上げで一緒にバカ騒ぎできるような人が好きなので、たまたまそういうやつらがパンクバンドやメロディックパンクバンドに多かったという感じでした。
──R.A.Dは今年15周年を迎えますが、現在の名古屋のライブシーンにとってどういう場所になっていると思いますか?
R.A.Dを立ち上げてから、「FREEDOM NAGOYA」をはじめとするいろいろなイベントを開催するようになりました。そういうイベントをたくさん組むようになって、R.A.Dに出てくれたバンドから、「おかげで名古屋がほかの地区よりも一番チケットが早く売り切れた」とか「名古屋で人気が出てきた」という話を聞くことが増えて。僭越ながら……名古屋のライブシーンを盛り上げる場所の1つになれているのかなと思います。
──今お話にも挙がりましたが、R.A.Dオープンの翌年2010年に「FREEDOM NAGOYA」の初回が行われました。このフェスはどういう経緯で開催することになったのでしょう?
神戸のMUSIC ZOO KOBE 太陽と虎が主催している無料イベント「COMING KOBE」(当時は「GOING KOBE」)に影響を受けていて。当時、実際に行ったことはなかったのですが、ライブハウスが主催している大規模な入場無料イベントで、しかもすごいラインナップだという情報は知ってて、それを名古屋でもやりたいと思って「FREEDOM NAGOYA」を始めました。ちょうどR.A.Dを作ったばかりだったので、さっき言ったような20代前半のバンドを広めるきっかけにしたかったし、ツアーでR.A.Dに来てくれるバンドや、ライブを観に来てくれるお客さんに恩返ししたいという気持ちもありました。
──初開催が発表された当時、すごく驚いたことを覚えています。「名古屋で入場無料のフェス!?」と。
あの……本当に何も考えていなかったので(笑)。入場無料でやりたいと思って始めたものの「めっちゃお金かかるやん」と知って、ヒーヒー言いながらやっていました。しかも、フェス運営についての知識も経験もなかったので、やってみてダメだったところを改善していく手探りな感じで。最初は本当にいろいろな人に怒られましたね。
──「GOING KOBE」のようなフェスを、という気持ちで始めたとのことですが、太陽と虎の方と連絡を取ってノウハウを聞いたりは?
しなかったです。変な意地があって。TRUST RECORDS所属のアーティストが出るまで行かないと決めていたくらい。だからきっかけは「GOING KOBE」ですが、「FREEDOM NAGOYA」を始めてから数年は観に行ってもいないんです。
──では怒られながら、本当に手探りで。
はい。5回目まではいろいろな問題が起きましたね。
怒られ続けても開催をやめなかった理由
──初開催の2010年はどれくらいの人が集まったんですか?
2010年は2000人くらい来てくれました。そのときはステージに屋根がなかったので、今考えると雨が降ったらできなかった(笑)。それくらい何もわかっていなくて。結果的に晴れたから問題なく開催できました。
──どのようなライブが繰り広げられたか覚えていますか?
めちゃくちゃ覚えています。友達のバンドや同世代のバンドがたくさん出てくれました。back numberも出てくれましたし、CATCH ALL RECORDS、KICK ROCK MUSICの所属バンドも。まだフェスに出たことのないバンドばかりだったので、みんな「楽しい楽しい」と言ってくれましたし、初回は楽しかったですね。
──「初回は楽しかった」とおっしゃいましたが、つまり楽しくないときもあった?
はい。1年目が楽しかったから、その勢いのまま規模を拡大したいと思って2年目も開催したんです。初回の名古屋港ガーデンふ頭から、大高緑地に場所を移して。そしたら、Crossfaithのライブのときにバスドラムのヘッドが破れちゃって。予備を用意するなんて発想がまったくなかったので、急きょスタッフが近くの楽器屋まで買いに行きました。その時点でライブは1時間ほど中断。その結果、18時に終演予定だったのが19時近くになってしまい、近隣の住民の方からクレームが来まして、次の年からは16時までに必ず音を止めなくてはいけないという制約が付いた。そして2012年は後半のバンドが押し始めて。もし押したとしてもタイムテーブル通りに進めるというルールで舞台スタッフと話をしていたので、隣り合っているステージのライブが終わっていない状態で、もう片方のステージでSEを流したんです。そしたらそのSEで登場するはずのバンドから「こんな状態ではステージに上がれない」と言われてしまって……それがHEY-SMITHなんですけど。とりあえずライブはやってくれたんですが、その次のバンドに持ち時間を削ってくれないかと相談したら、「予定通りの持ち時間でやりたい」と言われて。トリはBACK LIFTだったんですが、彼らが持ち時間25分だったところを10分くらいに抑えてくれてなんと16時に終わりました。その年も本当にたくさん怒られましたね。
──本当に毎年違う問題が起こりますね。
はい。次の2013年は駐車場の問題が勃発しました。2012年は約8000人の集客だったのですが、2013年は2万人来てくれて。無料イベントなので、当日にならないとどれくらいの人数が来るかわからないんですよね。会場自体は広い公園なので2万人でも問題ないのですが、駐車場には限りがある。その結果、路上駐車する人が出てきてしまって、近隣の方にすごくご迷惑をおかけしてしまった。それもあり翌年からは「必ず公共交通機関を利用して来てください」とアナウンスをしています。そして2014年は天気が悪くて雷警報が鳴ったため、中断しながらのライブになって。前年も駐車場のことで「来年はしっかりしろよ」と言われていたので、OAUで出てくれていたTOSHI-LOWさんに「これじゃもう出れない」と言われてしまって。その次の2015年くらいから、ようやく大きな問題もなくやり切れるようになりました。それまではずっと怒られ続けていましたね。
──そこまで毎年怒られても、開催し続けたのはどうしてですか?
本当に何度かやめようと思いました。めちゃくちゃ大赤字で会社が傾きかけて、楽しいことがやりたいだけだったのにうまくいかずに「なんのためにやってるんだろう」と思う時期もありましたし。でも怒られたこともたくさんあったけど、出演者やお客さんに喜んでもらえたこともいっぱいあったんですよ。大きなフェスになかなか出られない若いバンドが「FREEDOM NAGOYA」で初めてフェスに出られたり、お客さんも「FREEDOM NAGOYA」をきっかけにバンドを好きになってライブハウスやほかのフェスに行くようになったり。そういう声を聞くたびに、やっぱり続けようと思いました。
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大トリのENTHに期待