フレデリック|「このままずっと、遊びを貫き通そうぜ」新作に込めた決意と感謝

今だからこそできたサウンド

──本作に収録される新曲4曲はすべてリモートで制作されたということですが、サウンド面にも大きな変化があって、リモート制作が見事に生かされた、逆境を味方につけたような作品ですよね。

康司 そうですね。今回はメンバー間でデータのやり取りをしたり、Zoomを使って話し合ったりしながら組み立てていったんですけど、今、生活がどんどんと変わっているじゃないですか。生活が変化している今だからこそできる、新しいサウンドを作りたいなと思って。やっぱり自分たちが今、目の前で感じたことや体感していることを表現することがミュージシャンとして大事なことだと思うんです。そういう意味でもすごく“今のフレデリック”のサウンドになっていると思います。例えば今回、リモートで生ドラムは難しかったので、ドラムのタケちゃん(高橋武)はエレドラを買ったんですよ。

──1曲目の「Wake Me Up」から、まずそのビートに驚かされました。エレクトロニクスとバンドサウンドがシームレスにつながった音作りはフレデリックの醍醐味でしたけど、今回は、ビートのエレクトロニックな割合がより強くなったことで、自由度が増しているというか。

康司 今までのレコーディング作品とは根本的にサウンド感が変わったと思います。でも「この状況だから、これしかできない」というネガティブな感じではなくて、「こういう状況だからこそ、広く視野を持って音楽に向き合おう」と、すごくポジティブに制作が進んでいった実感があって。例えば、今の洋楽のダンスミュージックは生ドラムよりも打ち込みを軸に作っているものが多いと思うんですけど、ダンスミュージックを基軸にしているフレデリックが、その潮流をさらに洗練させて表現するにはどうしていくべきか?ということを考えていく中で、今作の「Wake Me Up」や「正偽」では、それの答えを出せているんじゃないかと思うんです。

──リモート制作環境になったからこそ、同時代的なサウンドに真正面から向き合うこともできたということですね。

康司 はい。あと、例えば「正偽」は2ステップをフレデリックなりに解釈しようと思って作ったんですけど、そういうサウンド面だけじゃなくても、今回は「踊るってなんだろう?」ということをすごく考えたんです。踊るということの幅を、単純なイメージの枠の中だけで留めさせたくなかったというか。

左から三原健司(Vo, G)、三原康司(B, Vo)。

長い付き合いの“踊る”

──今は人が集まって踊れないような状況ですけど、この状況下だからこそ踊るということを深く突き詰めようとするところに、フレデリックの業を感じるといいますか。

康司 僕らはもう、長い付き合いですからね、“踊る”とは(笑)。

──そうですよね(笑)。

康司 フレデリックは常に踊るという言葉と一緒にいた感じがします。でも、どんどんと自分たちにとっての“踊る”という言葉の意味するものの幅も大きくなっていて。今は体で踊ることだけじゃなく、気持ちが“踊る”ということに対しても、踊ることの力をすごく感じるようになってきています。サウンド的な部分で踊らせることも大事なことだけど、それよりももっと深いところにある、心が踊る、気持ちが踊るという状態について考えることが多くなった。やっぱり、自分が好きなアーティストのライブを観たり、好きな映画を観たりして笑ったり泣いたり感動したりすることも、踊ることだと思うんです。今は特に、そういうことを感じることができる感性でよかったなと思うんですよね。こういう感性って、この「不要不急」という言葉が叫ばれる世の中で、一番必要なことやと僕は思っていて。なんだかんだで、これが一番人間に必要というか、これがあるから、人間らしくいられると思うんです。

──心が踊るからこそ、人間は人間でいられる?

康司 うん、めっちゃ必要なものだと思います。もう「衣・食・住・踊る」みたいな(笑)。

──ははは(笑)。

康司 こうやってみんなが同じように大変な事態に直面しているときだからこそ、ときに誰かを傷付けてしまいそうになることもあると思うんです。そんなときだからこそ、芸術に触れて喜怒哀楽の全部を使って心を踊らせることができる人は、自分以外の人に対しても優しくできると思うし、いろいろなことに気付けることもあると思う。例えば「こういうことは言っちゃいけないことなんだ」とか、そういうことに対する想像力や感受性って、芸術に触れることによってすごく育てられるものもだと思うんですよね。

たかが音楽、されど音楽

──健司さんにとって、踊るという言葉はどういった意味を持ちますか?

健司 踊る、ということを広く捉えているバンドだと思うんです、フレデリックは。それは康司が言う「心が踊る」というのもそうだし、あと例えば、僕らには「TOGENKYO」という曲があるんですけど、桃源郷という言葉も、自分たちが表現したいものを広く捉えることができる言葉で。そのうえで、フレデリックにとっての踊るとは何か? 遊ぶとは何か? 桃源郷とは何か? そういうことを突き詰めていったときに、行きつくものは絶対に前向きなものなんですよ。ワクワクして、高揚感があって、楽しめるものが、最終的に行きつく先にはある。そこに僕らが音楽で体現したいものがあるんだろうなと思います。

──2曲目の「されどBGM」は先行配信された曲ですけど、冒頭で話してくださった音楽に対する思いが、非常に実直に歌われていますよね。

康司 そうですね。「音楽なんて不必要だ」という声が聞こえてきたときに、「自分にとって音楽ってなんなんだろう?」ということをすごく考えましたけど、これってミュージシャンだけの話でもないと思うんですよ。世界中で「自分の仕事は不要なんじゃないか?」と思わされた人たちはたくさんいると思う。

──そうですよね。

康司 でも、どれだけ「たかが音楽」と言われようが、音楽を生業にしている以上、僕は「されど」と思っていたいし、どれだけ「たかが」と思っている人たちがいたとしても、その「たかが」の中にある小さな歯車で動いているものはたくさんあるんです。その存在にどう気が付くことができるのかということは、今、すごく重要なことだと思うんですよね。さっきの“踊る”の話にもつながりますけど、「されどBGM」は、みんながいろいろな感受性を持ったり、いろいろな考えを持って生きていけたらいいよなという気持ちから生まれてきた曲でもあって。自分が今、ミュージシャンとして何をするか?ということを考えた末に生まれた1曲でした。

──この「されどBGM」は、このコロナ禍だからこそ強く刺さってくる曲でもありますけど、やはり主題となる部分はすごくフレデリックらしいというか、思えばフレデリックは、音楽の中で音楽について歌う曲が多いバンドですよね。

健司 そうなんですよね。もともと音楽について歌う曲がすごく多くて。この「されどBGM」のメッセージも、このコロナ禍がなかったとしても、僕たちの中から出てきていたメッセージだと思うんです。だからコロナ禍だから生まれた曲というよりは、もともと言ってきたことが、この状況になったことでメッセージとしてより強くなったという感じだと思います。「されどBGM」ができたときは、フレデリックの芯がブレることなくここまで来たんだと実感しました。