音楽ナタリー PowerPush - ドレスコーズ

“解放”の真意

バンドが変わるためにドーピングが必要だった

──その片鱗は、「バンド・デシネ」のレコーディングの最後に録ったという「ゴッホ」の冒頭のラップパートからもうかがえました。

そう。あそこからもっと先に行く上で、三浦さんと一緒にやってみたかった。今回「メロディ」では三浦さんと詞を共作してますけど、それも最初から念頭に置いていたアイデアです。

──なるほど。ただ、いきなり三浦さんのラップで始まる「メロディ」のような曲は、かなりの驚きでした。

志磨遼平(Vo)

これは大前提として言いますが、突然外部のミュージシャンが作品の制作に関わるようになったバンドというのは、健康な状態ではないんです。これは絶対に。歴史的に見ても、そういうことが起こるときというのは、だいたいバンドがヤバいときなんですよ。

──(笑)。

それでも、どうしてそんな決断をしたかというと、僕らが短期間での変化を必要としていたからです。自分たちだけで何か新しいものに取り組み、それが血となり肉となり、1つの素晴らしい作品として昇華するには、どうしたって長い時間がかかるんです。でも、僕らにはそんな時間はなかった。

──例えば今年アルバムをリリースした銀杏BOYZは、新しい自分たちの音楽を手に入れるために、外部の人間を完全にシャットアウトして制作に没頭して、結局は前のアルバムから9年という時間と、メンバーの離脱という事態を招いてしまいましたよね。

志磨遼平(Vo)

それだけバンドがバンドの内部だけの力で変わるのは難しいし、時間がかかるということだと思います。そして、銀杏BOYZとは違って、僕らはそのために何年も時間をかけることはできない環境に身を置いているバンドで。レコード会社との契約の中で、ある程度守らなくてはいけない制作のペースというものがある。

──はい、普通はそうです(笑)。

なので、バンドが変わるためには今作のような思い切ったこと、ある意味ドーピングをする必要があったわけです。これはレコード会社の移籍とも関わってくる大きな話になってくるのですが、選択肢としてはこれまでのような(メジャーレーベルという)環境を手放して、自分たちのペースで音楽をじっくりと生み出していくという道もあったんです。でも、僕らはこれまでよりもさらにバコーンとカマしていける場所に自分たちの身を置きたかった。爆発的な未来を目指して、コンスタントに作品をリリースしながら、常に勝負をしていくという道。ドレスコーズにとっての正義というのは、そこにあると自分は信じているので。

自分の否定が自分を音楽に向かわせてきた

──先ほど「ダンスミュージックの解放」というのは「ドレスコーズのポテンシャルの解放」と言っていましたが、実はこの作品で最も解放されているのは志磨遼平のソングライターとして、そしてシンガーとしてのポテンシャルなんじゃないかと思ったんですよ。

ありがとうございます。僕はね、ダンスミュージックというのは要するに人間の思考を介さずに、自然に身体が動くこと。いわば脊髄反射のようなものだと思うんですね。で、そのときに不要になってくるのは言葉、つまりは歌詞と、その音楽の発信者なんですよ。

──いわゆる、カリスマ性ですよね。

志磨遼平(Vo)

カリスマ的なもの。宗教的なもの。アイツのメッセージに俺たちはついていこう、みたいな構造とは真逆のものがダンスミュージックで。要するに、そこで一番邪魔になるのは自分自身だったんです。で、これはたぶんなんですけど、僕はドレスコーズを始めたときから自分の“個”を打ち消そうとしてきたんじゃないかって思うんですよ。

──でも、それはものすごく大きな矛盾を孕んだ話ですよね。多くの人が求めていたのは、志磨遼平のニューバンドだったわけですから。

だから、ドレスコーズがダンスミュージックに取り組むということは、自分が音楽そのものに向き合うことと同じことなんです。難しいのは、ここでこうして自分1人で話していること自体が、最もダンスミュージックからは遠い事象になっているわけですけど。少なくとも僕にとってこの作品は、「音楽の中に僕という存在が必要なのか?」という問いかけそのものなんです。僕は音楽の中にすべてを求めてきたけど、そのすべてには自分は入ってないんです。自分以外のことしか求めてない。これは中学生くらいのときからそうなんですけど、自分を否定すること、自分を好きになれないということが、自分を音楽に向かわせてきたわけです。「僕はもっとこうであるべきなのに」という自分への反意、一種の変身願望を、ずっとロックンロールという言葉に置き換えてここまでやってきて。自分をどんどん置き去りにして、できるだけ自分から遠くに行きたかった。だからいろんな音楽を聴いて、音楽を作ってきた。その自分から逃げていくレースの過程で、最も遠くまで来てしまったのがこの作品なんじゃないかと。今、ふと思いました。

「Hippies E.P.」とは

──以前のインタビュー(参照:ドレスコーズ「バンド・デシネ」特集 志磨遼平ソロインタビュー)で、「『バンド・デシネ』というのは、作品自体が志磨さんのロックンロール論でありポップ論ですね」ということを僕は言ったんですけど、つまりあの時点で作品の中に志磨さんはいなかったと思うんですよ。そして、今回の「Hippies E.P.」はそこからさらに「論」まで取り払ってしまったら何が残るかという、そういう試みなんじゃないですか?

志磨遼平(Vo)

そう。でもそれを突き詰めると、僕が完全に消えること。つまり、僕が歌と演奏に参加しないという発想になるんですよね。僕はメンバーが鳴らしている音楽を聴いているだけという。実は今作の制作の過程でその境地に行きかけたんですけど、そこまで行ってしまったら、それはもう引き返さざるを得ないですよね。結局、僕がこの作品でも歌を歌ってしまったということは、断崖絶壁の上から音楽の深淵を一度のぞいて、そこから引き返したという意味です。だから、本当のことを言うと、この作品はダンスミュージックではないのかもしれません。ダンスミュージックをテーマにしたポップスかもしれない。

──先日の野音のライブ(参照:ドレスコーズ野音公演、三浦康嗣迎え新機軸)で、わりと前後の脈略のないところで、突然MCで志磨さんが「最近わかったことがあるんだけど。今思うと僕は間違ってなかった。僕が間違うはずない。僕は絶対正しい!」と叫んでいたのがとても強く印象に残っているんですけど。あれは、なんだったのでしょうか?

あれはまさに、この「Hippies E.P.」を作ったあとの結論だったんですよ。僕が今までたどってきた道というのは、先程も言ったように「自分というものの否定」なんです。「音楽よ、どうか僕を別人のようにしてください」という一心で音楽をやってきた。その行き着いた先が、音楽の中に自分がまったく存在しない断崖絶壁のような場所で。一度そこから引き返してしまった今の自分にとって、これから音楽をやっていくとしたら、それはもう自分の肯定でしかない。さらに言えば、あの「僕」というのは、音楽を聴くすべての人のことです。音楽とはすべての人の人生を肯定するためにある。

──ああ、なるほど。でも、それは本当に大きなターニングポイントですね。

めっちゃくちゃデカいです! だから、この「Hippies E.P.」という作品は、音楽の中から消え去ってしまいたかった自分にとっての最後の作品なんです。

ドレスコーズ
ドレスコーズ

志磨遼平(Vo)、丸山康太(G)、菅大智(Dr)、山中治雄(B)による4人組ロックバンド。2012年1月1日に山中を除く3名で初ライブを実施し、同年2月に山中が加入して現在の編成となる。6月には大阪、名古屋、横須賀で「Before The Beginning」と題したツアーを突如開催。7月に1stシングル「Trash」をリリースし、タイトル曲は映画「苦役列車」主題歌に採用され話題を集めた。12月に1stフルアルバム「the dresscodes」、2013年11月にフジテレビ系アニメ「トリコ」のエンディングテーマ「トートロジー」を含む2ndフルアルバム「バンド・デシネ」を発売。2014年4月にキングレコード内EVIL LINE RECORDSへの移籍を発表し、9月に移籍第1弾作品として5曲入りCD「Hippies E.P.」をリリースする。