「DOUBLE FANTASY - John & Yoko」|茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ)が受け継いだジョン&ヨーコからのメッセージ

人生経験を積むにつれてわかったヨーコのすごさ

──茂木さんは少年時代、ヨーコさんにはどんなイメージを持っていましたか?

すごく正直に言うと、「ジョン・レノンのちょっと風変わりな奥さん」って印象だったんじゃないかな。やっぱり、好きなのはあくまでジョンのほうであって。ヨーコさんの存在はその肩越しにしか見えてなかったと思う。要は子供だったんですよ。だから2人が共作した最後のアルバム「Double Fantasy」と、死後リリースされた「Milk And Honey」からジョンの曲だけダビングして、自分用のカセットテープを作ったりしていました。振り返ると本当にお恥ずかしいけれど。

──すみません。まったく同じこと、私もやりました。

ですよね(笑)。でも自分が大人になり、それなりに人生経験を積むにつれて、ジョンの妻ではなくヨーコさん本人のすごさ、偉大さがわかってくる。例えば彼女がジョンと本当に対等なパートナーシップを結ぼうと格闘し続けたからこそ、ジョンも自分自身をアップデートできたわけですし。「Imagine」とか「Starting Over」「Woman」などの名曲も生まれたと思うんですよね。最初にもお話ししましたが、今回の「DOUBLE FANTASY」展を見ていると、その過程がリアルタイムで本当によくわかる。もちろん順風満帆なときだけじゃなくて、別居時代のゴタゴタもしっかり見せてくれるでしょう。

──1973~74年、いわゆる「失われた週末」時代ですね。

「DOUBLE FANTASY - John & Yoko」を鑑賞中の茂木欣一。

この時期の展示も、僕にはすごく面白かった。ヨーコさんから追い出されて、最初こそ独身生活を満喫していたジョンが、寂しさから次第にやさぐれて、飲んだくれていくんですね。その様子が写真と発言からリアルに伝わってくる。結局はヨーコさんのもとへと戻って、やがて息子のショーンくんを授かり、5年間の主夫時代に入っていくわけだけど。スーパースターなのにとことん正直で、人間臭いところに親近感が湧くというか、愛らしかった(笑)。

シンコーミュージックより2020年12月8日に刊行された 「ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」表紙。

──この別居時代については、ジョンが亡くなる少し前のインタビューで、2人とも詳しく回想しています。このほど「ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版」として復刊されましたが、ヨーコさんはそこでこんな発言をしてるんですね。「私がジョンと出会ったばかりの頃、彼にとっての女性というのは、そばで仕えてくれる人たちのことだった。彼は心を開いて私と向き合わないといけなかった」。一方のジョンは「彼女が先生で、ぼくは生徒だ。ぼくは有名で、何でも知ってると思われているが、実は彼女のほうが教える側なんだ」と繰り返し語っています。

すごいなあ。40年も前のインタビューなのに、ほとんど今日そのまま通用しますもんね。考えてみれば今回の「DOUBLE FANTASY」東京展は、2020年の10月9日、ジョンの80回目の誕生日からスタートしたでしょう。言葉を換えると、ジョンが駆け抜けた40年に対して、ジョン不在の40年が流れたことになる。そんな節目のタイミングに、2人が発してきたメッセージをもう一度受け止めてみることには、大きな意味があると思うんです。

──確かに。まさにそれにふさわしい、充実した内容ですよね。

数字そのものに意味はないと言う人もいますが、僕はあると考えています。フィッシュマンズというバンドで佐藤(伸治)くんというメンバーを亡くしているからかもしれないけれど、節目ごとに大切な人について改めて思い出したり、新たに知ってもらう努力を重ねることは、すごく大事。特にジョンとヨーコさんの場合、どの表現やメッセージも今の時代にしっかりつながってる感じがあるでしょう。さっき話題に出た男女の関係や、平和・反戦運動にしてもそうですし。結婚直後の会見で2人が実践した「バギズム」もそう。人の属性には捕らわれないという発想は、昨今のBLM運動と重なるんじゃないかなと。

「ベッドイン」の写真の横に佇む茂木欣一。 「DOUBLE FANTASY - John & Yoko」を鑑賞中の茂木欣一。

──ジョンの言葉を借りるなら、「袋(バッグ)の中に入っちゃえばみんな同じ」というパフォーマンス。1969年、「ベッドイン」の直後に実践されました。

そうやって考えていくと、2020年にこの展覧会が東京で開催された意味って、やはり大きい気がしてきます。実際、2人が「GIVE PEACE A CHANCE」や「WAR IS OVER!」を掲げて40年が経っても、世界はいまだに同じメッセージを必要としている。それ自体は悲しいことですが、大切なことは言い続けなきゃいけないし、伝え続けなきゃならない。「DOUBLE FANTASY」展の会場を回っているうちに、天国のジョンから「ところで、2020年の君たち、どうなの?」と問いかけられている感じがしてきますもん。

──単なる回顧展に止まらない、現実に働きかけるアクチュアルな力が、この展覧会にはあると?

うん、その通り。僕は、オノ・ヨーコという人の生き方がそれを物語っていると思うんです。だってジョンが亡くなってから40年間、彼女は1回も途切れることなくメッセージを発し続けてるわけじゃない? 戦争反対。銃の規制。女性の権利。平和への祈り。そのエネルギーと不屈の姿勢は、どんなに尊敬しても足りない気がする。今回の「DOUBLE FANTASY」展に全面的に協力されたこと自体、彼女にとってはきっと生涯続けてきた活動の1つなんだろうなって。そんなふうに思えるんですよ。

2人のエネルギーと誠実な生き方を肌で感じて

──まだこの回顧展を観ていない人に、茂木さんからは何を伝えたいですか?

ニューヨークのセントラル・パーク内ストロベリー・フィールズを再現した「Imagine」の円形モザイクの上で。

とにかく会場に足を運んで、2人のエネルギーと誠実な生き方を肌で感じてほしい。それだけで十分です。ジョンとヨーコや、ビートルズについて知らない若い子たちも、きっと何かを感じとれると思います。僕も、娘を連れてぜひまた訪れたいです。

──最後にもう1つだけ、シンプルな質問を。会場をぐるりと回って、茂木さん自身もっとも心が動いた場所はどこでしたか?

あー、それはやばい質問ですね(笑)。全部大好きなんですけど……もうすぐ53歳の僕としてはやっぱり、1980年のニューヨークかな。もちろん僕たちは、その年の12月に、彼らが住んでいたダコタ・ハウスの前で悲劇が起きることを知っている。だからフロアを歩いていても、つらい気持ちになります。だけど残された写真や映像を見る限り、この年のジョンとヨーコさんって、本当にいい表情をされてるんですね。穏やかで、しかも生気に満ちていて。

──本当に。まったくそうですね。

ねえ。最愛のショーン君もすくすく育ち、5年ぶりに2人で「Double Fantasy」というアルバムも作って。さあ、ここから音楽家としてスターティング・オーバー(再出発)するぞって充実感に満ちているでしょう。それを肌で感じられるのは、やっぱり楽しい。例え最悪の結果が待っていたとしても、その瞬間には確実に、2人にとって最高に幸福な時間が流れてたんですよね。

「DOUBLE FANTASY - John & Yoko」を鑑賞中の茂木欣一。

※記事初出時、内容の一部に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。


2020年12月16日更新