ナタリー PowerPush - 電気グルーヴ
アルバム誕生エピソードから不味い蕎麦屋の話まで! 本音トーク満載のロングインタビュー
今のマイブームは相撲ですか?
——僕は「J-POP」を聴いたときに、全体的にDAFやLiaisons Dangereusesなどといったジャーマンニューウェーブを思い出したんですが、それに対して「YELLOW」は全体的に昔のアシッドハウスをテーマにしているように感じました。この短期間に2人のマイブームのようなものが変わったのかな、なんて思ったんですが。
卓球:僕にジャーマンニューウェーブがマイブームかって質問するのは、デーモン小暮を捕まえて「今のマイブームは相撲ですか?」って聞くようなもんですよ(笑)。たぶん、自分たちの中で興味があるのが今は初期のアシッドハウスとか、トランスじゃないTB-303モノとかだったりするので、その辺で違いが出てきたのかなと。例えばジャーマンニューウェーブだったりの要素を「YELLOW」で意図的に排除したっていうことは全然ないです。
瀧:アシッドハウスってスカスカでちょっといなたくて、でも方向性はパンクみたいな感じじゃないですか。そんな感じが今ちょうど心地よかったっていうのもあるんですけどね。
卓球:でも特に若い子たちとかだと303の音を聴いてすごくジャーマンだと感じる人もいるし、それは捉え方の問題だよね。
瀧:若い子は屈託なく聴けると思うんですけどね。これはアレみたいだとか深く考えずに。
卓球:かえっていろいろ考えずに聴ける人のほうが素直に楽しめると思うし、なるべくそういう風に聴けるように自分たちも作ってるつもりなんだけど、それが結果的により深く考えさせてしまうっていうのが昔からよくある電気グルーヴのパターン(笑)。
——「J-POP」も意味深なタイトルだと思われてましたよね。
卓球:そうそうそう。別にみんなが思ってるほど僕ら何にも考えてないっすよ(笑)。
僕の本業って何だと思います?
——ちなみにこのアルバムで最初に作った曲はどれですか?
瀧:完成したのは「さんぷんまる」じゃないかな?「Mojo」かな?
卓球:作曲した時期だったら「FAKE IT」だな。InKの1stを作ってたときだから。
——え、そんなに前なんですか!
卓球:あれ、もっと古いのあるんじゃないかな。「湘南アシッド」とかもっと前じゃない?
瀧:「湘南アシッド」は2006年?
卓球:InKの1stっていつ?
スタッフ:あれも2006年ですね。
——やはりInKでの活動が現在の電気グルーヴにつながってる部分もあるんでしょうか?
卓球:もちろんアレを経てコレになってるっていう部分はありますよ。例えばよそでやったワンショットのリミックスとかプロデュース仕事とかは関係ないんだけど、アルバム単位でやったことに関してはだいたい電気グルーヴにつながってるかな。でもしょせん遊びでやってることですよ。電気もInKも。本当に(笑)。
——だとすると本業は何なんですか?
卓球:いちばん一生懸命やってることですか…?それが見当たらない(笑)。
瀧:本業、ないですねえ。僕の本業って何だと思います?
卓球:瀧に本業を聞くっていうのはすごく哲学的な質問ですね。
瀧:禅問答みたいな感じですね。
卓球:本が1冊作れるくらいの(笑)。
CD収録曲
- Mojo(CM mix)
- No.3
- さんぷんまるのうた / Sanpunmaru No Uta(Album mix)
- Mole~モグラ獣人の告白 / Mole~Confession of Mole Man
- どんだけtheジャイアント
- Acid House All Night Long
- ア.キ.メ.フ.ラ.イ. / A. Ki. Me. Fu. Ra. I.
- The Words
- 湘南アシッド / Shounan Acid(Album Edit)
- Area Arena
- Fake It!
初回限定盤DVD収録内容
- Mr.Empty
- ズーディザイア
- 半分人間だもの
- モノノケダンス
- 少年ヤング
- Cafe de 鬼(顔と科学)
プロフィール
電気グルーヴ(でんきぐるーぶ)
80年代後半にインディーズで活動していたバンド・人生の解散後、石野卓球とピエール瀧が中心となり結成。テクノ、エレクトロを独特の感性で構成したトラックと、破天荒なパフォーマンスで話題になる。1991年にアルバム「FLASHPAPA」でメジャーデビューを果たし、同年に砂原良徳が加入(1998年に脱退)。1995年にベルリンのレーベルからシングル「虹」がリリースされたのをきっかけに、海外での活動もスタートさせる。1997年にリリースしたシングル「Shangri-La」が爆発的なヒットを記録。2001年、「WIRE01」のステージを最後に活動休止に突入する。その後はそれぞれソロ活動に専念するが、2005年に再始動。2008年には8年ぶりのアルバム「J-POP」をリリースしている。