ちゃんみな|痛みを美しさに変えて、とがり続ける20代の幕開け

祖母から母へ、母からちゃんみなへ、代々受け継がれてきた言葉

──移籍第2弾シングル「PAIN IS BEAUTY」はどのような経緯で書いたんですか?

10月14日で20歳になったんですが、「ハタチって大事なものだ」っていう思いが小さい頃からあって。20歳になったときにはそのことを噛みしめる曲を絶対に出したいっていう思いがまずあったんです。

──自分の人生に節目を付けるために曲を書いておきたかったと。

そう。そのときに「ハタチになったあ!」とかじゃなくて、これまで生きてきて学んだことを言いたいなと思って。それは何かと言うと、苦痛とか痛みは美しさにつながるということ。その思いを伝えたかったので、ラップもシンプルにして、ただ歌うっていう感じで作っていったんです。

──痛みやつらさは美しさにつながるという考え方は、いつ頃芽生えたものなんですか?

ちゃんみな

ずっと言われてたんです、お母さんに。「Pain is beautyだよ」って。お母さんもお婆ちゃんから言われていて。

──格言めいたものとして親子代々言い継がれてきた。

そう。「今、努力していれば将来大変なことにはならないからさ」とか、「今勉強しとけばあとで困らないよ」とか。大きくまとめて痛みと言ってるだけで、小さな努力とか苦労とか、そういうことだと思っていて。それを小さい頃から言われてきたから、ずっと頭にあったんですけど、19歳になったときに「ああ、そうかもしれない」と理解して。私が今まで経験した悲しみ、失恋、努力、悔しさ……そういうものがすべてアートになることに気付いたんです。

──サウンドは叙情的でダークなロック寄りのアプローチで、最近のエモラップを少し想起しました。

高校1年生のときに生まれて初めて曲を書いたんですけど、それがこういう歌い上げる系でラップはシンプルで、っていう曲だったんです。それをリニューアルした感じにしたいなと思って、こういう曲調にしました。

──自分の原点を見つめ直したところもあると。

そう。私が音楽を好きになったきっかけのジャンルに一番近い感じの曲調なんですよね。たとえばBIGBANGの「HARU HARU」みたいな。悲しい系のシンプルなラップと言うか、叙情的で、今風に言うとエモい曲。当時はそういう曲ばっか聴いてたから。

やっと気付いた羽根のようなファンの存在

──2バース目の途中に「疲れたらここにおいで 大切な人達にそんな歌を歌っていたい」とありますが、これは今のちゃんみなだから書けたフレーズかなと思ったんです。デビューから2年経って、ファンやリスナーの存在を実感し始めたから書けた歌詞なのかなと。

そうなんです。「愛されていたのに気がつけてなかった」っていう歌詞がまさにファンのことで。デビュー当初は嫌なことを言ってくるヤツが気になっちゃって、ファンの子たちが声をかけてくれていることに気付けていなかったんです。でもそのことに気付いたら書けた。1バース目は小さい頃の私へのエールで、2バース目からは今の私のことを書いてるんです。「戦ってみせてよ」っていうのはファンの子にも向けてるし、自分にも言ってて。「私にだけは常識を求めんな」っていうのも最近本当に気付いたことで、常識を求められて苦しくて「世間は冷てえ、ああ嫌だ嫌だ」と思っていたんです。そんなときにファンの子たちの存在に気付いて、愛されていることを知り、「あなたたちがいるからもう何を言われてもいいや」っていい意味で開き直れた。そういう気持ちを書きました。

ちゃんみな

──今現在、ちゃんみなさんにとってファンはどんな存在ですか?

なんて言ったらいいんだろうな……羽根みたいな感じ。

──自分を飛翔させてくれる翼ということ?

いや、私に羽根が生えるわけじゃなくて。

──羽毛布団の中に入ってる羽根みたいな?

そうです。ああいうイメージ。すごくきれいなんだけど、軽くてフワフワしてて、だからこそ愛おしいんですけど。うずくまってると気持ちいいし、温めてくれる。ですけど、何かちょっとしたことでフワっと飛んでいなくなっちゃうんじゃないかなって。

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20代もとがっていたい