HANAインタビュー|咲き誇る7人の個性、そのルーツ

BMSGとちゃんみながタッグを組んだガールズグループオーディション「No No Girls」より誕生した7人組ガールズグループ・HANAが、春にソニー・ミュージックレーベルズよりメジャーデビューする。

2023年11月に開催が発表され、募集期間を経て2024年に始動した「No No Girls」。同年10月に番組の配信がスタートすると、オーディション参加者たちの奮闘と、ちゃんみなの愛にあふれた指導が毎回話題を呼んだ。そして今年1月に神奈川・Kアリーナ横浜で行われた最終審査「No No Girls THE FINAL」では、オーディションを通して、飛躍的な成長を遂げたファイナリスト10名がグループ審査とソロ審査で圧倒的なパフォーマンスを披露。YouTube配信の同時接続数は56万人越えを記録し、視聴者に大きな感動を巻き起こした。

音楽ナタリーでは、最終審査のグループ審査と同じ組み合わせの2組に分けて、HANAのメンバー7人にインタビュー。それぞれの音楽的なルーツやパーソナリティ、各チームでの練習のエピソード、HANAとして成し遂げたいことなどを聞いた。

取材・文 / 岸野恵加撮影 / Yuri Horie

「No No Girls」とは
No No Girls

BMSGとちゃんみながタッグを組んだガールズグループオーディション。

「身長、体重、年齢はいりません。ただ、あなたの声と人生を見せてください。」という応募メッセージが掲げられる中、国内のみならず韓国やアメリカをはじめとした世界各国から、7000通を超える応募が集まった。

プロデューサーであるちゃんみなは、見た目や声に対して「No」を突きつけられ、ガールズグループを志すもデビューすることが叶わなかった過去があり、オーディションには彼女と同じように「No」を突きつけられ、自分自身を否定してきたガールズ30人が集結。ちゃんみなだからできる指導と審査、そしてBMSGが掲げる“才能を殺さないために”というスローガンのもと、参加者たちを世界で活躍できるガールズグループへと導いていった。

No No Girls
HANAメンバープロフィール

CHIKA

CHIKA

5歳の頃に始めたダンスとボーカルの実力は圧倒的で、特に芯の太いロングトーンやフェイクの迫力は唯一無二。オーディションを通して自信を付けていく姿は、多くの人の感動を呼んだ。恐竜マニアで、絵が上手。

NAOKO

NAOKO

小2の頃にダンスを習い始め、ちゃんみなから「実力の暴力」と称されるほどの抜群の歌唱力とダンススキル、ステージでの高い表現力で人々を魅了する。努力を怠らず、穏やかな性格。

JISOO

JISOO

韓国出身。17歳から2年間韓国の事務所で練習生生活を送る。高い歌唱力を誇り、ちゃんみなからは「素晴らしい声」と惚れ込まれた。完璧を目指しすぎて一時は自分を追い詰めてしまったが、オーディションを経て殻を破った。

YURI

YURI

パフォーマンスにおいて感情があまり表情に出ないことを何度も指摘されるも、最終審査の「ハレンチ」のソロステージでは、凛とした感情豊かなステージを見せて覚醒した。実直で落ち着いた性格。

MOMOKA

MOMOKA

深みのある低音ボーカルと、キレのいいラップが最大の武器。オーディションでは「ストイックさが足りない」とちゃんみなに指摘され、ダンススキルの向上が課題とされたが、努力を重ねて見事な成長を見せた。

KOHARU

KOHARU

ダンサーの母・姉のもとで育ち、15年以上のダンス歴を持つ。明るい性格で包容力があり、ちゃんみなからも「KOHARUのいるチームはいつも雰囲気がいい」とたびたび称えられた、HANAの太陽。

MAHINA

MAHINA

かわいらしい最年少ながらダンス歴9年で、ステージでは圧倒的なカリスマ性を放つ。3次審査では一度見送りという結果となるも、ちゃんみなにラップの才能を見出され、唯一3.5次審査を受けて見事合格を果たした。

KOHARU、JISOO、MAHINA、YURIインタビュー

憧れのアーティスト

──まずは皆さんがアーティストを志したきっかけと、自分のルーツになっている、または憧れているアーティストを教えてください。

JISOO 自分でも不思議なのですが、特別なきっかけはなくて。もともと音楽は好きだったけど特に歌はうまくなかったし、音楽をやろうと思ったこともなかったんです。高校2年生のときに突然「音楽をやらなきゃ」と思い立ち、韓国の芸能事務所で練習生になって、音楽を本格的に始めました。大好きなアーティストは、ホールジーさん。彼女の強いパフォーマンスが大好きで、「こんなふうになりたいな」と思いながら何回も映像を観ています。

YURI 私は今高校生なのですが、卒業後の進路として、自分が好きなことを考えたときに「ダンスと歌しかない」と思い、アーティストを目指し始めました。憧れは、宇多田ヒカルさんと椎名林檎さん。特に歌詞が大好きで、読み込みながら聴いています。

MAHINA 小さい頃からいろんなアーティストさんのライブに行っていて、お客さんが感動して泣いたり、笑顔になって帰っている姿を見て「私もこんなふうに人を幸せにしたい」と思うようになりました。好きなアーティストさんは絞りきれないですが、ONE OK ROCKさんがめちゃくちゃ好きです。

KOHARU 小さい頃から母にダンスを習っていて、ジャズダンスやクラシックバレエ、コンテンポラリーと、いろんなジャンルに触れてきました。そうするうちに、子供の頃から音への関心が高まって、「体で表現するダンスだけではなく、もし言葉でも表現できるアーティストになったら?」と想像するようになったんです。好きなアーティストは、両親がよく聴いていたDef Techさん。寄り添ってくれる歌詞が、自分の救いになる感覚があります。

──ジャンルが幅広いですね。メンバー間でよく、好きな音楽をオススメし合ったりもしますか?

YURI はい!「この曲聴いてみて」とよく教え合います。

KOHARU みんなのプレイリストを流したり、「この曲は何?」と聞き合ったりしているよね。

どんな子供だった?

──「No No Girls」では、皆さんの成長し続ける姿と不屈の精神に何度も感動させられました。そんな皆さんのパーソナリティはどう培われたのかが気になるのですが、幼少期はどんな子供でしたか?

MAHINA 私はものすごくやんちゃで……小学校時代は授業を抜け出したり、友達とたくさんケンカしたり。

KOHARU ええ!(笑)

MAHINA 人前に出ることも大好きで、何をするにしても最初にやりたがる子でした。委員会には全部参加して、委員長にも立候補して。でも中学校に入ってから“緊張する”という感覚を覚えて、人前に立つことが苦手になりました。そこから急に大人しい性格になり、今に至ります。

MAHINA

MAHINA

KOHARU 私は基本的には明るくて、チャレンジ精神旺盛で、自由奔放。保育園に着いたら泣かずにスッと親から離れて行くような子でした。でも小学校高学年から中学校あたりで、人をうらやんだり、ドロドロした感情を抱いたり……それを表に出すことはなかったけど、そういう汚い部分も経て、今の私ができあがっていると思います。

──今の太陽のようなKOHARUさんからは想像できないですね。

KOHARU なんででしょうね。本当になりたい自分を理想像として明確に持っているので、そこに近付くために明るく振る舞ったり、人を笑わせようとしたり。無理をしているわけじゃないんですが、自然とそうしているかもしれません。

YURI 私は小さい頃、「どうしちゃったの?」って言いたくなるくらい気が強かったです(笑)。中学生くらいで一気に変わりましたね。小中学生の頃に、先生や周りのいろんな人を見て「ああ、こういう感じか」と悟ったり、いろんな経験をしてすごく落ち着いたと思います。

JISOO 小さい頃から父と母に、「自分自身も幸せでありつつ、周りの人にいい影響を与えられる人になれ」と言われて育ちました。やりたいことは自由にやらせてもらいましたが、責任感をちゃんと持てと言われていたので、そういう部分は自分の芯にあると思います。あとは勝負欲が強かった。とにかく全部うまくやりたくて、学生時代は勉強に打ち込んでいました。目の前のやるべきことにひたすら向き合うところは、今も変わっていないと思います。