Buzz72+|松隈ケンタ率いる福岡発ロックバンド、14年ぶり復活ライブに向けて

BiSH、BiSらのサウンドプロデューサーとして知られる松隈ケンタ(G)率いるロックバンド・Buzz72+が、7月14日に新作EP「world」をリリースした。

Buzz72+は2020年に約13年ぶりに復活。人気グループから若手バンドまで幅広いゲストを迎えたライブイベントでステージにカムバックするはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響によりイベントは中止となり、オーディエンスの前での再結成ライブは叶わなかった。復活から約1年、Buzz72+は新作を携え、今年7月23日に福岡・DRUM Be-1、翌24日に東京・Zepp Tokyoで有観客ライブイベント「JUNCTION 2021」を開催。東京公演にはアユニ・D(BiSH)のソロバンドプロジェクト・PEDROが駆け付ける。

新作の発売を記念して、音楽ナタリーでは結成の地・福岡でメンバーにインタビュー。新作の話はもちろんのこと、改めてBuzz72+の成り立ちを聞いた。また松隈の作曲・サウンドプロデュース論、ボーカルディレクション術についても触れつつ、念願の有観客ライブに向けた思いを語ってもらった。

取材・文・撮影 / 田中和宏

福岡で出会った4人

──2020年2月の復活時インタビューでは、松隈ケンタさんと井上マサハルさんに登場いただきました(参照:Buzz72+「13」特集)。そのときは解散直前から復活に至るまでの話を詳しく聞いたんですけど、今回はメンバー全員そろって初めてのインタビューなので、まずBuzz72+はどういう成り立ちで結成したのかを改めて聞かせてください。

Buzz72+

松隈ケンタ(G) 厳密にいつ結成っていうのはなくて、みんなうろ覚えなんですよ(笑)。

井上マサハル(Vo) 覚えてないね(笑)。

松隈 轟くんは俺の高校時代の先輩で、卒業してから一緒にバンドをやり始めたんです。当時はハル(井上マサハル)もノリ(北島ノリヒロ)も別のバンドでやっていて、福岡のDRUM Be-1でよく対バンをしてたんですよ。Buzz72+結成のきっかけは、当時の俺と轟くんのバンドからボーカルとベースが抜けたので、ハルとノリに「一緒にやらないか」って声をかけたこと。ハルもノリもそれぞれのバンドがうまくいってない感じだったこともあって(笑)。だんだんとBuzz72+が盛り上がってきて、お客さんが増えて、いつからかこの4人のメインバンドになっていったという。

──松隈さんから声をかけられたときのことは覚えてますか?

北島ノリヒロ(B) 俺は当時から松隈バンドの曲が好きだったんです。対バンしたあとに轟くんと電話番号を交換していて、ある日、轟くんから電話で誘われたんですけど、会ったら俺のことを別人だと思ったみたいで(笑)。

──見た目と人物像が一致してなかったんですね。

轟タカシ(Dr) 電話したときに俺が思っていた北島ノリくんは、フレアパンツを履いていそうな人だったんですよ(笑)。本物のノリくんのほうが想像よりよかったです。

松隈 当時からこんな感じなんですよ。全員の言ってることが妄想の可能性すらある(笑)。

曲調はメンバー次第で変わる

──北島さんは松隈さんの曲がもともと好きだったということですが、当時の楽曲の印象は覚えてますか?

北島 ポップなんですけど、ロックの王道をやっているという感じで、すごく曲がいいバンドだなと。Buzz72+になってからはポップというよりはどんどんロックに寄っていった感じ。

──Buzz72+の楽曲テーマや音楽ジャンル的な活動コンセプトは当時からあったんですか?

松隈ケンタ(G)

松隈 前のバンドではボーカルのキャラクターがポップだったからポップ寄りの曲を作ってたんです。今、俺がやっているアイドルのサウンドプロデュース仕事につながる話で俺は同じスタッフ、同じチームで音楽を作っているんです。だけど歌い手やフロントマンによってジャンルすら違って聞こえる。もちろんグループによって意図的に変えてることもありますけど。バンドメンバーが2人変わるって大きな違いで、ハルとノリが入ったから、ロックっぽさが増したと思います。

 ハルくんのボーカルはやっぱりロック感が強いよね?

松隈 ハルくんの前のバンドはハードロック寄りで、ノリのバンドはポップロックだった。思い返せば、この4人が集まることで中和されていい感じになったんだろうな。俺が曲を作ってるから俺の世界観があるんだろうって周りから思われるし、俺自身もそう思ってたんだけど、実はそうでもなかった。

井上 確かに(笑)。そう思うと当時のバンド感っていうのは4人が持ち寄った感はあったのかもね。それと時代的にSIAM SHADEのようなハードな音楽が流行ってた影響もある。

松隈 1990年代が終わって、2000年代はCDが売れまくっていた時代の最後の時期だったので、俺ら世代はこれ!というブームが世の中を見てもそんなにないと思うんです。Hi-STANDARDがグーンと人気が伸びたちょっとあとで、ELLEGARDENがグンと来るちょっと前っていうか。そういう狭間で、ロックシーンを見てもメロコアがあればヴィジュアル系もありで、ハードロックやミクスチャーのバンドも人気があって。今の人たちから当時を振り返ると不思議がられるんですけど、そういう意味でのジャンルのミックス感はあったよね。

──2000年代前半という感じがしますね。そのごった煮感は福岡だとなおさら強かったということもあるんでしょうか。

 福岡はいろんなツアーバンドがBe-1やLOGOSに来ていて、それの前座をやらせてもらったりもしよったけん。ジャンル問わずいろんなバンドを見よったかもしれないですね。

松隈 メジャーもインディーも、みんなBe-1に来るから。ほかの土地ではハコによってパンク系、ヴィジュアル系、ロック系ってあると思うけど、福岡は若干そういうカテゴリ分けが弱かった。Be-1にはBiSHやBiSもいれば、ヴィジュアル系もメタルバンドも外タレも来るし、俺たちみたいなバンドも出る(笑)。我々のインディーズ時代だとフラワーカンパニーズと対バンすることもあったし。

──いろんな音楽に生で触れるという点では恵まれているような気がしますね。

松隈 アマチュア系のバンドマンは意識がすぐ高くなりますね。プロと対バンするハードルが低いので、前座で地元のバンドが出してもらえるという。

北島ノリヒロ(B)

北島 ただ、そういう環境で育ったから、東京に行ったときに最初どのバンドと、どういうハコで対バンすればいいかわからない感じはありました。そんな中で福岡に来てくれるLAST ALLIANCEとかdustboxと知り合いになって、そういうバンドのライブイベントに呼んでもらうことはあったんです。俺らが出るとジャンル的になんか違う?みたいな感じもあったんですけど、皆さんいい人たちなんでそこは温かく迎えてくれました(笑)。

──福岡にはロックを育てる土壌があるということを感じますね。

松隈 福岡独自と言えば、めんたいロックですよね。SHEENA & THE ROKKETSとか80年代のTHE MODSに代表される革ジャン、革パンにサングラス、リーゼントっていうスタイルのロックバンドのレジェンドがたくさんいるので。知らない人からしたら、福岡のシーンは特殊かもしれません。

井上 俺らはそれが普通だと思っていて、東京に行って特殊なんだと気付かされたよね(笑)。自分たちとしては流行ってる音楽やってる気持ちだったのに。

松隈 「お前たちのジャンルはなんなんだ!」なんて言われて(笑)。ジャンルを求めてくるというか、枠にハメたがるっていうか。