Buzz72+「13」 PR

Buzz72+|松隈ケンタ率いる福岡発ロックバンド、空白の13年を経てリスタート

BiSH、GANG PARADE、EMPiRE、BiS、豆柴の大群らのサウンドプロデューサー松隈ケンタ(G)率いるバンド、Buzz72+が約13年ぶりに始動する。Buzz72+は福岡を中心に活動していたロックバンドで、2005年にメジャーデビューを飾るも2007年に井上マサハル(Vo)が脱退。事実上の解散状態となっていた。しかし松隈がメンバーに直接連絡を取り、「もう一度4人で音を出したい」という全メンバーの総意のもとで再スタートを切ることとなった。

音楽ナタリーではBuzz72+の再始動を記念して、松隈と井上マサハル(Vo)にインタビュー。2007年の解散状態から再結成に至った経緯や、時間を経ての心境の変化などを率直に語ってもらい、さらに4月5日発売のミニアルバム「13」の収録曲に込めた思い、地元福岡でのバンド復活を飾るライブイベント「サウンドスクランブル天神2020」への意気込みを聞いた。また特集の後半には松隈率いる音楽クリエイターチーム・SCRAMBLESの新たな拠点として2019年12月にオープンした東京・スクランブルズ代沢スタジオの見学レポートもお届けする。

取材・文 / 田中和宏 撮影 / 宇佐美亮

再結成のきっかけは「ボヘミアン・ラプソディ」

──Buzz72+が約13年ぶりに始動するということで、まずは再結成に至った経緯を聞かせてください。

松隈ケンタ(G) 2018年にQueenの映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観たんです。フレディ・マーキュリーはバンドが嫌になっちゃって辞めたけど、1人ではうまくいかなくて結局バンドに戻って来るんですよね。その境遇がうちのバンドに重なりまして。

井上マサハル(Vo) ボーカルの僕が1人孤立して辞めていきましたから。

松隈ケンタ(G)

松隈 2007年にハルが脱退することになってBuzz72+は活動が止まり、事実上の解散状態になったんです。残ったメンバーは「ボーカルいないからできないわ……」という状況で。フレディの場合はバンドがめちゃくちゃ売れて辞めてっちゃうんですけど、うちの場合は売れないままハルくんが辞めてしまい(笑)。Queenの映画はフレディが戻って来たことによって生まれるケミストリーが描かれていて、僕はその映画を観るまで1回もBuzz72+が復活できるとは考えられなかった。でも観終わったあとにふと「ハルが戻ってきたらどうなるのかな」と考えてしまって。映画の余韻に浸りながら自分のバンドと照らし合わせてみたら、「面白そうだな」って単純に思ったんですね。それが1年半くらい前ですね。ちょうどその頃、僕は東京から福岡に拠点を移していて。地元に戻って来たらBuzz72+でバリバリ活動してた頃の僕を知ってる人に会う機会が増えたんですよね。1年半前は福岡ではまだBiSHの知名度もあまりなかったので、“BiSHの松隈さん”より“Buzz72+の松隈さん”として「ひさしぶり」と言われることが多くて。そういう環境の変化もきっかけになっていると思います。福岡ではBuzz72+時代で覚えてくれてる人がいっぱいいるし、メンバーに連絡を取ってみようかなと思って。

──井上さんも「ボヘミアン・ラプソディ」はご覧になったんですか?

井上 松隈がメンバー全員にDVDを送ってくれました。「これが今回のきっかけだから、全部観るように」って。観たら確かにグッとこみ上げてくるものがありました。

──再結成の打診が来るまでは一切連絡を取ってなかったんですか?

松隈 13年間、ほぼ連絡を取ってなかったです。Buzz72+でお世話になった人たちから5、6年前に「飲もうよ」と誘われたことはあったんですけど。

井上 めっちゃ緊張したの覚えてる。

松隈 ちょうど飲みの日にレコーディングがあったんで、轟はBiS曲のドラムを録ってたんですよ。Buzz72+止まってからも轟とノリ(北島ノリヒロ / B)とはつるんでたし、ハルはハルでその2人とつるんでたので、轟とノリは別に気まずくなかったみたいなんだけど、僕とハルがそろっちゃうという状況に直面して、スタッフさんもほかのメンバーも緊張してね。ハルの目の前に座らせられたけど(笑)。

井上 俺はあのとき、酒に逃げてた(笑)。

松隈 緊張を紛らわせるためにガンガン酒を煽ってたみたいで、僕が着いたときにハルはベロベロやったんですよ。こっちはレコーディングの合間で飲めないから結局、溝は埋められず……というのが一夜限りの再会(笑)。

仲介役は入れたくない、Facebookで直接コンタクト

──井上さんには松隈さんからFacebookで連絡を取ったそうですが、活動再開にあたってどんな話をしたんですか?

松隈 「なんで俺たちって解散しちゃったの?」という話をメンバー同士でしました。インディーズ時代にさかのぼりますけど、普通バンドって最初はメンバーだけで始めますよね。4人でチラシやらステッカーを作ったり配ったりしているうちにだんだんスタッフが付くようになって。東京に出てきてメジャーデビューした段階で、同じバンドのメンバー同士なのに意思疎通ができなくなってしまった。いろんな人が間に入ってバンドを引っ張ろうとしてくれましたけど。今回、再結成するにしても我々の間に誰かを介入させたくなかったので、共通の知人はいるけど誰かに連絡先を聞くことすらしたくなかった。なのでFacebookでフレンド申請をしました。

──最初、松隈さんから連絡が来たときに井上さんはどう思ったんですか?

井上 びっくりしましたね。飲み会以外にも何回かライブハウスとかでばったり会う機会はあったんですけど……Facebookで連絡が来るまではまったく溝を埋めることはできない状態でした。Buzz72+を脱退してからの13年間を僕なりに振り返って思うのは、コミュニケーション能力も先を見るビジョンも当時の自分にはなかったんだなと。今の考え方ありきで当時活動していたら違ったんだろうなと思ってたんです。自分の気付けなかったこと、至らなかった部分を謝罪じゃないけど、今回やっと素直な気持ちで言えた感じ。

松隈 懺悔!(笑)

井上 普通に話ができたらいいなとは思ってたんですよ。あのときは幼かったな、つたなかったと感じるところがあるので。だから会うことになって緊張しましたけど、やっぱりうれしかったです。つながりを持とうとしてくれたというのが。松隈のTwitterとか一方的にずっとフォローしてたし。

松隈 俺はフォロー返してなかった(笑)。でもそれはそうよ、あなたがバンド辞めていったんやけん。辞めていった人に「こんにちは。フォローありがとうございます」なんてあるわけないやん(笑)。

井上 本当そう思う(笑)。

若すぎたあの頃

──Buzz72+は九州を中心に精力的な活動をしていたインディーズ時代、アレンジャーのCHOKKAKUさんに見出されて上京してメジャーデビューをしました。デビューから2年半くらいでメンバー脱退、活動休止ということになりましたけど、上京した当時の心境は覚えていますか?

松隈 もちろん夢を持って出てきました。だけど東京に来てもそんなにすぐ売れるわけじゃない。当時は地方に住んだままバンドでデビューするのがけっこう流行ってたみたいで、レーベルとか事務所は「デビューはさせるけど、無理して東京には来なくてもいいよ」という感じでしたけど、俺たちはもう5年ぐらい福岡でやってたので……東京に行かないとどう考えても広がらないだろうと思ってたんです。

井上 福岡のシーンが飽和状態にあったというか。

松隈 すでに地元でワンマンをやればそれなりの人数を集めてたんですよ。でも九州の音楽事情をある程度把握していたし「そこに留まってもっと客を増やせ」と言われても難しいことはわかっていたので、全国区にならないとダメだろうと。

井上 全国区を狙う=上京のイメージはありましたね。有名になるなら東京に行かないとなって。

松隈 まあね。当時福岡でロックバンドやってた人にとっては上京することがステータスだったので。俺たちは「東京に行きます」と言って、スタッフが渋い顔する中で勝手に上京した感じですけどね。そして2年でこてんぱんにやられた。

──福岡でのインディーズ、東京でのメジャー活動は何が違ったんですか?

松隈 メジャーではスタッフやレーベル、事務所が悪かったとはまったく思っていないし、プロデュースをしてくださったCHOKKAKUさんもとてもよくしてくれました。でも、メジャーに行くとやっぱり周りからあれこれ意見が出てくるじゃないですか。そこにあまりに無警戒だったのは自分たちが無知すぎたんでしょうね。俺らが何年もこだわってやってきた部分を覆されることが多くて。メジャーに染めてもらったら売れるもんだと勘違いしてたんで、嫌々ながらもやれと言われたこと全部やるみたいなところもありました。

井上マサハル(Vo)

井上 完全に受け身だったから、「うまく料理してください!」みたいな状態になってたんでしょうね。当時の僕はもうメジャーデビューがゴールみたいになっていて。本当はそこがスタートだったのに、メジャーデビューして上京した段階でふわっとなってしまった。介入してくれるスタッフさんがたくさんいて、いろんな意見を出してくれるんです。被害妄想のような言い方になってしまいますけど、メンバーやスタッフ、プロデューサー、ディレクターの言葉に振り回されていくような感覚になってしまいました。

松隈 「うるせえっす!」と4人が言えれば、解決できた悩みだったんですよ。理解のあるスタッフだったんですけど、バンドを東京に迎えちゃったし、売らなきゃという焦りもあっただろうし。我々も地元で5年間、自分たちでやってた自負があったから、「結局、東京に来て何をしているんだろう」という。話し合っても噛み合わなくなるし、今話しててもわかる通り、僕とハルで性格が真逆だからそれが悪いほうに(笑)。

井上 ははは(笑)。

松隈 でも僕は渡辺淳之介(WACK代表取締役)くんともビビるぐらい真逆の性格なんで、つまりそれは相性がいいってことだと思ってるんです。当時はそういうことが僕もわかんなかったんですよね。