ソニー・ミュージックアーティスツ設立50周年を記念したライブイベント「SMA50th Anniversary×ライブナタリー “真心ブラザーズ×銀杏BOYZ”」が、2月11日に大阪・Zepp Osaka Baysideで開催される。
かねてより親交があり、さまざまな形で共演を重ねてきた真心ブラザーズと銀杏BOYZ。今回2組は意外にも初めてバンド形式でのツーマンライブを行う。音楽ナタリーではライブに向けて真心ブラザーズのYO-KINGと桜井秀俊、銀杏BOYZの峯田和伸の鼎談をセッティング。お互いのステージを初めて観た20年以上前のエピソードや、当日の意気込みなどを語ってもらううちに、連綿と受け継がれる真心ブラザーズの音楽性、表現者にとって大切なこと、Yahoo!知恵袋で見た評価にまで話は及んだ。
取材・文 / 張江浩司撮影 / 吉場正和
公演情報
SMA50th Anniversary×ライブナタリー “真心ブラザーズ×銀杏BOYZ”
2025年2月11日(火・祝)大阪府 Zepp Osaka Bayside
<出演者>
真心ブラザーズ / 銀杏BOYZ
「あの頃の峯田くんを観たことは、はっぴいえんどを観たのと同じくらい自慢できる」
──真心ブラザーズと銀杏BOYZのバンド形式でのツーマンは、意外なことに今回が初めてだそうですね。
峯田和伸(銀杏BOYZ) さっきちょっと調べたけど、今までなかったみたいですね。
桜井秀俊(真心ブラザーズ) フェスとかで一緒になったことはたくさんあるし、銀杏のライブを観たことももちろんあるんだけど、ツーマンとなるとね。
──お互いのライブを初めて観たときのことは覚えてますか?
峯田 2000年か2001年の、フェスの客席から観たのが最初だったと思います。僕がまだゴイステ(GOING STEADY)をやっていた頃。真心は小6から聴いてたんですよ。夏休みに東京の親戚の家に遊びに行ったときに、ユキオくんっていうお兄ちゃんと一緒に深夜番組を観てたら、2人が出てきて「うみ」を歌ってて。
YO-KING(真心ブラザーズ) 「パラダイスGoGo!!」(真心ブラザーズがデビューするきっかけになったフジテレビのバラエティ番組)かな?
桜井 「オールナイトフジ」じゃないかな。1990年くらいの。
峯田 そうだと思います。そのときから聴いてたから、「やっと生でライブ観れた」って感じでしたね。
YO-KING 俺はマーブルダイヤモンドっていうバンドをやってた倉山(直樹)のイベントで初めて観たのかな。SHIBUYA-AXでやった「VIVA YOUNG!」(2002年)。その頃はゴイステだったよね?
峯田 そうですね。
YO-KING その前にタワレコのCMにゴイステが出てたんだけど、すごいインパクトで。4人の関係性とかしゃべり方とか。それもあって、「このバンド観てみたいな」と思ってた。実際に観たら衝撃的でしたね。あの頃の峯田くんって、演劇的だったんですよ。The Doorsのジム・モリソンはロックンロールに演劇の要素を取り入れたって言われてるけど、それに共通するというか。MCとか雰囲気も含めて曲に突入していく感じは、俺には絶対できない芸だと思って、すごく感動した。
峯田 自分では無意識だったと思います。
YO-KING うん、意識的にやってたら俺は反応しなかった。やらしいと思っちゃうから。峯田くんが天然でやってたものを、俺が演劇的だと感じただけで。そのライブでバンドが終わっちゃうくらいエネルギーを爆発させてて、衝撃でした。「この人、後先考えてないな」「死んじゃうんじゃないか」って(笑)。どちらかというと、僕らは“シラケ世代”というか、あまり熱くならないし、なっててもそれを隠すんだよね。そこにスコンと穴を開けて、ドロドロしたものを出してくれた。
桜井 僕が最初に観たのは2005年の「MONSTER baSH」の銀杏BOYZだったと思うけど、峯田くんが演奏中にステージの裏の山に走って行っちゃったんだよね。
YO-KING ああ! 俺も観てた!(笑)
桜井 「えー!」と思って。「これはライブ中に戻ってこれないよなあ」と(笑)。
YO-KING お騒がせ男の面目躍如だった。
桜井 ロックははみ出すものだけど、あそこまでのはみ出しっぷりは初めて見ましたよ。あとね、同じ年の「ライジングサン」(RISING SUN ROCK FESTIVAL)で観た銀杏のライブも印象的で。ステージ上でメンバーがワーッと演奏してるんだけど、僕の視界の端で動物っぽいものがヒュッとPAブースの柱を登ったんですよ。それは猫ひろしだったんだけど(笑)、「このバンドの周りにはすごい人が集まってくるんだな」と思って。その引力みたいなものに度肝を抜かれました。
YO-KING あの頃のゴイステ、銀杏のライブを生で観られたというのは価値があるよね。「はっぴいえんどのライブを観た」と言ってるおじさんと同じくらい自慢できるよ。
峯田 でも、そのときのメンバーは僕以外全員やめましたから。
YO-KING・桜井 はははははははは!
峯田 そりゃ、やめるよなって(笑)。
YO-KING みんなそれぞれすごかったけどね。
峯田 さっきお二人は「シラケ世代で熱くなれない」とおっしゃってましたけど、僕もその気持ちがすごくわかるところがあって。僕らは小学生でバンドブームを体験して、中高生の多感な時期に真心世代のミュージシャンの音楽を聴いて、そのシラケ世代的な空気を感じてましたから。だから、自分がステージに立つことになったときに、ああいう破壊的な形でしか打開できなかったんですよ。上の世代と同じことはできなかった。先輩方のあの空気感が大好きだったからこそ、自分からは違うものが出てきたんだと思います。周囲を見回したら、前の世代におんぶに抱っこになってるのも見えちゃったので、それを変えたいという気持ちはあったかもしれないです。
別れの歌3部作からの「東京」、そしてOmoinotake
峯田 ゴイステが終わって次のバンドをどうしようというときに、真心は本当に大きい指標だったんです。銀杏BOYZという名前も真心を意識して漢字+英語になってますから。ゴイステで「さくらの唄」(2001年発表のアルバム)を出して、次の段階は日本語のロックをパンクの文脈で押し進めたいと思ってた時期に、真心の“別れの歌3部作”(2001年に3カ月連続リリースされた「流れ星」「橋の上で」「この愛は始まってもいない」)が出て。その頃に作った「東京」という曲は、別れの歌3部作にかなり影響を受けましたね。僕は小難しい方向に行きがちなんですけど、わかりやすい言葉で、わかりやすいメロディで、となるとやっぱり真心ブラザーズで。
YO-KING あの3部作は自然にできたというよりも捻り出したもので、ヒーヒー言いながら作ったんだけど、峯田くん世代のミュージシャンの話を聞くと出してよかったなと思う。あそこまで狙って作ることは、ほかではしてなかったから。
峯田 真心にしては珍しいほどコンセプチュアルでしたよね。私小説っぽいというか、「拝啓、ジョン・レノン」とか「人間はもう終わりだ!」みたいな流れがあったうえでこういうこともやるのかと。
YO-KING ちゃんと歌ものをやってみようというね。
桜井 年下の才能ある人たちのヒントになれたというのは、バンドとして本当に誇らしいですよね。今年の5月にやった「唐津フォーク村」にOmoinotakeの藤井(怜央)くんが出てくれたんだけど、彼が銀杏の「東京」が好きということで一緒に歌ったんです。銀杏リスペクトをビシビシ感じて、めっちゃよかったんですよ。別れの歌3部作があって、峯田くんの「東京」があったとしたら、Omoinotakeはある意味で僕らにとって音楽的な“孫”ですよね。全然違う音楽性だけど、そういう連綿としたものを垣間見ることができて、「続けるもんだなあ」なんて思ったりしました。
YO-KING でも、最近の峯田くんのライブを観て「死んじゃうんじゃないか」とは、さすがに思わなくなったよね。
峯田 あの頃に比べたら少しは音楽的になったかもしれないです。もうちょっと長生きしたいなと(笑)。
桜井 この間、釧路のイベント(「SET YOU FREE IN KUSHIRO KIRI FESTIVAL2024」)で弾き語りで一緒になったとき、めちゃくちゃ寒かったけど峯田くんはちゃんと上半身裸になって、体から湯気を出しながらライブをやってて。一方、YO-KINGはうっかり薄着で来ちゃって、現地のスタッフさんにジャンパー借りてた(笑)。3人で何曲か一緒に歌ったんだけど、“湯気の人”と“ジャンパーの人”が並んでて、「相変わらずそれぞれだな」と思いながら演奏しましたね。
峯田 寒いときは、脱ぐと熱くなるんですよ。
YO-KING あれだ、サウナ後の水風呂みたいな。
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真心の風通しのよさは、都会のお兄さんって感じ