BLANKEY JET CITY×THEE MICHELLE GUN ELEPHANT特集|ロックシーンに衝撃を与えた2バンドの爪痕

BLANKEY JET CITY
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

2001年~2026年

2001

1

チバユウスケが照井利幸、MASATOの3人でROSSOを結成

3

3月1日
シングル「KWACKER」をMick Green with TMGE名義で発表

3月22日
シングル「暴かれた世界」をリリース

5

5月23日
アルバム「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」リリース
代々木オリンピックプラザにて
フリーライブ「TMGE YOYOGI RIOT! 2001523」開催

6

ライブツアー「WORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOUR」スタート

2002

3

3月1日
ライブ映像作品「GOD JAZZ TIME 」リリース

9

「WHERE IS SUSIE? TOUR」スタート

12

12月25日
シングル「太陽をつかんでしまった」、ベストアルバム「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT GRATEFUL TRIAD YEARS」リリース

2003

3

3月5日
アルバム「SABRINA HEAVEN」リリース

4

ライブツアー「WILD WILD SABRINA HEAVEN TOUR」スタート

6

6月21日
シングル「GIRL FRIEND」、アルバム「SABRINA NO HEAVEN」リリース

7

「FUJI ROCK FESTIVAL '03」出演

8

8月31日
FC会員に向けて会報にて解散を発表

9

ラストツアー「LAST HEAVEN TOUR」スタート

10

10月11日
ラストライブを幕張メッセで開催
シングル「エレクトリック・サーカス」リリース

12

12月3日
ライブアルバム「LAST HEAVEN'S BOOTLEG」リリース
ライブ映像作品「BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN」リリース

2009

12

12月16日
ベストアルバム「THEE GREATEST HITS」リリース

12月19日
映画「THEE MOVIE -LAST HEAVEN 031011」公開

2013

1

1月26日
映画「VANISHING POINT」公開

2025

7

解散25周年

2026

1

メジャーデビュー30周年

1990年代初頭の地価下落をきっかけに、空前のバブル景気を謳歌していた日本経済は急速に収縮していき、1997年の消費税増税を境に本格的なデフレーションに突入。「失われた10年」が始まった。

バブル崩壊後も高い売上を誇っていた音楽業界もこの波を受け、小室ブームが失速し、宇多田ヒカルの「First Love」が日本国内だけで700万枚を超える空前絶後のベストセラーになった1998年をピークにCD売上は低下の一途をたどっていく。1999年にミッシェルの先輩・フィッシュマンズの佐藤伸治が急逝し、2000年にはブランキーが解散し、Hi-STANDARDが活動を停止した。

ミッシェルは2001年に5枚目のアルバム「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」を発表。アルバムチャート3位まで上昇する、彼らとしては最大のチャートアクションを記録した。「ギヤ・ブルーズ」(1998年)や「カサノバ・スネイク」(2000年)といった充実のアルバムを発表してミッシェル流のビートロックの完成形を提示し、フジロックのヘッドライナー出演で日本の、いや世界のロックの頂点に立ったあとの1作。いったい次にどこへ向かうべきなのか。90年代を支配した浮かれたお祭りモードが終わり、「より多くの情報をいち早く手に入れた者がエライ」という情報万能主義が破綻して、価値観の重大な転換がなされた90年代終わりから2000年代にかけての気分を、チバは「パーティーは終わりにしたんだ」という一節で鮮やかに表現した。先を走っていたブランキーはもういない。フィッシュマンズもハイスタもいない。もうミッシェルの前には誰もいない。これからは地に足をつけて一歩一歩前に進んでいくしかない。豪胆で荒々しいロックの衝動と同時に、いつも青春期の青さや甘さやもろさを感じさせたミッシェルのロックは、次第に変わりつつあったのだ。ミッシェルは「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」発売と同時に代々木公園にてフリーライブ「TMGE YOYOGI RIOT! 2001523」を開催。当日になって場所が発表されたにもかかわらず、雨の中2万人もの観客を動員した。6年前のブランキーの同所でのフリーライブ「Are You Happy?」を思い起こさせるサプライズだった。

中村はブランキー存続中から始めていたプロジェクト、ロザリオスをバンドとして本格化させ、レックとのフリクション、遠藤ミチロウとのTOUCH-ME、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルとのBuck Jam Tonicなど、ジャンルを横断した多様なミュージシャンとのセッションやユニットに次々と参加し、バンドの制約から逃れた即興主体のスタイルに活路を見出した。

照井はブランキー解散後、しばらくは自身のアパレルブランド「ケルト&コブラ」の活動に専念するも、2001年になってCARNEという新プロジェクトを始める。ブランキーとは対照的な内省的で叙情的な世界を展開。ところが2002年になって、ミッシェルのチバと新バンドROSSOを結成して驚かせる。激しいロックンロールのスリルとテンションにもう一度身を投じたいと願った照井が、浅井や中村に代わるパートナーとして選んだのはチバだったのである。

第1期ROSSOはミッシェルの活動再開とともに終了。2002年にミッシェルはデビュー以来所属した日本コロムビア/TRIADレーベルを離れ、ユニバーサルミュージックへと移籍した。つまり時間差でブランキーとレーベルメイトになったのだった。しかしミッシェルの終わりの時は確実に近付いていた。

2003年3月に移籍第1弾作品となる7作目のアルバム「SABRINA HEAVEN」を、6月に8作目「SABRINA NO HEAVEN」を連続リリース。6月27日には当時最も影響力があった音楽番組「ミュージックステーション」に出演し、「SABRINA NO HEAVEN」収録の「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」を演奏する。ロシアから来日したt.A.T.u.が生放送中に突然出演を放棄し、出番を終えたばかりのミッシェルがその穴埋めとして「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」を演奏するという出来事が起きたのはこのときだった。ほかにも多くのゲストが出演していたが、突然のオファーに対応しその場ですぐに演奏できたのは、生粋のライブバンドであるミッシェルだけだったのだ。初の「ミュージックステーション」出演でのこのハプニングで、ミッシェルは大いに株を上げ、彼らの知名度や注目度は一気に高まった。

同年8月31日、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTはファンクラブ会員へ向けた封書で解散を通知。翌9月1日には公式サイトにて正式に発表される。10月11日、幕張メッセにてラストライブが行われ、ミッシェルは1988年から数えて15年の歴史に幕を下ろしたのである。ラストライブと同日に発表されたラストシングル「エレクトリック・サーカス」では、「俺たちに明日がないってこと はじめからそんなのわかってたよ」と歌われた。彼らの解散がいつ決まったのかわからないが、「SABRINA HEAVEN」「SABRINA NO HEAVEN」の、TRIAD時代とは明らかに異なる、どこか静謐で落ち着いた作風は、それを予期させるものだった……と今からならそう思えるかもしれない。

筆者はブランキーにもミッシェルにも、解散直前まで幾度となく取材を行い、ラストツアーにもラストライブにも立ち会った。だが今に至るまで、メンバーに直接、解散の理由や原因を尋ねたことはない。その機会がなかったこともあるが、リアルタイムで彼らの動向をずっと追っていた筆者にとって、解散という彼らの決断は、それほど意外ではなかったというのが正直なところだったし、その理由もなんとなく察することができた。こんなギリギリに張り詰めたロックをやっている連中が、いつまでもルーティンワークのようにダラダラとバンドを続けるわけがないではないか。彼らは己の生命を燃やし尽くすかのように短くも激しい活動を終えた。それは彼らが自らの音楽に誇りを持ち、忠実で誠実であったことの証だったのだ。

イベント情報

BJC×TMGE POP-UP STORE

BJC×TMGE POP-UP STORE
  • 2025年7月25日(金)~8月6日(水)
    東京都 UNIVERSAL MUSIC STORE HARAJUKU
    OPEN 11:00 / CLOSE 20:00
  • 2025年8月15日(金)~27日(水)
    広島県 広島PARCO 新館9F イベントスペース
    OPEN 10:00 / CLOSE 20:30
  • 2025年9月5日(金)~15日(月・祝)
    愛知県 名古屋PARCO 西館6F PARCO GALLERY
    OPEN 10:00 / CLOSE 20:00
  • 2025年10月10日(金)~20日(月)
    大阪府 心斎橋PARCO 9F イベントスペース
    OPEN 10:00 / CLOSE 20:00

特設サイト

プロフィール

BLANKEY JET CITY(ブランキージェットシティ)

浅井健一(Vo, G)、照井利幸(B)、中村達也(Dr)によって1990年2月に都内で結成。同年8月にTBS「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称イカ天)に出演し、「第6代目グランドイカ天キング」に選ばれる。1991年に1stアルバム「Red Guitar And The Truth」をリリース。以降もコンスタントにリリースとライブを重ね、多くのリスナーを獲得する。ロックフェス黎明期の90年代後半には「FUJI ROCK FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」に出演。人気絶頂の中、2000年7月に出演した「FUJI ROCK FESTIVAL」をもって解散する。2024年7月に音源のサブスク配信が解禁され話題に。解散後も多くのアーティストに影響を与え続けている。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)

チバユウスケ(Vo, G)、アベフトシ(G)、ウエノコウジ(B)、クハラカズユキ(Dr)からなるロックバンド。1988年にチバを中心に結成される。インディーズシーンでの活動を経て、1996年2月にシングル「世界の終わり」でメジャーデビュー。全員がスーツを着用し、パンクロック、ガレージパンク、パブロックなどから影響を受けたソリッドで豪快なロックサウンドで着実にリスナー層を獲得する。2000年7月に出演した「FUJI ROCK FESTIVAL」でヘッドライナーを務め話題に。2003年10月に幕張メッセで行われたライブをもって解散。2026年にデビュー30周年を迎える。