9月3日に初の東京・日本武道館でのワンマンライブ「呪いをかけて、まぼろしをといて。」を開催したano。センターステージの会場を満員にした彼女は、アンコールで新曲「ミッドナイト全部大丈夫」を初披露し、それぞれの痛みや傷を肯定するように、周りを囲む観客に向けて語りかけるように「大丈夫」と歌った。
そしてこの日、公演タイトルと同名のCDシングル「呪いをかけて、まぼろしをといて。」が、9月4日のリリースに先駆けてライブ会場で販売された。そこに収められたのは激しいバンドサウンドの「KILL LOVE」と、前述したアンコール曲「ミッドナイト全部大丈夫」の2曲。このCDはオンラインショップ・TOY'S STOREでの通販も行われている。
今回の特集は2部構成で、前半はanoの音楽制作を長らくサポートし続けているTAKU INOUEを交えたインタビューを掲載。anoがソロデビューしてからの5年間の、2人が築いてきた信頼関係や制作現場の裏側を振り返る。
そして後半はanoへの単独インタビューを実施し、シングル「呪いをかけて、まぼろしをといて。」に託したメッセージについて語ってもらった。音楽的パートナーとの歩みと、自らの言葉で語る内面。その両方から、アーティスト活動5周年を迎えた今のanoの姿に迫る。
取材・文 / 橋本尚平撮影 / 八重代晃矢
「階段を上ってる」と実感したとき
──お二人が一緒に曲を作るようになってからもうけっこう経ちますが、長く一緒にやっていくことになるなという感覚は、最初からありました?
TAKU INOUE いや、なかったですね(笑)。あんまり先のことは考えてなかったんですけど、こんなことになるとはまったく想像できなかったです。紅白にまで出るとは夢にも思わず。
──「ちゅ、多様性。」はイノタクさんが関わった作品の中でもかなりのヒット曲になったと思いますが、あの曲がヒットしたときにどんな気持ちでしたか?
TAKU あんまり実感はなくて、「やっぱ『チェンソーマン』すげえな」ってくらい。それよりも、そこからフェス出演だったりが増えて、バンドメンバーとしての稼働が数倍になったときに「あのちゃん、売れたんだな」って思いました。
ano 最初のライブからずっと参加してくれてますからね。
TAKU 遠征するときも、初めの頃は機材専門のスタッフとか別にいなかったから、トイズファクトリーの人が車に積んで新潟とかまで持ってきてくれてたので。そういう面がだんだん整理されてくると「階段を上ってるなあ」って実感します。
──イノタクさんはサポートギタリストとしてバックバンドに参加していますが、サウンドプロデューサーやDJとしての活躍の場が多いので、正直プレイヤーというイメージはあんまりありませんでした。
TAKU ロックはずっと好きなので、それを知ってくれているスタッフがバンドに誘ってくれたんですけど、すごく楽しくて。今までやってこなかった関わり方だし、人前でギターを弾くのもひさびさだったし。普段の活動ではやっていないアイデアをこっちに投入していろいろ試せるので、このバンドでの活動は自分的にはすごくいいです。
朝5時に届いた「助けてください」のLINE
──あのさんの曲を聴いて「これはイノタクさんが作曲か編曲に関わってそう」というのはなんとなくわかるんですが、でもそれって、イノタクさんがソロワークでやっているジャジーなハウスミュージックとか、Midnight Grand Orchestraでやっているようなストリングスをフィーチャーしたポップスとか、そういう音楽性とは全然別物ですよね。イノタクさんの中でイメージしている「anoっぽいサウンド」というのは何かあるんですか?
TAKU ありますね。例えば「Bubble Me Face」みたいな感じ。でも、最近はあのちゃんが作詞だけでなく作曲も自分でして、その時点ですでにかなり完成度が高いので、その曲をアレンジしてさらによくしてあげよう、ぐらいのことしか考えてなくて。昔はもうちょっと自分の要素もガーッと入れてたんですけどね。今のあのちゃんは作詞はもちろん、作曲がめちゃくちゃうまくなってる。昔から上手だったけど、最近はもはや職人じみていて、僕は本気でビビってますね(笑)。「ハッピーラッキーチャッピー」のサビで転調するところとか、「それ完全に作家のやることじゃん」って驚いたし。
ano 褒めてもらってうれしいんだけど、全部感覚だけでやってるからわかんないんですよね。逆に「何もわかんないから転調しちゃった」みたいなとこがある。あの曲は、デモを送ったときも「これでいいのかな?」って、僕めっちゃ不安だったんですよ。
TAKU 「めっちゃいい曲じゃん!」って言った気がする。
ano それ聞いて「マジ?」と思った。「え、そうなんだ」って。
TAKU だいぶ不安げで、「サビでテンポが速くなっても大丈夫なんですかね」みたいなことを言ってたから、「絶対大丈夫! むしろそこがいい!」って伝えて(笑)。
ano そうやって言ってくれたからどんどん進められたし、世間からも「サビで速くなるところがいい」という反応が多かったから、確認しといてよかったなと思います。
──逆にあのさんの中で、「これはイノタクさんにアレンジをお願いしたい」という曲の基準はあるんですか?
ano 「困ったらTAKUさん」みたいな感じでやってます(笑)。どの曲を渡しても大丈夫という安心感があるから。例えば「ロりロっきゅんロぼ♡」は、最初は別の人にアレンジしてもらってたんですけどうまくいかなくて、困り果ててTAKUさんに助けを求めたんですよ。
TAKU ド年末にね(笑)。
ano 期限までに完成させなきゃいけないのに、全然満足のいくものにならなくて。スタッフも「これでいきましょう」とか言ってるし、「いや待って待って! みんなの前で歌わなきゃいけないのに、僕の気持ちが乗らなかったり、これじゃないって思ったものを出せないよ!」って、もう頭がおかしくなっちゃって。どうにかしなきゃと思って「助けてください」って送ったんです。
TAKU それで「3日くれ。3日でなんとかする」と返して(笑)。
ano 僕も作曲する予定なかったけど猛スピードで作曲して、それで届いたアレンジが本当によくて。「あっ!これこれこれ!」って思った。そこから僕も一気に仕上げて間に合って。やっぱり、ライブも含めてずっと近いところで同じ空気の中にいたから、通じるものがあるのかなと思った。
TAKU 何曲も作ってると「たぶんこれ好きだろうな」ってのがわかってくるしね。それにしても、連絡が来たの朝5時ぐらいですよ(笑)。あの日は忘年会で、朝までめちゃくちゃ飲んで帰ってきたところで。
ano ごめんなさい(笑)。そうだったんだ。
TAKU あのちゃんから直接LINEが来たことなんてそれまでなかったのに、朝早くから「助けてください」なんて書いてあるから、一気に酔いが醒めて(笑)。ほかの仕事もあったんですけど、すぐにマネージャーに連絡して対応しました。楽しい年末でしたね(笑)。
「作りたいものって、本当に作れるんだ」と感動しました
──これまで2人で一緒に作ってきた曲で、それぞれ印象に残っているものは?
TAKU 僕は「swim in 睡眠Tokyo」ですね。これが最初に作った曲なんですよ。まだ初顔合わせの次くらいの日だったんですけど、「2人でなんか作んなよ」って言われて渋谷のノアスタジオに押し込められて(笑)。あのちゃんに30分くらい歌詞を考えてもらって、僕が軽く作ったデモの上で歌ってもらったのをめっちゃ覚えています。
ano たぶんお試し感覚で一緒にスタジオに入ったと思うんだけど、今の僕だったら書かなそうな歌詞で面白いです。だから今年、アルバム「BONE BORN BOMB」にこの曲を入れることになって、完成したのを聴いたときは「こういうことをやりたかったんだよな」って思い出してうれしかった。ギターの音とかカッティングの感じとか、当時イメージしてた通りだったから。
TAKU そこから「Peek a boo」も作って、そのあとに「デリート」を作る、という流れだったのかな。
ano 最初にリリースした曲だから、僕は「デリート」が印象に残ってますね。確か「一発目にリリースするものを作ろう」みたいな話にはなっていて。ああしたいこうしたいっていうことが、当時の僕はうまく言葉にできなかったんだけど、できあがったら思ってるような曲になったから「すごいなこの人」ってなったのを覚えてる。「作りたいものって、本当に作れるんだ」と感動しました。
──当時のあのさんは自分の意向を伝えづらかったということですけど、今はどうなんですか?
TAKU けっこう具体的な意見をくれるよね。
ano ボキャブラリーは全然増えてないけど、やりたいことがあったら勢いで「伝われ!」って感じで言ってます。
TAKU LINEで「どうする?」みたいなやりとりをしてね。だからだいぶやりやすくなりましたね。
次のページ »
2人が印象に残っているanoのライブは