秋山黄色|音楽の力が人をどう変えるのか

秋山黄色が2ndアルバム「FIZZY POP SYNDROME」を完成させた。

アルバムにはドラマ「先生を消す方程式。」主題歌の「サーチライト」、アニメ「約束のネバーランド」オープニングテーマの「アイデンティティ」、映画「えんとつ町のプペル」挿入歌の「夢の礫」など計10曲を収録。バラエティ豊かな楽曲に、真摯なメッセージを込めた1枚となっている。

アルバム「From DROPOUT」でメジャーデビューを飾るもライブの機会が失われた2020年を経て、アーティストとしてどんな変化を遂げてきたのか。楽曲の向こう側に見える彼のリアルな心情、「自分が音楽から引き出せる力ってなんだろう?という答えを詰め込んだ」というアルバムで目指したものについて語ってもらった。

取材・文 / 柴那典

コロナ禍に「前向きなものが作りたい」

──アルバムの構想はいつ頃に生まれたんでしょうか。

そんなに前ではないです。コロナ禍になって、いろんな工夫をして徐々にみんながライブを始めた頃だったから、意識したのは去年の10月くらいですかね。

──秋山さんにとって、去年はいろんな機会がコロナで失われてしまった1年だったと思います。

主にライブですね。特に夏のフェスですけど、発表されてないものも含めて、出演予定だったものがいろいろあったので。初めて行く場所もあったし、本当に残念極まりないです。しょうがないですけど。

──秋山黄色というアーティストはこういう音楽をやっているんだということをステージで示す機会、それによってステップアップしていく道程というのも、きっとあったはずですよね。

今までもライブを観て好きになってくれた人がけっこういるんです。ライブってパーソナルな部分が出るので、イメージと違うってよく言われるんですけど。それに、ちょっとずつライブがうまくなってきたので、昔からやっている曲の完成度が上がっていて。だからフェスの30分でそれをギュッと見せようと練っていた計画もあったし。メジャーデビューして、1stアルバムを出して、そこに入ってる曲もライブを意識したものが多かったので、ライブがやれていたらなって、どうしても思ってしまいますね。

──ライブの機会がなくなったことと、ミュージシャンとしての活動が制作中心になったことで、秋山さんのマインドに何かしらの影響はありましたか?

単純に、おのずとそのことについての楽曲が多くなりました。いろんなことを歌詞にしてきていたんですけど、コロナのことを書かざるを得ないというか。でも制作のペースは特に変わらなかったです。ライブがなくなった分、制作の時間が増えたということはなくて。普通にゲームしてました(笑)。

──「サーチライト」「アイデンティティ」「夢の礫」という、いわゆるタイアップとして作られた曲が3曲ありますが、これはアルバム制作よりも先に取りかかっていた?

時期はまちまちですけど、お話をいただいて作り始めたタイミングはだいぶ前でしたね。でも「夢の礫」に関してはアルバムを作ろうと思って進めていったのと同時進行くらいで作っていきました。

──リスナーとしては「サーチライト」や「アイデンティティ」を先に聴いている人が多いと思うんです。でも「サーチライト」みたいな曲、「アイデンティティ」みたいな曲が10曲集まったアルバムをイメージすると、決してそうではない。

ああ、全然そうではないですね。

──そこには作り手としてのどういう意思があったんでしょうか。バラエティ豊かな、いろんな方向性の曲を作ろうという考えだった?

アルバムに取りかかる以前からコロナ禍になって、漠然と「前向きなものが作りたい」というのがまずあったんです。それに僕の曲は昔から一貫して中に自分自身が見いだせるように作っているつもりだし、歌詞は特にパーソナルなものを書いているので全部に“らしさ”は残していると思っているんですね。ただ、面白いと思えばメタルもやるし、ロックもポップもバラードもやるし、いろんな色を見せるのに躊躇しない精神性があるので、毛色が違うということに関しては“お好きに聴いてください”っていう感じです。バラエティ豊かに見せたいというのが意味合い的には一番近いですかね。結果的にこのアルバムを通してやりたいことって、音楽的な力が人をどう変えるのか、その結果が見たいというのが大きな実験としてあるんです。

パッと聴いて「ん?」ってなる歌詞

──今おっしゃった「音楽的な力が人をどう変えるのか」って、すごく深いテーマですよね。ここにはどう取り組んでいったんですか?

具体的に言うと、聴いた人をポジティブにさせたいわけなんです。僕自身は「音楽を聴いて救われた」というエピソードは特にないんですけれど、本当によく聞く話なので。つらいときに音楽を聴いてがんばれたとか、極端な話、命が助かったみたいな人もいて。でも、もともと音楽なんてめちゃくちゃ好き勝手に、めちゃくちゃ自由にやりたいっていうのが自分の根源にあるんですよ。音楽を手段にするのをよしとしていなかったというか、作って聴いてそれで終わりでいいと思っていた。でも、そうも言っていられなくなってきたというか。去年あったいろんなことの衝撃で、自分自身を試してみたくなったっていうのが大きいです。

──それで作り方が変わってきた?

はい。具体的には歌詞ですね。最終的に救いがある感じにしたかった。それで「こういう考え方をしてみよう」っていう提案をちりばめているので。今までの自分のルールでは、そういうことはあまり歌詞にしなかったんです。でも、それを試していますね。

──アルバムを聴いた印象ですが、言葉が曲調を引っ張っている曲が多いように思うんです。

あ、そうですね。

──特に後半の「ホットバニラ・ホットケーキ」や「PAINKILLER」がそうですけれど、譜割りが独特な曲がとても印象的で。歌詞の言葉が強いし、それが主役になってサウンドやアレンジを引っ張っているような曲が多いように思います。

確かに、わざとらしく言葉にリンクさせた音が入っていたりっていうのはあるんですけど、曲を作るときは歌詞があとなので、基本的には独立した作り方なんです。でも言葉が前向きになっているので、より自然に聴き取るためのアレンジにしなくちゃいけないというのはありました。今までのアレンジで今回みたいな歌詞を書くとだいぶ乖離しちゃうし、そこにズレがあると自分自身がぼやけて見えてこなくなっちゃうので。歌詞に適した音が鳴っているべきという考え方がずっとあるんですね。で、今回は前向きにさせたいっていうのがあるから、それが音楽的にリズミカルであってほしい。ストレートな譜割りで書くと逆に離れちゃう感じがあって。パッと聴いて「ん?」ってなるところもけっこうあるんですよ。ポップスとしては聴いた瞬間に言葉が聞き取れないとダメなんですけど、あえてそうしていない。聴き手に遠回りさせたいんです。

──譜割りについてはどうでしょう?

譜割りの複雑さは単純に、それがカッコいいと思ってやってますね。ただ、別に英語っぽく聴き取らせたいわけではなくて、現代において僕が作る曲はこれが一番自然なリズム感なんだということです。めちゃめちゃストレートな譜割りで歌うと、僕の場合は嘘くさいんですよね。それが適している人もいるんですけど。

──ポジティブにさせたい、前向きにさせたいという、そのマインドが一番表れた曲はどれでしょうか?

一番は「ホットバニラ・ホットケーキ」ですかね。ほかは「今は正直どうしようもない」みたいな諦め方を提示している感じですけど。「ホットバニラ・ホットケーキ」はポジティブにしていこうというところに重きを置いて書いている感じがします。

秋山黄色

「PAINKILLER」がラストにあることが一番大事

──今おっしゃったように、単に前向きなムードを示すとか、ここから先に希望があるんだという歌よりも、現状がこんなに酷いということを共有するようなタイプの曲も多いですよね。

そうですね。現状どうしようもないっていう悩みが音楽で解決するなら、人はもともと悩まないので。そういう力を僕は音楽に期待していないっていうか。あくまで薄めるものというくらいに思っているんです。そこをポジティブにしちゃうとマジで嘘になっちゃうし、そうすると前作の「From DROPOUT」をなかったことにしちゃうので。そこはリアルでありたいという感じですね。あとは、代わりに考えてあげたいっていうのがあって。自分がめちゃめちゃつらい時期があったからわかるんですけど、鬱みたいな状態の何もしたくないときって、何もしないのが正解だと思うんです。なのに何もしていない自分に対して罪悪感が湧いてくるという悪循環があって。代わりに誰か考えてくれっていう感じなんですよね。それで時間だの薬だので楽になった時期に、楽観的になる予定があるっていうのがいいのかなって。

──なるほど。その話で言うと「PAINKILLER」が最後に置かれているのはポイントとして大きいと思いました。

そうですね。「PAINKILLER」がラストっていうのは一番大事です。

──この曲は精神的な危うさを直接的にモチーフにしている曲ですが、これはどういうところから作っていったんでしょう?

これだけ暗い曲なんですけど、僕が今作で人に向けて「前向きになっていこう」と言うためにも、下を向いているということがどういう状態を指すのかをこの曲で書いておこうということですね。僕が楽にさせてあげられる悩みの底は今はこのくらいというか。これは実際に僕が経験したことでもあるし、周りに今そういう人がいて、自分がそれを知っているはずなのに共感してあげられなくて目の前から消えちゃったということもあるし。多少後味が悪くても、軽い気持ちで作っていないんだということがラストにないときれいごとで終わりそうで。その不安を払拭するためにも、やっぱりこういう曲は絶対に必要なんですよね。これが最後にあることで締まっているように感じます。

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嘘を“点ける”