会った瞬間、お互いなぜか泣いた
──「Not So Different」はAwichを迎えたリミックスも発表されました。彼女との出会いは?
最初は私が一方的に彼女の作品をチェックしていて、インスタに「やばいね」とか送って、DMでつながってたんです。で、2018年に「NAMIMONOGATARI」(愛知県・常滑りんくうビーチで行われているヒップホップフェス)に遊びに行ったら、そのときにAwichさんも出ていて、知り合いから紹介してもらえることになって。そしたら、会った瞬間、お互いなぜか泣いて。彼女は不思議なんです。なんかね、彼女といるとパワーが倍増して、しかもいつも泣きたくなるの。そんな人ってあんまりいないから。なんでだろう?
──気持ちが自然と共鳴するんですね。
そうなの。前世に何かあったとしか思えないような感じ。
──「Not So Different」には「花束を銃の代わりに」という歌詞が出てきます。Awichは夫を銃殺された経験を持ちますが、それもあってAwichをフィーチャリングに指名したんですか?
そこは全然なかったです。ただ、彼女が書いた「あの日の銃の代わりに花束を あなたはそれならまだここに居れたのかな?」という歌詞を見たときにハッとしました。彼女のパーソナルな部分を出してくれてうれしかった。
──そういうリンクが楽曲に説得力や深みをもたらしてるなと思ったんです。
その話をしてるだけで、今、もう泣きそうだけど。なんかね、Awichとはつながりを感じるんですよ。不思議だなと思ってたら、Awichはうちの旦那と誕生日が一緒だったんだよね。そういうのもびっくりしました。
希望を持っていてほしい
──マット・キャブ、トーマ・ラヴ・チャイルドと組んで作られた先行配信第2弾「HOPE」は、いつ頃書いた曲なんですか?
これはマット・キャブとトーマに出会って初めに作った曲なんです。歌詞の1番は、私が第2子を妊娠中に書いたから、3年くらい前。
──どのようなことを歌いたかったんですか?
私には新しい命が宿っていて幸せだけど、世の中には大変な目に遭ってる人がたくさんいると。私は周りがハッピーなことが一番うれしいんです。自分がイエーイと思っていても、横でしょげてる人がいたら素直に喜べない性格だから、みんながハッピーになってほしい。でも、その前に希望を見出せない人もいて。借金があったり、いじめられていたり、現実はいろんなことがありますよね。私には家があって着るものもあるし食べるものにも困ってないけど、それがない人もすぐ近くにいるという。そのことを気付かせる曲にしたかったんです。
──そういう人に向けて「Keep your hope alive」=希望を捨てないで、と伝えたかった?
そうです。死んだらそこで終わっちゃうし。
──生きることを諦めないで、というメッセージにもしたかったんですか?
一番に言いたいことはそれです。私の友達に、家がなくて毎日食べるものがなくても、すごく元気な子がいるんです。「お前、どうやったらそんな元気なの?」ってバイタリティにあふれている。そういう子もいる反面、ちょっと何かが欠けただけで「もう無理だ。死にたい」って子もいる。いろんな人がいるけど、どんな状況の人にも私の音楽を届けたいんですよね。死にたいと思ってる子にも「ちょっと待って。明日になったらいい知らせがくるかもよ」とか、ちょっとでもポジティブに“HOPE”を感じられるような歌にしたくて。どこかで希望を持っていてほしい。死なないでほしいということなんです。
──1番の歌詞を書いたのは2018年ということでしたが、コロナ禍に見舞われた今の時代にも響く歌になりましたね。この曲でがんを治せる病気にするプロジェクト・deleteCにも参加されています。
2番の歌詞はコロナ禍を受けて書いたんです。あと、NHKの番組(2020年3月放送の「ひとモノガタリ」)でナレーションをやらせてもらって、deleteCの活動も聞いていたから、がんだけじゃなく、いろんな難病に立ち向かってる人たちのことも想像して書きました。例えばコロナ検査で陽性になったからいじめられるみたいなニュースもその頃あったから。だから、「責められる毎日どうして?」って書いたんです。そういうバッシングは本当にひどいと思うから。
やっと自分の曲が役に立つかな
──世界がコロナ禍に見舞われて1年以上経ちました。当初は事態をどのように受け止めていましたか?
私はもともと菌が大嫌いで。コロナ云々の前に、歌う仕事だから日頃から気を付けていたんです。寝るときはいつもマスクしてるし、どこかで外食するときも食べる前にスプーンやフォークを拭くようなタイプだった。だから、コロナが広まって一番困ったのが除菌シートとかマスクがお店からなくなったこと。まずはそれ。どうすればいいんだ!?って(笑)。
──2020年2月頃から音楽業界にもライブの延期・中止など影響が出始めました。そのときはどう思っていましたか?
私は2月の終わりくらいまでライブをやってたんです。当時はまだ、コロナウイルスってやつが流行りだしたらしいよという感じだったから、それは無事終わって。ただ、ウイルスと聞くと、私、ビビッと反応するんです。2009年に新型インフルエンザが流行ったとき、大阪公演で半分くらいお客さんが来なかったことがあったんです。会場がガラガラだった光景を今でも覚えてるし、ライブができないと多大な損害があることを知ってるから。
──その時点で、2020年9月から始まる全国ツアーの開催を発表していましたが、無理かなと思っていたんですか?
無理だと思ってました。安全が確保できないんだったら意味がないと思って。私のライブはみんなが元気で来て、元気に帰って、「今日よかったねー」って話せるのがいいんです。それができないんだったら、無理やりやることはないと。みんな元気でいたらまた会えるからって。
──昨年の外出自粛期間は、どのようにして過ごしていましたか?
子供の世話です。ある意味コロナの影響で子供のことがいろいろできたから、それはすごく助かりました。1人目の子供を出産したときは、産後すぐに仕事やツアーをしてたから。
──コロナ禍で家族と過ごす時間が増えた。
そう。家族の時間が増えたのはよかった。そこはポジティブに受け止めてます。もともと私はパーティとか行かないタイプだし、クラブにも行かないから、あまり影響はなかったです。
──おうち時間が増えることで、音楽制作には何か変化がありましたか?
そんなに変化はないです。日頃から曲を作ってるタイプだし、妊娠してるときも時間を埋めようと思って働いちゃうほうだったし。むしろコロナでステイホームになったのはよかった。規制がなかったら仕事でどんどん動いちゃう人だから。
──例えば、家族愛の歌が増えたとか、歌詞のテーマに変化はありますか?
それもあまりないですね。もともとそういうことを書いてるから。
──「Not So Different」のテーマは、15年前の2006年に出した「I Wanna Know」と地続きだと思うし、AIさんは反戦や平和を願う歌をこれまでにたくさん書いてきていますからね。ラブ&ピースという大きなテーマが変わらず根幹にある。
そう。「VIVA A.I.」というアルバム(2009年3月発売)に入ってる「Rose」とかね。変わってないんですよ。変わってなさすぎて悩んでるくらい。
──そうした歌やメッセージが求められる時代になったという感覚はありますか?
ありますね。もっと役に立てる時代が来たかも。やっと自分の曲が役に立つかなって。私のメッセージは変わらないんですよ。自分がピースでいたいから、そのためには周りにもハッピーにピースでいてほしいということなんです。ただ、自分が作ると、どうしても同じようなテーマになっちゃうから、逆に今はほかの方に曲を書いてもらってるんです。
──それは日本人アーティストですか?
今お願いしているのは日本人アーティストです。おそらく皆さんがすごく意外だと思うような人。
──そういうトライをすると、新しい気付きや発見があるでしょうしね。
そうなんです。椎名林檎ちゃんの「罪と罰」をカバーしたり、こないだも(加藤)ミリヤのトリビュート盤で「勇者たち」をカバーしたけど、たくさん発見があったんです。メロディにしても、歌詞にしても、ずっと自分の中にあるものだけ……自分が見て感じたことだけで書いていたから、違う角度から何かが入ってくるとすごく刺激になるんです。次に向けていろいろ勉強しないといけない時期だなと考えていたし、コロナ禍で気付いたことも大事にしながら、新しいことをいろいろ準備していきたいと思ってます。