劇場版「SHIROBAKO」特集 堀川社長対談4番勝負 第4回 P.A.WORKS社長 堀川憲司×「なつぞら」アニメーション監修 舘野仁美|もう一度「アニメ業界は夢があって、働きたい」と思えるようにしたいんです

“継承システム”をめぐる試行錯誤

──「なつぞら」と「SHIROBAKO」の共通点ですと、東映動画の伝説的アニメーターである森やすじさんを彷彿とさせるキャラクターが、どちらにも登場しますよね(※)。それはやはり、森さんがあの時代にとって大事な方だという認識からだったのですか。

※「SHIROBAKO」では武蔵野アニメーションのベテランアニメーターである杉江茂、「なつぞら」では東洋動画のベテランアニメーターである仲努が、それぞれ森やすじとの共通点が多い人物として描かれている。

テレビアニメ「SHIROBAKO」第3話より、杉江茂。

堀川 僕が森やすじさんのファンだからというのはあります(笑)。杉江さんよりももっと(時代としては)前の方なのですが、デザインはひげを剃った森さんですからね。ちなみに、今回の劇場版では杉江さんがひげを生やしていますから、よりそれっぽく見えますよ(笑)。

──あ、そうなんですか!

堀川 以前、森さんが秋田の劇団わらび座の演劇を見た雑感を読んだことがあるんです。「日本人の日本のマンガ映画を作るべきだ」といった、決意表明が書かれていて。これが素晴らしいんですよ。ずっと大切にコピーを財布の中に入れていたんです。

──影響を受けられたんですね。

堀川 今でこそ、地方を舞台にした日本のアニメーションも作れますが、なかなか当時は難しかった。その中で「日本ならではのアニメーションを作ろう」という考えに至った森さんは、それを思うだけで、「寒い冬の夜であったが その夜の帰途 海水浴の帰りのような 身体のほてりを感じながら そう思ったのである」と(※アニメージュ文庫「もぐらの歌-アニメーターの自伝」より)。素晴らしい文章ですよね。もちろん、森さんが生み出したキャラクターも素晴らしいです。あの品のよさはちょっとまねできないですよ。

舘野 本人の中にあるキャラクターへの思いが出ているんだと思います。絵って、上手に描いてやろうという作為的なものはダメなんです。キャラクターの描かれていないところまで想像できるようなキャラにしないと、視聴者に見破られてしまう。奥行きのある、感じさせるキャラにしないと。勝手な想像ですが、森さんもそれを目指しておられたのだと思います。そういったことは今も昔も変わらないと思いますね。

──では、アニメ制作現場において、当時と変わった部分があるとすれば、どういったところでしょうか。

舘野 なんといってもデジタル化ですね。納期がギリギリまで延ばせるようになった。昔だとフィルムが前提なので、公開時期の前に2カ月位は必要でした。現像して、チェックしてOKが出て、そのあとフィルムを焼かないといけないから、本来すごく日数がいるんですよ。今はその頃に比べてアップ日がぐんと延びたので、制作現場にとっては大きいですよ。ただ、逆に変わらないこともあって……。今のアニメーションは丁寧に描いているけど、時間と手間とお金を掛けたからといって、いい作品とは限らないんですよね。それは昔からだし、大急ぎで作ってひどい制作状況であったとしても、面白い作品はやっぱり今観ても面白いと思うんです。

──込められているものがあってこその作品ですからね。

舘野 だからそこは監督が踏ん張って、喧嘩してでもがんばってやっていける人じゃないと。なんとなく言われたことを「はいはい」とやるとよいものはできないと思うんです。

──堀川さんはいかがですか。

テレビアニメ「SHIROBAKO」第15話より。

堀川 「なつぞら」にしても、「SHIROBAKO」の「(山はりねずみ)アンデスチャッキー」のパートでも、文化祭の前夜祭みたいに、みんなで作っているんだという空気がかつてはあったと思うんです。その空気が作りづらくなっているなと。それも納品前のドタバタではなくて、企画レベルのもっと前の段階、一番夢が広がるところでですよ。そこでの話し合いの場が減っているなって思っていて、なんとかそれを取り戻したいと思っていますね。あとぜひ舘野さんにお聞きしたいんですけど、「ジブリではこういうものを大切にして継承していきたい」という姿勢を、どういったシステムで継承されていったんでしょうか。

舘野 システムは……ないと思います。

堀川 ないんだ(笑)。

舘野 宮崎さんがこのままじゃダメだ、新鮮なエネルギーが必要だと言って、新人を入れたりしたんです。ずっと同じ人たちとだけ作っていたらダメだと言ってね。たぶんそういう人がカンフル剤のような刺激になると思われたのではないかなと。

──宮崎さんが、すなわちシステムとして機能していたんですね。

堀川 なるほど。例えば僕は去年から、社内報を作っているんですよ。その中で、作画部の部長である吉原正行が四半期に一度メンバーを変えて鍋パーティをやるんです。そこでの大切な話を1コーナーとして文字化しているんですよ。

──そうすることで、システムを作っていこうとされたんですね。

堀川 ええ。でも、不思議なことに社内報が出て、次に別のメンバーでやるよと言ったときに、「前の社内報をまだ読んでいません」という人がけっこういるんですよね。だから、まず関心を持ってもらうところからなんですよ。どこでどうやって振り向かせるか。探究心が芽生えてしまえば楽なんですけど、そこまで持っていくのがね。舘野さんが動画検査として、そういう考えを共有するためにやってきたことはあるんでしょうか。

舘野 細々とやっていたのですが、聞いてくれなかった方も多かったです。でも、「風立ちぬ」の前、動き、特に歩きの作画で癖の強い子が多くなりすぎた時期があるんですよ。もっと素直な感じで伸びていってくれればいいなと思って、癖を直そうと再研修をしたことがあったんです。そのときには、すごくエネルギーを使いました。教える側がその子に対してまっすぐな気持ちを持って対応しないとダメなんです。

堀川 そうですよね。一方で最近は若い子たちが先輩に“語りかけてもらえるのを待っている”風潮もあると思うんです。作画についていろいろ語りたいって若手が言っているんですけど、自分からは話さないそうなんですよ。先輩に自分から「作画について話をしましょう」というのは、壁があるものなんですかね。

舘野 いや、それはファンなんですよ。仕事仲間ではなくて、先輩を憧れの人として見てしまっているんだと思います。

堀川 ああ。確かにそういうところがあるかもしれないな。どうにかその壁を越えて、闊達な空気の中で大切なものを継承していけるといいのですが……。

左から堀川憲司、舘野仁美。今回の対談は舘野がオーナーを務めるササユリカフェで行われた。

歴史の証明としての「SHIROBAKO」

──劇場版の主なテーマは、どういったものになるんでしょうか?

堀川 テレビ版の後日譚として、シリーズでもうたわれている「アニメの今はここにある」というところに焦点を当てています。今回のシナリオを描いた頃の業界は非常に過渡期だったんですよ。P.A.も大変で、働き方改革やアニメーターの待遇も含め、この業界の労働者不足、育成問題、いろんなものが一気に噴出した頃で。だから今回の劇場版では、その当時の僕らや業界の置かれていた状況が記録されている感じですね。

──では、この作品そのものが「なつぞら」のように歴史の証明になるのかもしれませんね。

堀川 そうですね。「あの頃はこうだったね」って言い合える作品になっているのかもしれないです。

アニメならではの喜びを

──最後にお二人に、今後アニメーションの未来がどうなっていくかをお聞かせいただきたいのですが。

舘野仁美

舘野 ジャパニメーションとか、クールとか言っていただけているのを真に受けたままだと、日本のアニメは面白くなっていかないかもと思っています。よその国の人が作った作品がどんどん面白くなって、今また素敵に進化しているんですよね。このまま安心していたら、日本のアニメの存在はしぼんじゃうかもって危惧しているんですよ。

──日本のアニメーションはどういった点に改善の余地がありそうですか。

舘野 3DCGをツールとしてどう使うべきか、といったところはよくよく考えたほうがいいと思います。例えばモブシーンですけど、3DCGで増殖させていると、だんだんみんな真剣に観なくなると思うんですよね。例えば宮崎さんが「ソフトを使って増やしただけのものはやがて目が慣れて、観ようという気持ちがなくなってしまう。汗水垂らして、手で描くことで、観客はみんな引き込まれていくものなんだ」とおっしゃっていて。それは直感だと思うんですよね。

──3DCGの利点としてコピー&ペーストができることも挙げられますが、それだけではダメだと。

舘野 おそらくそういうことだと思います。3Dであっても、手間ひま掛けて作ればまた違うんだろうけど、安易にやろうとするとよくなくて。観客を甘く見て楽な方法に頼りすぎると、見捨てられるんじゃないかと思うんですよね。

──なるほど。

舘野 例えば「この世界の片隅に」では、根気強いアニメーターがモブを1人ひとり違う動きで描いたと伺いました。片渕須直監督が「それを描いた人は大変だったし、時間も掛かったそうなんですが、よいカットになった」とおっしゃっていたのが印象的なんです。「SHIROBAKO」の「アンデスチャッキー」も、モブとしてキャラクターを多数登場させて走らせていましたよね。昔も今も関係なく、そういうポリシーやパッションを忘れないということが大事なんだと思いますよ。

──堀川さんは、劇場版「SHIROBAKO」を作られて、新たに考えられたことや、そこから見えてくるアニメーションの未来は、どういうものだと思われますか。

堀川憲司

堀川 感触がないままに作り続けるのではなくて、「なつぞら」でアニメーターたちが感じていたように、やった苦労が作品として帰ってきたという作り方を取り戻せるような業界になってほしいと思いますね。大ヒットということではなく、「自分たちはこれを作っているのだ」という自負のもとに、シリーズが1ラインでもできるような会社にしたいなと思っているんです。人が育ってくればそれもできるんじゃないかと。希望がないとは全然思っていませんよ。何人かのアニメ会社の経営者とも、このインタビューシリーズでお話しましたが、このカオス的な状況はここ数年で収まるだろうという気がしたんです。もう少ししたら答えは見えてくるんじゃないかなと。ジブリのような突出した会社が出てくるのかどうかはわからないですけどね。

舘野 みんなジブリと同じにはならなくていいと思いますよ。

堀川 それでも、ジブリが果たした役割は大きいじゃないですか。僕は「風の谷のナウシカ」が好きでこの業界に入ったようなものですけど、(当時の)友達は「ナウシカ」と言ってもよくわからなかった。でも、ジブリというものが日本に浸透して、「オタクたちがやる仕事なのね」から、「夢のある仕事ですね」と言われるまでになったんです。そのおかげで業界で働く人たちが生きやすくなった。

──確かに、そういう部分もあるかもしれません。

堀川 それが最近、アニメ業界はブラックの典型であるという、負の見られ方をしているので、それをもう一度「アニメ業界は夢があって、働きたい」と思えるようにしたいんです。イラストレーターになって、ネットで自分の絵を出せば、直に自分が評価される時代なので、そういった流れとアニメーターは闘っていかないといけない。ですから、アニメならではの喜びをきちんと示していけるような、そんな作品を作り続けたいと思います。

テレビアニメ「SHIROBAKO」第24話より。

※記事初出時より、コメントの一部を修正しました


2020年2月28日更新