「羊角のマジョロミ」阿部洋一×海法紀光対談|エロくてかわいい後輩と世界で2人きり♡ ――ポストアポカリプス、それは恐怖と解放への欲望

「バニラスパイダー」みたいなものを描かせなくてなんのマンガ業界か

「羊角のマジョロミ」1巻より。お腹を押さえてなにやら苦しむ澤田。もだえる姿が色っぽく描かれている。

海法 「マジョロミ」は、阿部先生のこれまでの作品に入っていたエッセンスがギュッと凝縮されてますよね。「バニラスパイダー」とか「血潜り林檎と金魚鉢男」なんかにあった怪異・ファンタジーの要素が圧縮されていて、さらに「チンコ」で見られたやりきれない感情や性的な要素も入っている。

阿部 人からもよく言われますが僕の作品って、「バニラスパイダー」や「金魚鉢男」みたいな怪異やファンタジー要素の強い路線と、「チンコ」とか「橙は、半透明に二度寝する」みたいな、フェティッシュな要素を含む少年少女の関係にフォーカスした路線でけっこうテイストが違うんですよね。描いているほうとしては、「チンコ」や「橙」は自分の好き放題にやっていると思っていて。

──初期作品のテイストよりも「チンコ」や「橙」のほうが阿部先生にとって好き放題描いている作品なんですね。意外です。

阿部 もちろんどちらの路線も楽しいし好きなんですが、「バニラスパイダー」や「金魚鉢男」みたいな初期の作品は割と編集部側から「こういう感じの話はどうでしょう」とか「こういうキャラはどうでしょう」って提案があったりして。自分の趣味や好みだけで描いていると、どうしても世界が閉じてしまうので、ほかの人の意見に乗っかってやっていこうと思って描いたのが初期の作品なんです。「チンコ」や「橙」ももちろん描いていて楽しいんですが、「初期のような話を読みたい」って読者さんの声もあって、そういうノリのもやりたいなって思いがあった。ただ、「『バニラスパイダー』みたいなものを描きたい」と言っても、出版社からはあまりいい反応がなくて……。

阿部洋一「バニラスパイダー」1巻(講談社)
阿部洋一「橙は、半透明に二度寝する」1巻(講談社)

海法 阿部先生に「バニラスパイダー」みたいなものを描かせなくてなんのマンガ業界ですか!

阿部 (笑)。だから今回の作品では、初期のテイストでやらせてもらえることになってうれしかったです。

海法 いやあ、ドラゴンエイジさんはすばらしいですね(笑)。

阿部 ただ、自分でも自覚していなかったんですが、「橙」とか「チンコ」を経たことで、そういう路線の要素も自然に盛り込まれるようになっていたんですね。化け物とかが出てくる初期の世界観と、ちょっと性的な要素が入ったフェチな部分……「マジョロミ」は、その両方が入った作品になったかな、と。

海法 阿部先生のエロとかフェチのルーツってどのへんなんですか?

阿部 元になった体験とかはちょっと思い出せないんですけど、ちょっと特殊なものが好きなんだなって自覚したのは、高校生くらいのときに読んだ唐沢なをき先生の「カスミ伝△」です。

海法 ああ、月刊マガジンZ(講談社)で連載していた……。

阿部 そうです。当時コミックボンボン(講談社)で読んでいた作品が、新しく創刊されるマガジンZに載ると知って買ってきたんですけど、そこに載っていたのが「カスミ伝△」だったんです。そのエピソードで、主人公のカスミちゃんが身体の中身だけ出ちゃって、皮だけが残る話があるんです。で、小源太って少年がその皮に入って興奮するという。その話がすごくエロくて大好きでした。「バニラスパイダー」でもパロディというかオマージュで、主人公が女の子の皮を着るというのをやったくらいです。唐沢なをき先生にはすごく影響されていますね。海法先生は何かルーツみたいに感じている作品ってありますか?

海法 うーん、難しいな……自分は古くからエロゲーをやっている人間なので、その辺の作品のいろんなフェティシズムが影響しているところはありますね。阿部先生は「CROSS † CHANNEL(クロスチャンネル)」ってゲームはやってたりしますか?

阿部 あ、いえ、やっていないです。

海法 そうかあ。もともとエロゲーには優しい世界滅亡ものみたいな作品がけっこうあるんですが、その中で俺は「クロスチャンネル」にすごく影響を受けてるんです。ループものでもあり、無人の世界に学校と友達だけ取り残されるという話でもある。これ、「バニラスパイダー」とかにも近い感じがあるので、「もしかしたら」と思ったんです。

阿部 僕はエロゲーだとアリスソフトの作品をよくやっていたので、その辺にも影響はされていると思います。

世界の崩壊は恐怖か? それとも解放か?

──ルーツの話でいうと、ポストアポカリプスものの作品で自分のルーツだと感じる作品はありますか?

核戦争の恐怖を身近に感じていたという海法。「がっこうぐらし!」の中でも、核攻撃で“かれら”を一掃しようという動きが描かれていた。

海法 ちょうど今年の5月に復刻完全版が出た、ひらまつつとむ先生の「飛ぶ教室」っていうマンガがあるんですが、それなんかはルーツのひとつなのかなと思っています。80年代のジャンプ作品なんですが、ある日突然日本で核戦争が起こって、たまたま学校のシェルターに隠れていた先生と子供たちが助かるという話。世代的に阿部先生なんかだとあまりピンと来ないかもしれませんが、俺たちの世代は冷戦の恐怖というのがすごく身近だったんです。アメリカとソ連の緊張感が高まっていて、小学生でも「いつ核戦争が起こってもおかしくない」という恐怖を日常的に感じていた時代なんですよね。それこそ核戦争の夢を見るくらい。その恐怖がポストアポカリプスと結びついているんだと思います。

阿部 僕の場合はポストアポカリプスっていうのとはちょっと違うかもしれないですが、「ドラゴンボールZ」の映画で「地球まるごと超決戦」っていうのがあって。星から栄養を吸って成長する「神精樹」という樹が出てきて、それが地球をボロボロにしてしまうんですね。あれが原体験というか、すごく好きで。植物とかで世界が崩壊して、静かになっている感じに居心地の良さを感じるんです。

──同じポストアポカリプスでも、原体験として海法先生は恐怖、阿部先生は居心地のよさを感じていたわけですね。それは「がっこうぐらし!」や「羊角のマジョロミ」の作風にもつながっているように感じました。「がっこうぐらし!」は崩壊の恐怖、「マジョロミ」は崩壊の解放感が印象的です。

海法 まあもちろん恐怖だけじゃなく快感もありますけどね。やっぱり誰だって「明日から学校が休みで友達しかいない」っていうのは楽しいですから(笑)。本当にそんな世界になったら困るんでしょうけど、想像としては絶対そういう楽しさがある。「今ゾンビが襲ってきたら」みたいな妄想も定番でしょう? 「がっこうぐらし!」でも舞台のもとにした映画館があるんですが、当時ライター仲間で「ここならこう脱出しないといけないね」なんて話をよくしていました。

阿部 僕は普段あまりそういう妄想をした記憶はないんですが、「マジョロミ」を描くことになってイメージした舞台はやっぱり身近なところでした。実家の周りが多いですね。小さい頃に住んでいた場所なので、自分の中でノスタルジックな感覚とつながっているんですよね。僕は自分が体験したことがある感覚じゃないとうまくマンガにできないというタイプで、それが負い目でもあったんですが、「マジョロミ」の単行本の改訂をしているときに開き直ることにしたんです。「知っている範囲、実感のある範囲で描けばいいや」って。

「羊角のマジョロミ」1巻より。「私以外のヤツら みんないなくなってしまえばいい」と不穏な発言をする澤田。この彼女の思いが世界を変化させた。

──澤田の「私以外のヤツら みんないなくなってしまえばいい」って願いは阿部先生自身の実感とつながっていたりするんですか?

阿部 そうですね、もうそのままの感じです(笑)。あんまり学校が好きなほうではなかったので。あんまり人がいるところが好きじゃないんです。人って集団になると別の生き物みたいになるので、それが怖いというか。少人数だと1人ひとり見ることができるんですけど、集団になるとどこを見ればいいのかわからなくなる。それは大人になった今もあまり変わらないですね。

──学校が好きではなかったということですが、「マジョロミ」の澤田と先輩は割と楽しそうにしていますよね。

阿部 人のいない教室に友達と行くのなんかは好きでした。高校時代、漫研に入っていたんですが、部室が屋上の荷物置き場みたいなところで、6人も入るともう座れないんです。だから、7人以上集まったときは、空き教室を借りてマンガを描いていたんですけど、空き教室って日によって変わるじゃないですか。普段行かないような教室に行っていろいろやるのは楽しかったです。その辺も、「マジョロミ」の世界観につながっていると思います。

海法 学園ものが人気になる理由って、学校が好きじゃなかったからこそ学園もので理想の学校生活を体験したいみたいなところもあるでしょうしね。僕はなんだかんだで学校って好きでしたけど、文化祭のときにみんながフォークダンスをしているのを屋上から見ているような奴ではありました(笑)。

阿部 学校で楽しく遊びたかったですね。「がっこうぐらし!」を改めて読んでいても、序盤の体育祭のシーンとか「ああ、いいなー!」って思いました。「マジョロミ」でも体育祭とか描けばよかったなって。あと、由紀が妄想で「学校を遊園地みたいに」「屋上に観覧車を」って話をしますよね。絵としても映えるし、描いたら楽しいだろうなって思いました。自分ではなかなかこういうシーンって思い付かないんです。結局ボツにしたネタですけど、「マジョロミ」で思い付いたのって、澤田が毎朝起きて、まず嫌いな奴らを往復ビンタして回ってから1日を始めるみたいな場面ばっかりになっちゃうんですよね。

──澤田らしいっちゃらしいですけどね(笑)。

阿部 あまりにネガティブすぎるので最後の最後でやめました。

「ずっといたい」と「卒業しなくては」がせめぎ合うのが学園もの

──そういう意味では同じ学校を舞台にしたポストアポカリプスものでも「マジョロミ」と「がっこうぐらし!」は対照的な気がします。

「羊角のマジョロミ」1巻より。2人で裸で廊下に寝転びながら「ここにずっといてください」と先輩にお願いする澤田。学校の外へと興味を持つ先輩を押し留めたいという気持ちが溢れる。
「羊角のマジョロミ」1巻より。2人で裸で廊下に寝転びながら「ここにずっといてください」と先輩にお願いする澤田。学校の外へと興味を持つ先輩を押し留めたいという気持ちが溢れる。

海法 まあ、ある作品とある作品がまるっきり同じなんてことはあるわけがないですからね(笑)。でも、学園ものの根底的な部分では共通しているところはあるのかなと思います。小説家の新城カズマ先生が昔「学園ものというのは2つ駆動系がある」と書いているんですね。1つは卒業したくないという気持ち、もう1つはいつか卒業しなくてはならないという気持ちだ、と。学園ものというのはこのアンビバレントな気持ちが駆動系となってお話を回しているわけです。「がっこうぐらし!」も学校の中でずっと部活動としてやっていられたらそれはそれで、友達と一緒にいられたら幸せなのではないかという話と、そのままじゃいけないなって話が両方あって、それがぶつかり合いながら進んでいる。「マジョロミ」も2人きりの学校で、エロくてかわいい後輩がいて、「ここにずっといればいいんですよ」と囁いてくるわけです。それもいいかなと思いつつも、外も見てみたいという気持ちがある。

阿部 そうですね。今までの作品でもやっぱり最後は日常に戻らなきゃいけないなってテーマはあったし、「マジョロミ」でも好き放題破滅に向かうだけじゃなく、日常に帰らなきゃっていう気持ちはありました。一方でそのまま破滅に向かう作品も描いてみたいという気持ちがあって、「日常に帰らなくていいじゃないか」っていうネガティブなのにポジティブみたいなことを貫き通してみたいって気持ちで描いてもいます。

海法 ポストアポカリプスものって、そうやって「お前はどうしたいんだ、どう生きるんだ」って問いを突きつけるんですよね。人間って生きていくうえで「ああしなきゃいけない」「こうしなきゃいけない」といういろんな社会的しがらみがあるわけです。でも、世界が崩壊すると社会的なしがらみがひとつポーンと抜けて、見通しがよくなる。例えば、善人と言われる人がいたとして、でもその人はなぜ善人なのかっていう理由がある。人に褒められたいから善人なのかもしれないし、そのほうが有利だから善人なのかもしれない。評価する他人や社会がなくなったとき、その人はそれでもなお善人でいようとするのか、どうしたいのか。そういう言い訳の効かない問いに向き合わなくてはいけなくなる。それが面白いんですよね。

「羊角のマジョロミ」1巻より。「“先輩で遊ぼう”と思って起こした」と悪びれない澤田。すべての人間が眠りについた世界で、純粋な思いが彼女を動かす。

阿部 しがらみがなくなるというのがすごく魅力的ですよね。キャラクターの感情とか思いが純粋に抜き出されて、そこだけに目が行きやすくなる。世界の全部がここだけって提示されるとのめり込みやすい。そういうところがポストアポカリプスの魅力だと思っています。

──最後に阿部先生から読者にメッセージをお願いします。

阿部 僕が描くのが遅いのもあるし、連載自体も季刊なのでゆっくりと進む話ですが、大きな流れは見えているので、気長に付き合ってもらえたらと思います。

海法 「マジョロミ」は本当に、タイトルに違わぬウールのような作品だなって思います。人間と人間の間にある距離感をすごくふわふわにしつつ、でもウールだからチクチクもする。そういう皮膚感覚があって、すごくエロ気持ちいい作品です。で、「マジョロミ」はもちろんだけど、阿部先生のほかの作品を読んだことがない人はこの機会に全部読んでほしいですね。「マジョロミ」だけでなく、「バニラスパイダー」から「チンコ」まで絶対読めばいいじゃんって思っちゃいます(笑)。