「高校教師」「101回目のプロポーズ」「ひとつ屋根の下」など、1990年代からドラマシーンを語るうえで欠かせない名作を数多く生み出してきた脚本家・野島伸司。その野島が初めてアニメの脚本に挑戦した「ワンダーエッグ・プライオリティ」が1月より放送されている。初めてできた友達を自殺で失った引きこもりの少女・大戸アイは、不思議な“エッグ”を手に入れたことをきっかけに、死んだ友達を救うため戦いに身を投じていく。
コミックナタリーではこのたび、原案・脚本を務める野島へのインタビューを実施。なぜアニメの脚本を野島が手がけたいと思ったのか、なぜ物語の切り口に自殺というセンセーショナルな題材を据えたのかなど、その真意を探った。また、話題は野島がメインに活動するTVドラマにもおよび、アニメとドラマの視聴者の違いについても思いを述べてくれた。
取材・文 / 粕谷太智
CHARACTER
野島伸司インタビュー
視聴者を探し求めてたどり着いたアニメ
──まずは第1回を視聴した感想からお伺いしてもいいですか?
テレビ放送前にも事前に観ていたんですが、テレビで改めて観たら映像のクオリティがただただ高い。
──視聴者の感想を見ていても映像のクオリティの高さを褒めている方がたくさんいらっしゃいました。
基本的には今回、僕は脚本を書いただけなので、視聴者的に観ている感覚が強いんですよ。ほとんどすべて監督の若林(信)くんの世界観で作っているので。僕は楽しく話を作り、世界観ひっくるめてキャラ造形からは監督以下チームで作ってもらって、自分が観たいものを形にしてもらったというという感覚ですよね(笑)。
──野島さんといえば「101回目のプロポーズ」「高校教師」など、実写の人気ドラマを数々手がけてきましたが、今回なぜアニメの脚本を書くことになったのでしょう? 会見ではご自身からやりたいと声を上げたとおっしゃっていましたが。
今回急にということではなくて、自分が書きたいものを受け止めてくれる視聴者はどこにいるんだろうとずっと探し求めて、たどり着いたのがアニメですかね。
──野島さんは近年では配信などテレビから離れた場所でも作品をいくつか発表されていましたよね。
僕は若い世代の話を書くのが一番楽しいんですよ。まだ本人の価値観とか性格が固定されていないので、キャラの振幅する幅がすごく広い。さっきまで怒っていた子が、急に笑っても泣いても何をしても許されて、それが逆に魅力的になる。ただ、今の時代に10代の子たちの群像劇のようなドラマをテレビのゴールデン帯でやってもまず失敗するんです。そこに感情移入してくれる視聴者がいなくなってしまったので。
──それは、いわゆる若者のテレビ離れなどが原因でしょうか?
それもあります。今はちょっとしたお金があれば配信サービスに入って、自分のライフスタイルに合わせて、状態のいいときに観たいものを観られる。それが本来の理想的なエンタメの見方として枝分かれしてきているので。テレビでドラマをリアルタイム視聴するのは、ほとんどもう年齢が高めで与えられた作品を観るだけの方たちなんです。90年代に僕の書いた割とディープなドラマが認知されたときは、テレビが娯楽の王道だったんで、作品を観て自由に考えを持ってくれるような若い視聴者もほかに行きようがなかったんですけど。
──なるほど。若い人に限らず、作品に対して自由に思いを巡らせてくれるような視聴者を探していたわけですね。そうした中で、野島さんなりに思うことがあったと。
はい。自分の書きたいものに深く入ってくれる若い視聴者や、歳を重ねても固定観念なくドラマを観て、自由な感想を持ってくれる人が、ごっそりといなくなったなとここ何年か感じていて。どこに行ったのか探す中で、深夜ドラマ、配信ドラマと発表する場を変えて、じゃあ今度はアニメに行ってみようと。
──お話を聞く前は、「ロボットを動かす」だとか、「剣と魔法のファンタジー」のようなアニメでしかできないことを書くつもりはなかったのかなと思っていたんですが。野島さんからすると「10代の女の子の群像劇」もアニメでしかできないことだったのですね。
ドラマは、視聴者を取りこぼさないようにしなくちゃいけないという大前提がやっぱりあるんですよね。ゴールデン帯のドラマだと、なおさら多くのものを背負わなくちゃいけないんで、自分が好きなものだけ書くというわけにもいかない。それこそ視聴率が取れるのは医療ドラマか、刑事ドラマか、原作があるラブコメかが3種の神器みたいになっちゃっているので、10代の子たちを主役として並べたドラマは企画としてまず成立しないんじゃないかなと思いますね。
──そういった実写ドラマの現状も関係しているのですね。
一方でアニメって今は実写以上に本数が多いじゃないですか。アニメが好きな人って全部のアニメが好きな人はいないと思うんですよ。すごく好きなものをものすごく好きになるというような感覚だと思うんです。それって狭く深くという視聴の形なので、公約数を増やして取りこぼさないようにっていうドラマと真逆の作り方なんですよね。
──なるほど。
なので、今回中学生の女の子の話を書くという、実写では、またゴールデン帯ではできないものを書けてよかったです。今まで実写化不可能なものは書くという想定すらしてなかったんですけど、物書きとして実写で撮れない自由な物語を作れるというのはすごく楽しかったですね。今回の第1回を観て、好きなジャンルが違う人には全然だめなんだと思うんですけど、好きな人だけすごく好きになってくれればいいと久々に言える感じです。
「ファンタジーの配分は自分の中でとても大事」
──「ワンダーエッグ・プライオリティ」には、過去の野島さんの作品に通じるものも感じたのですが、自身のスタイルを変えずにそれにフィットしてくれる視聴者を探していたというのも関係しているのですね。一方で女の子が武器で敵を倒していく様子はアニメ色の強い「魔法少女もの」のようにも感じました。アニメ的な要素を取り入れる配分はどのように考えていったのでしょう?
ファンタジーの配分は自分の中でとても大事にしていて、僕もアニメを観るんですけど、全編ファンタジーだと物語に入りづらいんですよ。アニメを観慣れているアニメファンはまったく問題ないかもしれないんですけど、普段あまりアニメを観ない人は全編ファンタジーという時点で視聴しない人も多いと思うんです。
──確かに野島さんがおっしゃっていた「感情移入してくれる」という部分から外れてしまうかもしれません。
そこらへんの配分は、例えば新海(誠)監督はうまいじゃないですか。基本的にはリアリティベースに話を作って、一点突破でファンタジー要素を付けるみたいな。だから今回は、魔法は使わないようにしようとルールを設けました。人によると思うんですけど、僕は魔法を使われちゃうともう物語に入れなくなってしまうんで。ストーリーだけではなくて、絵の質感とか空気感も、ファンタジーな世界に行っていないときには、普通の女の子たちの群像劇に見えるようにしてほしいというのは若林くんに唯一注文しましたね。
──ファンタジーとリアルの配分でいうと、エッグの中から現れる少女を守る女の子のファンタジー的な話を主軸にしつつも、アイと小糸の過去という現実世界の物語が並行して進んで行きますよね。
なんで小糸ちゃんは死んだんだろうとか、第1回でほとんど出番のなかった先生と実は何かあったんじゃないかとか、自殺の本当の理由は違うんじゃないのかとか、そういうサスペンスが横に流れていくような作りは、実写でもできるプロットなんですよ。ファンタジー要素と、現実でも起こり得るようなプロットの上手く混ざりあった話が自分は好きなので、簡単に言うと自分が観たいものを作ったという感覚です。
──各話のストーリーについてもお伺いしたいのですが。第1回ではいじめ、第2回では体罰と、エッグから現れる女の子のトラウマの原因を中心に物語が展開していきます。直接的な死の描写は登場しませんが、なかなかショッキングなテーマですよね。ストーリーはどのように考えていったのでしょう?
人が死を選ぶ理由はたくさんあるし、衝動的な部分もあります。すごく幸せなときに死にたくなる人もいるだろうし、不幸せだから死ぬということじゃなくて、こういう理由があったから死ぬということは言い切れないと思うんです。よくも悪くも魔が差すような、人それぞれ最後の背中を押すひと押しがあるんじゃないかっていう考え方からです。
──作中でも衝動的という部分は触れられていますよね。それが、エッグから現れるのが若い女の子になっている理由にも繋がっています。
中には手をつないで一緒に飛び降りたりする子もいるんですよ。それって、手をつないで一緒にトイレに行くじゃないけど、男社会ではなかなか理解できない感覚ですよね。男の場合は自殺って本当にいじめがつらくてとか、借金苦で……などロジカルな理由があると思うんです。でも女の子のほうはフィーリングって言ったらおかしいですけど、そういうのが働くのかなっていうモヤッとした考えから作り始めたお話です。
──作中ではエッグの入ったガチャガチャがキーアイテムとして登場します。「ワンダーエッグ・プライオリティ」にも参加されている植野浩之プロデューサーと野島さんがタッグを組んだドラマ「お兄ちゃん、ガチャ」でもガチャガチャが重要なアイテムになっていますよね。野島さんにとってガチャガチャはどういうイメージのアイテムなのでしょうか?
ガチャガチャって何が入っているか分からなくて、僕にとってはものすごくファンタジーなものなんです。特に中が見えないガチャガチャを回すのがすごく好きですね。
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彼女の声を聞いたときに「いけるかもしれない」