週刊少年チャンピオン(秋田書店)が創刊50周年を迎えた。コミックナタリーではこれを記念し、武川新吾編集長による対談連載をお届けする。第1回の対談相手は週刊少年サンデー(小学館)・市原武法編集長。伝統的にヤンキーマンガが多く連載されるチャンピオンに対し、あだち充・高橋留美子に代表される健全なスポーツマンガやラブコメを得意とするサンデーという真逆のイメージがある2誌。ラジオ番組での共演以来、交流があるという編集長同士が語る、マンガにおける編集者の必要性とは。さらにはチャンピオンの看板作品の1つである「BEASTARS」の印象や、2015年のサンデー編集長就任時に市原が掲げた“改革宣言”のその後についても話を聞いた。
取材・文 / 松本真一 撮影 / 石川真魚
サンデーは「出来のいいお兄さん」というイメージ(武川)
──おふたりはたまに会ってお酒を飲む間柄だそうですね。そういうときはやっぱりマンガの話をするんでしょうか、それとも逆に仕事の話はしないものなのでしょうか。
市原武法 そりゃもう、マンガの話しかしてない(笑)。趣味の話とか、車は何に乗ってたとか、そういう話はないですね。
武川新吾 僕らからマンガを取ったら何が残るんだっていうことですかね(笑)。
──チャンピオンとサンデーの編集長として、お互いの雑誌というのはどれくらい意識されているものですか。
武川 世界に4つしかない週刊少年マンガ誌の仲間ということもあって、毎週「どんなことやってるのかな」という気持ちで読ませていただいてますよ。
市原 チャンピオンに限らず、ほかの雑誌の動向は当然、気にはなりますけどね。だけど「意識しているか」と言われるとどうだろう? 「あそこはこんな企画やってるな」みたいなことに囚われると今度は二番煎じになっちゃいますし、「嫉妬する」みたいなこともないですし。
武川 そうですよね。ほかの週刊少年マンガ誌の企画が話題になっていたら、純粋にうれしいですから。
市原 そういう意味では、仕事のうえで意識するということはあまりないかもしれないです。とはいえジャンプ、マガジンを含めた4誌って僕らが子供の頃からずっと読んでますからね。
武川 確かに、マンガ編集者をされている皆さんは割とそうだと思うんですけど、子供の頃からマンガが好きで、いつの間にかこうなっていたので……。だから仕事じゃなくて、好きの延長で読んでいるという感覚です。
──お互いの雑誌についてはどんな印象ですか?
武川 今のサンデーに対してというより、昔から読ませていただいてる印象としては、「出来のいいお兄さん」。我々の作ってるチャンピオンはひょっとしたら、なんだか凸凹としていたり、とんがっていたりという印象もあるかと思うんですけど、それに比べてサンデーはきれいに整っていて、みんなが安心して読める感じですかね。
市原 きれいで整ってるというのがいいのか悪いのか一概にはわかりませんけど(笑)。チャンピオンのイメージは、最近の1冊を読んだイメージではなくてレーベルとしての文化みたいなものの話なんですが、絶えずザラついてますよね。なんて言うんだろう、コンクリートとか砂利道のザラつき感があるというか。
武川 ザラつき感(笑)。誉め言葉をいただいて、大変うれしいです。
市原 ザラついた感じを出すっていうのも、それはそれでとても難しいことですから。そのザラつきプラス、壁村さんのイメージが強いです。
少年マンガ誌の歴史は「壁村以前」「壁村以後」に分けられる(市原)
──チャンピオン2代目・5代目編集長の壁村耐三さんですね。特に1970年代、2代目編集長だった時代にはチャンピオンの部数を大きく伸ばし、第1次黄金時代を築いたと言われています。
市原 僕は少年誌の歴史が好きで、新入社員時代に小学館の倉庫に1年ぐらい通って、記録用に残ってるサンデーとかマガジンを創刊号から全部、ざっくりですけど読んだんですよ。そのときに感じたのは、1959年にサンデーとマガジンが誕生しますけど、最初は今で言う「マンガ雑誌」ではないんですよね。
──昔の少年誌って、今と違って表紙がON(王貞治・長嶋茂雄)といった野球選手だったり、小説が載っていたりと、今のマンガ雑誌とは全然違うイメージです。
武川 チャンピオンも創刊号の表紙がキックボクシングの沢村忠選手というところから始まって、それこそONや、その時代の各界のスターが誌面に多く登場していましたね。
市原 初期のサンデーやマガジンって、マンガは手塚治虫先生とか石ノ森章太郎先生とか本当に大御所の人が何本か載ってるだけなんですよ。だけどアンケートの上位をずーっとマンガが全部独占するから徐々にマンガが増えていって、1960年代中盤にはほぼマンガ雑誌の体裁を成してくるわけです。もう亡くなってしまった豊田亀壱さんというサンデー創刊時の編集長にもお話を伺ったことがあるんですけど、最初は何を作っていいのかわからなかったらしいですね。少年向けマンガ雑誌というもののノウハウが誰にもなかったですから。だから「なんとなく人気の出そうなマンガ家を起用してみよう」という感じで、ジャンルへのこだわりもなかったというか、どんなマンガを載せていいかもわからない。最初の10年から15年はそうやって試行錯誤してるんですよ。
──なるほど。
市原 そこからマガジンの「巨人の星」と「あしたのジョー」が突出したんですけど、「ジョー」を主に読んでたのって大学生なんですよね。だからそこでマガジンが、小学生、中高生ぐらいが読む少年誌としてのアイデンティティを確立できていたかというと、それは違うと思います。結局、最初に「少年向けマンガ雑誌ってこういうものを載せるべきなんじゃないのかな」という型を作ったのって壁村さんなんですよ。例えばスポーツマンガ、アクション、職業もの、ギャグ、ちょっとエッチなラブコメ、こういうのを1冊に全部載せてもいいんじゃないの、というのが壁村さん個人の趣味というか美意識みたいなものだと思うんですけど。チャンピオンでそういう「中高生の好きなものを全部揃えよう」っていうお子様ランチみたいな形ができてから、明らかにほかの雑誌もマネをしてますから。
──歴史はサンデー・マガジンのほうが10年古いけど、今のマンガ雑誌の形を作ったのは壁村さんということですね。確かに70年代は野球の「ドカベン」、職業ものとして「ブラック・ジャック」、ちょっとエッチな「キューティーハニー」、学園もので「ゆうひが丘の総理大臣」、ホラーの「エコエコアザラク」、ギャグの「がきデカ」など、さまざまなジャンルの名作が揃っています。
武川 壁村さんはもうお亡くなりになられてますけど、私も市原さんと同じく、昔の編集者でご存命の方には何人もお会いしたんですよ。チャンピオン50周年の企画で初代編集長の成田清美さんという方にもお会いしましたし、壁村さん以外の歴代編集長の皆さんにもひと通りお会いして話を伺ったんです。皆さん、口裏を合わせたかのように「壁村さん」「壁村さん」とおっしゃってて(笑)。やっぱりチャンピオンの根底にあるのは壁村イズムなんだというのはすごく感じました。もちろん初代編集長の成田さんがチャンピオンという雑誌を苦労して立ち上げて、まずちゃんとしたレールに乗せたという大きな功績があってのうえですけど、その次に壁村さんが2代目の編集長になられて、「週刊少年マンガ誌はこういうもの」という絵図を描かれた。市原さんが先ほどおっしゃっていた、好きなものがすべて載っているお子様ランチという感じですね。そうすることでジャンプ、マガジン、サンデーと並び立った週刊少年マンガ誌の時代というものが、強烈に加速をしていったのかなっていう印象はすごくあります。
市原 週刊少年マンガ誌の歴史は「壁村以前」「壁村以後」に分かれると言っていいと思うんですよね。
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チャンピオンの強みは実践型の作家が多いところ(武川)