コミックナタリー Power Push - UTOPIA
藤子ワールドの原点がここに 幻の単行本、ついに完全復刻
松本零士「UTOPIA」は青春の思い出の本
全ての復刻は、原本に当たることから始まる。しかし「UTOPIA 最後の世界大戦」は先に説明した通り、世界に10数冊しか現存しない稀覯本。今回の復刻では、マンガ家としてはもちろんコレクターとしても有名な松本零士が協力。保管していた原本を提供するとともに「UTOPIA」への思い入れを語った。
──足塚不二雄「最後の世界大戦」との最初の出会いはどのようでしたか。
高校2年のとき、学校からの帰り道に小倉の繁華街の「ながり書店」という有名な本屋さんの書棚で見つけ、半分抜き出したら、「松本、貴様、高校2年にもなってまだ漫画の本を読むのか」といわれ、隣をみたら物理の先生だった。しょうがないから、「これは参考資料であります」と答えて買ったのです。その時の先生の声を今でも覚えています。
──作者の足塚不二雄という人物についてはご存じでしたか。
まったくわからなかった。石森章太郎氏とは文通があったので、トキワ荘にいて石森氏、赤塚不二夫氏、藤子不二雄氏らのグループの誰かであろうとは思っていた。年代はそれほど離れてはいない、同期生的な感覚を作品から受けたからです。ところで、足塚不二雄とか赤塚不二夫という名前ですが、まず「塚」という字を使う。尊敬していた手塚治虫さんだから「足塚」にして、手塚さんの本を多く出していた不二書房に一種の憧れがあり、不二雄や不二夫という名前になったのですね。
──手塚さんの影響はありますよね。
これは新人のときは誰でもそうなのだけれど、手塚さんの影響はあります。しかし、手塚さんにない独特の要素も沢山あり、それが面白いのです。藤子氏、石森氏、私などがそれぞれ描いたものがお互いにわかる感覚があり、この作品を見るとまさに青春の思い出となっています。
──この作品を松本さんはどのように位置づけていますか。
全体の構成としての感覚に共感していました。編隊飛行や都市が本当によく描き込んであり、セリフ、小見出し、バックの描き方に手塚さんにない新しいものがあり、私にとって刺激的であり一時代を築き上げた作品だと思っています。また、この本は描き版ではなく写真製版であり、紙も仙花紙ではなくやや厚手の紙です。いわゆる赤本の時代が終わり、新しい時代が来るという印象でした。また、当時としては大長編というイメージがありました。
──藤子さんに最初に会われたのはいつですか。
東京に行ったときに、トキワ荘を訪ねたのです。誰かいるかと廊下をうろうろして部屋を覗いていたら、「お前は誰だ」と声をかけられ、「松本です」と答えると「おお、松ちゃんか」と、部屋に入れてもらったのです。それが安孫子氏でした。安孫子氏のほかは誰もいませんでした。紅茶をご馳走になったのですが、彼は「あのとき紅茶をご馳走しておいてよかった」といっています。
──この作品は松本さんにとってどんな意味がありますか。
上京するときに持ってきまして、下宿の本棚に入れておき、今も身近においてあります。青春の思い出の本です。
「UTOPIA 最後の世界大戦」付録「『UTOPIA』読本」より抜粋
1953年に鶴書房から出た、藤子不二雄の最初で最後の描き下ろし単行本。原本は足塚不二雄名義で発表され、表紙は大城のぼるが執筆、別のマンガ家の作品とのカップリングで出版された。これまで2度の復刻では表紙が新たに描かれ、カップリング作品も省いた形での出版となっていたが、今回は初の完全復刻。オークション落札価格400万円以上とも言われる超レア本が蘇る。
藤子不二雄(ふじこふじお)
藤本弘と安孫子素雄の共同ペンネーム。安孫子が藤本が通っていた高岡市立定塚小学校に転校してきたのが縁で付き合いが始まる。手塚治虫の「新宝島」の影響を受けて、本格的にふたりでマンガを描き始める。1951年「毎日小学生新聞」に連載した「天使の玉ちゃん」でデビュー。足塚不二雄名義を経て藤子不二雄のペンネームで合作を続け、87年にコンビを解消。その後は、藤子・F・不二雄、藤子不二雄(A)としてソロ活動を行う。96年に藤子・F・不二雄が逝去。合作の代表作に「オバケのQ太郎」、Fの代表作に「ドラえもん」、(A)の代表作に「忍者ハットリくん」など多数。
小学館クリエイティブ
資料性が高い稀少マンガの復刻を手がけているプロダクション。これまでに復刻を行った作品は手塚治虫「新寳島」「手塚治虫創作ノートと初期作品集」、水木しげる「恐怖の遊星魔人」、織田小星作・樺島勝一画「正チャンの冒険」など約200点。
また書籍の出版、および書籍・雑誌 の企画・編集受託・校正受託、地図(日本、世界)の編集制作を請けおっている。