神話の時代が好き。今一番行きたい歴史ある神社は「出雲大社」
──崎山さんと言えば神社仏閣、なかでも鳥居好きで知られ、神社検定三級に合格されています。歴史ある神社仏閣のなかで、今お参りしたいのは?
崎山 僕は日本史でも、時代を遡って神話の時代がすごく面白いと思っています。古事記とか、日本が形作られた頃のお話が好きです。なので、今一番行きたいのは出雲大社ですね。まだ行ったことがなくて。神社や神話が好きだったら、絶対行くべき場所だなと思っています。
伊藤 出雲大社は縁結びの神様としても有名で、女の子にもすごい人気ですね。正式名称は「いづもおおやしろ」と読むんですが、かつて建てられていた本殿の柱の跡が発見されていて、その高さが48メートルもあったのではないかと言われています。
崎山 はあー。大きいですね!
伊藤 すごいですよね。旅行で行くならあえて寝台列車「サンライズ出雲」で向かうと、なかなか情緒があるのでおすすめです。東京駅から出ていて、とても雰囲気がいいんですよね。
崎山 ああ、すごくいいですね。
役作りは、“陽明学派”? 現地に行って肌で感じたい
──崎山さんが歴史上の人物を演じられたときは、周辺の歴史を調べたり、由緒のある神社にも詣でられたそうですね。演じるにあたり、具体的にはどのようにして歴史を調査し、役作りにどんな影響があったのか教えてください。
崎山 参考文献は読みますけど、僕は意外と肌で感じたいほうなんです。実際にその場所に行って、この人が見ていた景色とか、食べていたであろうものを感じたい。どう感じるかはやってみないとわからないんですが、きっと行くことに意味はあると思うし、見ることによって感じるものがあると思うんです。
──なるほど。実際に行ってみると、役作りにいい影響があったり、気付きがあることが多いですか?
崎山 想像がより豊かになったり、色が付くという感じですね。実際に行ってみたときに聞こえる音や、吹く風とかいったもので、役がより立体的になっていく。自分のやり方としては、そういう作り方が一番いいのかなと思っています。
伊藤 それは素晴らしいですよね。中国の儒学の一派である陽明学には、「知行合一(ちこうごういつ)」という言葉があって、「実践を伴わない知識にはあまり意味がない」という考え方があります。その影響を受けたのが、大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛。3人とも陽明学を修めている人だからこそ、考えるだけではなく、実際に動いたんです。
崎山 なるほど……!
伊藤 僕も崎山さんとまったく同じように考えていて、東進ハイスクールの講師を30歳で辞めたのは、僕の日本史の授業を全国から生徒が受けてくれているのに、僕は、その子たちが住んでいる街に行ったことがなかったりする。それはおかしいな、と思ったんですよね。さらに、その子たちのお父さんやお母さんはさまざまな仕事をしていて、それも体験したことがないのに、一方的になんでも知っているような顔して授業しているのもおかしいなと。それで、1回講師をやめて、いろんなところに住み込みで働いて、全然違う仕事をしながら、全国を周ってきたんです。
崎山 (感嘆して)はあー! 素晴らしい……。
伊藤 崎山さんが先程おっしゃっていたみたいに、現地に行って、妄想を走らせるのは僕も好きで。よくお城とかの史跡を、鉄筋コンクリートで再建したって意味がない、みたいなことを言う人もいるんです。だけど、例えば織田信長が拠点にしていた岐阜城は、鉄筋コンクリートで作り直しているけれども、その天守閣の窓に立って長良川を見下ろしたとき、信長と同じ気持ちになれるはずなんですよね。それが大事だと思うから、やっぱり意味があると思うんです。
──史跡から見る自然の風景はそこまで大きくは変わってないことも多いですものね。
伊藤 そうなんです。だから、例えば大坂夏の陣では、真田幸村が徳川家康の本陣に向かっていくわけですが、大阪にある茶臼山の上には、そのときの真田の本陣の跡があるんですよ。
崎山 残っているんですね。
伊藤 その本陣跡に立ってみて、家康の本陣があった場所を眺めてみる。そこに立って見たときの感覚を大事にして、それを授業で言いたいんです。だからきっと、生徒が授業を聞いてくれるんですよ。本だけで見てしゃべったって、ググっているのとあんまり変わらないわけです。だから、崎山さんのそういう感覚はすごく共感できるし、すごく素敵なことだと思います。
崎山 ありがとうございます。
歴史上の人物への親近感距離を一気に飛び越えるマンガというメディア
──「まんが 日本の歴史」シリーズは学生向けの教材であると同時に、大人の学び直しにも適した教材であると思います。崎山さんは、大人になった今読んでみて何か違った発見はありましたか?
崎山 10巻「戦国大名の争い」を読むと、火縄銃1つとっても、ポルトガル人からまず買ってみて、分解して仕組みを調べて、そこから新たに作ってという、種子島の当主をはじめとした当時の人たちの努力と苦労が描かれていますよね。僕が戦国時代の歴史を学生時代に初めて習ったときって、今みたいな便利な時代じゃなかったけど、今ならなんでも説明書があるしスマホで調べられる。便利になった今だからこそ、当時のものすごく地道なやり方に驚きます。便利になったがゆえに失われていった能力があるのかなとか、昔習ったときには思わなかったようなことを感じました。
──視点が広いですね。ちなみに、好きな歴史上の人物はいますか?
崎山 「ミュージカル『刀剣乱舞』」に石切丸として出演したとき、徳川の時代が舞台で、服部半蔵に関わる役どころでした。その際にいろいろと調べて知ったのは、服部半蔵って忍者としてのイメージが強いんですけど、忍びの枠にとどまらず、さまざまな功績があるんです。本能寺の変のあと「伊賀越え」と言って、家康を忍者しか知らない道で畿内から三河に安全に逃したり、家康の長男である信康(のぶやす)をかわいがって育てたりしている。信康が織田信長に疑われて切腹を命じられたときにも、半蔵は「刃は向けられない」と介錯することができずに、髪の毛だけを斬ってお寺に埋めたというエピソードもあります。そうした人間らしいところがすごく素敵だな、と思いましたね。
伊藤 そうですよね。服部半蔵というと「忍者ハットリくん」のイメージが強い人も多いんですが、例えば地下鉄の半蔵門線の由来でもあるし、それも江戸城にある「半蔵門」がもとになっているとか、いろいろあります。知るとさまざまなことがつながって見えてくるんですね。
崎山 そうですね。
伊藤 お仕事である人物に触れたりすると、思い入れができますよね。知ると好きになるし、親近感がわく。だからマンガで読むというのは大きいんです。絵で迫ってきて、いきなり親近感をわかせてくれるメディアだから、距離を一気に飛び越えてきます。
崎山 確かに、マンガはぐっとハードルを下げてくれますよね。
狙うは、秀吉のような天下一統? 崎山つばさが描く夢
──「まんが 日本の歴史」の11巻「天下一統(いっとう)」は豊臣秀吉を描く人気のエピソードです。崎山さんはご自身の将来像について、「どうやってエンタメ界の天下に迫っていくか」について考えたことはありますか?
崎山 あはは。僕は戦(いくさ)は嫌いで、なるべく平和にいたい人なんです(笑)。だから叶えたい目標を持って、一歩ずつ自分のペースで成り上がっていくというか。そういうビジョンはより明確に持つようにしなきゃなと思っています。
伊藤 なるほど。ちなみに、秀吉が天下をとれた一番大きな要因が、彼は日本で天下統一するのは夢ではなくて、当たり前だと思っていたんですね。なぜかというと、自分の仕えていた信長がすでにほとんど統一してくれていて、秀吉自身がゼロから天下をとっていったわけではないので、日本統一はあくまでも“棚ボタ”という考えなんですね。だからこそ、当時の中国である明まで攻めようとして、その過程として朝鮮出兵も行っている。つまり、目指すものは、日本の天下統一よりもだいぶ上にあったからこそ、天下がとれたんだと思います。
──なるほど。日本の統一は過程のひとつに過ぎなかったということですね。
伊藤 そうなんです。秀吉は、農民出身で天下統一まで果たしたのにもかかわらず、辞世の句はかなりネガティブです。「露と落ち露と消えにし我が身かな なにわのことも夢のまた夢」は、天下をとった人の辞世の句にはまるで思えない。「自分なんて、全然目標を達成できなかった」くらいの思いが伝わってきます。
──夢なかばだったわけですね。
伊藤 そう。要するに、それくらい目標や夢がでかい。だからこその天下だという考え方。そんな秀吉の生き方にも、学ぶことは多いと思います。あとは、状況が変わると、今後崎山さんの好きな歴史上の人物も変わってくると思いますよ。
崎山 確かに、歴史や人の見方も変わってきますよね。
伊藤 今後は、スタートとゴールのギャップのある人物、ともに庶民階級出身で内閣総理大臣にまで上り詰めた伊藤博文や、田中角栄の生き方が気になってくるのではないかと予想しています(笑)。
次のページ »
「その人になって、もう一度現代を生きる」ことの大切さ