コミックナタリー PowerPush - 藤子不二雄(A)「まんが道」
お宝発掘! 初収録満載の愛蔵版 A先生が語る青春と友情の日々
お互いに作品の感想を言ったことはない
──トキワ荘を出てそれぞれのご自宅を持ってからも、同じ仕事場を借りていらしたんですよね。
ずっと机を並べて描いてました。毎日6時になると、藤本くんは体が弱いということもあってまっすぐ家に帰るんだけど、僕は飲みに行く(笑)。でも飲んだ後、夜中の3時に仕事場に戻って徹夜して原稿を描いたりしていましたけどね。幸い僕は体が強いからなんとかもった。藤本くんからは「お前は酒飲んで、ゴルフばっかりして!」なんて言われたことは1回もないんですよ。
──その頃には、コンビを続けつつも、描く作品は完全に分かれていて。
「オバケのQ太郎」が最後の合作で、そのあとは別々に作品を描いていた。線も、中身も描くものが違って来ていたので。読者も、作品を見るとこれは安孫子か、藤本か、ってわかるようになっていたし。藤本くんは「ドラえもん」で、僕は「魔太郎が来る!!」でしょう。だから藤本くんが「白い藤子」、僕が「黒い藤子」なんて言われてね(笑)。そういうふうに、描くものは別々なんだけど、藤子不二雄という1つの名前で、40年間一緒に描いてこれたことは素晴らしいことだと思う。
──お互いの才能を認め合っていらしたからですね。
そうですね。でも僕ら、お互いの作品の批評は1回もしたことがないんですよ。普通なら、何か言うでしょう。でもね「おもしろい」とか、そういう感想さえ言ったことがない。それが当たり前になっていましたね。本当に不思議ですねえ。
トキワ荘の仲間は一生「兄弟」です
──トキワ荘のマンガ家仲間たちとのエピソードもすてきです。
宮城から石森章太郎、新潟から赤塚不二夫……マンガ家に憧れた、才能のある若者がトキワ荘に集まって来ていてね。で、みんなが売れていないわけですよ(笑)。テラさん……寺田ヒロオだけが売れていて。テラさんがいなかったら、おそらくみんなダメになっていたでしょうね。
──作中ではテラさんはごはんを作ってくれたり、家賃を貸してくれたり、厳しいアドバイスをくれたりもしていました。
僕らの「お兄さん」ですよね。いつもテラさんの部屋に集まって、昼間から酒盛りをやるの。あれこれ話すのが、楽しくてね。みんな将来はきっと手塚先生みたいになるぞ! っていう夢だけはあったから、お金はないけど平気で生きていられた。本来であれば、ライバル同士なんですよ。誰かが売れたら、嫉妬してもいいはずなのに、いつも「よかった!よし、じゃあ自分もがんばろう」と思えたんです。本当に兄弟みたいな関係だった。それがずっと、一生続いたんですよね。
──やはりトキワ荘は、特別な場所なのですね。
若者が集まって、論議して、育っていく、人生の1つの場みたいなものでね。「まんが道」のテーマの1つが、人と出会うことで人は成長していく、ということなんです。仲間とか、編集者とか、人と「生」の付き合いをすれば、いやなこともぶつかることもあるけれど、そのことで人はひと回り大きくなれる。
──すてきですね。今はそういう場を持つことも、夢を持つことも難しくなっている気がします。
今の時代、若い人が未来に夢を持つのは難しいですよね。でも将来に夢を持って生きるってことが、どんな時代でも大事なんです。僕らは前に手塚治虫っていうすごい人がいたから、少しでも先生に近付こうと夢を持ってやってこられたんだと思う。
──偉大な目標であり、ライバルがいた。
いやいや、ライバルではないですよ。抜くことは絶対にできないと、ずっと思っていました。でも同じ路線を追いかけて行ってもだめだ、とも思っていた。だから空想科学マンガを描くのはやめることにしてね。先生が描けない「ホームドラマ」を描こうと思って「オバケのQ太郎」を描いたんです。手塚先生がいたから、僕らは新しいものを考えられたし、描けたんですよ。
気合いを入れていきましょう!
──今の若手マンガ家にとっては、A先生が手塚先生の立場にいらっしゃる、ということになると思います。「まんが道」を読んでマンガ家を目指したという方もとても多いです。
わりとね、そういう話を最近聞くんですが、非常にうれしいです。「まんが道」とはまったくかけ離れたマンガを描かれる先生が、そうおっしゃっていて(笑)。でもそれでいいんですよ。「まんが道」を読んでマンガ家になって、僕と同じマンガを描いていたら続かないわけで。僕らが、手塚先生が描かないようなものを描いたのと同じ。その先生たちも藤子不二雄の描かないマンガを描いているから、どんどんマンガというものが広がっていく。
──やる気が出ない時、落ち込んだ時に「まんが道」を手にとる、という話もよく聞きます。
うん、なんだか僕のマンガは、読者にただマンガを読んだ、というだけじゃない、何かプラスαを与えられているんじゃないか、と自分でも思うんですよ。
──本当にそうだと思います。「まんが道」も、マンガ家だけではなくて、読んだ人それぞれに「自分の仕事をがんばろう」と思わせてくれるんです。ジャンルを越えて、人を奮い立たせる作品なのではないでしょうか。
いやあ、それはうれしいねえ。みんな自分のやりたいことを1つ持ってね、それに向かってがんばれるといいですよね。「まんが道」を読んで全員マンガ家になったらマンガ家が氾濫しちゃうしね(笑)。「まんが道」をマンガとして楽しんでいただいて、さらに元気を出してもらえたら、非常にありがたいなと思います。ちょっと今の時代、みんな元気がないからね。気合いを入れていきましょう。仕事のときだけじゃなくてね。僕は遊ぶときも、気合いを入れていきますから(笑)。
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藤子不二雄(A)(ふじこふじおえー)
1934年3月10日富山県氷見市生まれ。本名は安孫子素雄(あびこもとお)。1944年、のちに藤子・F・不二雄となる藤本弘と共作を始め、1952年に毎日小学生新聞に投稿した4コママンガ「天使の玉ちゃん」が掲載されデビューとなった。以降、藤子不二雄としてコンビで作品を発表していくが、1987年にコンビを解消し藤子不二雄(A)として新たに活動を始める。代表作に「怪物くん」「忍者ハットリくん」や「笑ゥせぇるすまん」がある。1995年より「まんが道」の続編にあたる「愛…しりそめし頃に…」をビッグコミックオリジナル増刊(小学館)にて連載中。