コミックナタリー PowerPush - 藤子不二雄(A)「まんが道」

お宝発掘! 初収録満載の愛蔵版 A先生が語る青春と友情の日々

1コマ目からいきなり描く

──新人がいっぺんに10本の締め切りを抱えていたというのも、すごい量ですね。

当時は、量を描くことが「正解」だった。毎月、誰が1番多く描いたか、というページ数ベスト3を日本読書新聞が発表していたんですよ。手塚治虫、石森章太郎、藤子不二雄の名前が常連でね。勝った! とか負けた! とか量で競いあってたなあ。石森氏は手が早いし、僕らは2人いるからたくさん描けた。

──当時の、急成長していくマンガ界の熱が「まんが道」のページからも放出されているように感じます。

すごい時代でしたね。もちろん量を描くからといって質を落とすわけではないんですよ。量が増えるってことは、いろんなことが描けるってことですからね。

──大量の原稿を、どうやって描き進めていたんですか。

デビューした頃はアイデアノートを作って準備してから描き始めていたんだけど、何年かたって忙しくなってきてからは、準備せずいきなり1コマ目から描くことにしたの。そうしたら、自分もどうなるか先が読めないわけ。自分で先が読めないなら、読者も読めるわけがないから、すごく不思議なマンガになってね。すごく人気が出た(笑)。そこからは一切ノートをとらないで、1コマ目から描いて行くようになりました。「まんが道」もそうやって描いたんですよ。

──えっ! 「まんが道」もですか。緻密に構成を練ってから描いていらっしゃると思っていました。

リアルな爆撃が展開されたあとに、デフォルメの効いたマンガらしい絵に戻るシーン。

なぜか、できちゃうんですよ(笑)。何十年も、アイデアノートは1冊もない。もちろん、描きながらいろいろ考えて、組み立ててはいるんですよ。僕は単調な画面になるのがあまり好きじゃないので、変化をつけたくてね。例えばここ(図参照)。急にリアルな絵を入れてみたりするの。

──マンガらしいキャラクターの絵の後に、いきなり写実的な爆撃の絵がきて、またマンガの絵に戻っていますね。

同じマンガの中にこうやってまったく異質な絵を入れる。爆撃の場面をマンガの絵で描いても迫力が出ないし、何より画面に変化が出るでしょう。こういうことをやって自分を刺激すると、飽きずに描けるんですよ。

──なるほど。まずはご自分が飽きないように、ということですね。

理論でやっているわけじゃないんですけど。ただ好きでやっているの。リアルな絵は、凝って描くと1ページに1日かかったりもするんだけど、違う絵が描けるぞ! って思うと楽しいんですよ。藤本くんは自分の絵を崩さない人だったけど、僕はもともといろんな絵を描くのが好きなのでね。「毛沢東伝」みたいな、「怪物くん」と同じ作者なの?っていうくらい、写実的なものも描きましたし。

いつも自分を燃やしておくことが大事

──楽しんで描く、ということが大事なんですね。

そうですね。マンガってね、描き手が「これは仕事だ」と思って描いたらだめなんですよ。僕はいまだに、職業欄にマンガ家って書いたことがない。マンガ家を職業だと思いたくないわけですよ。こんなこというと、非常に贅沢だと思われるかもしれないけど、趣味の延長というか、やりたいからやっているの。

──義務ではなくて、やりたいから。

藤子不二雄(A)

マンガを描くのって、本当に厳しいことですよ。締め切りに追いかけられて、寝ないで描いてね。でも、好きで描いていると思えば、逆にそれが楽しくなるわけで。自分が読みたいものを、楽しくてしょうがない! と作者が入れ込んで描くマンガだけが、読者に受け入れられるんですよ。こうやったらウケるんじゃないかと思って描いたマンガっていうのは、一切受け入れてもらえない。今の読者は、厳しいですからね。

──そうやって、60年やってこられたわけですね。

うん。もう何十年も描いているから、適当にでも描けるんだけど、それをやったら、終わりです。いつも自分を燃やしておくっていうことが大事。マイナス思考で、なんか気分が悪いなあと思うと、とてもじゃないけどマンガなんて描いていられないの。そういう気分で描くと、それが読者に移っちゃう。だから僕は毎日の生活をできるだけ楽しく、プラス思考でやろうと思っています。

藤本くんと「2人」でよかった

──「まんが道」を読んでいると、いかにA先生とF先生とがいいコンビだったかが伝わってきます。

まずね、僕ら「2人いた」っていうことがすごくよかったんですよ。2人いるとね、いいときよりもピンチのときに助かるんです。さっき話した、2年間干された時もそうだけど、1人だったら「俺はもうだめだ」って思うような時にも、2人だと「まあいいじゃないか、そのうちなんとかなるだろう」なんて言い合ってるうちに、大丈夫だと思えてくるの。2人でいたことは、僕らに元気を与えてくれました。

──満賀と才野を見ていると、おふたりの性格はだいぶ違っていたように思えますが。

藤子不二雄(A)

うん、藤本くんはね、もとから天才的なマンガ家の資質を持った人でね。人付き合いとか、いわゆる世俗的なものは何もできない人だったの。高校を出たあとで、僕は新聞社に就職して2年勤めたんだけど、藤本くんはお菓子の会社に就職したものの3日で辞めてきた(笑)。上京してからも、トキワ荘に編集者が訪ねてくることがわかると、ぴゅーっと外に出て行ってねえ。僕が全部対応していました。藤子不二雄は2人のはずなのに、しばらくの間、藤本くんに会った編集者がいなかった(笑)。彼は自分の世界がきちっとあって、たくさん本を読んで、たくさんマンガを描いて……という人です。

──A先生は、逆に非常に外の世界に対してオープンなイメージがありますが。

僕は人付き合いが好きですからね。新聞記者をやっていた時に、こんなにおもしろい人がいっぱいいるんだ、って人に興味を持ったの。2人は、まったく反対の性格です。だから、よかった。2人とも同じ性格だったら、すぐに別れてますよ。「まんが道」も、もし僕が1人でマンガ家になっていたのなら、ここまでの物語にはならなかった。個性の違う2人のマンガ家がいて、しかも同じ名前で描いていたってことが非常に特殊だし、物語になるんです。

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藤子不二雄(A)(ふじこふじおえー)
藤子不二雄(A)

1934年3月10日富山県氷見市生まれ。本名は安孫子素雄(あびこもとお)。1944年、のちに藤子・F・不二雄となる藤本弘と共作を始め、1952年に毎日小学生新聞に投稿した4コママンガ「天使の玉ちゃん」が掲載されデビューとなった。以降、藤子不二雄としてコンビで作品を発表していくが、1987年にコンビを解消し藤子不二雄(A)として新たに活動を始める。代表作に「怪物くん」「忍者ハットリくん」や「笑ゥせぇるすまん」がある。1995年より「まんが道」の続編にあたる「愛…しりそめし頃に…」をビッグコミックオリジナル増刊(小学館)にて連載中。