シマ・シンヤ「ロスト・ラッド・ロンドン」|殺人容疑をかけられた青年と、トラウマを引きずる中年刑事 市長殺害事件を巡って2人の運命が交差する、珠玉のバディサスペンス

Column

人種的マイノリティの物語として

平凡な大学生が、突如としてロンドン市長殺害事件の容疑者に仕立て上げられた──。

コミックビーム表紙用イラスト

「ロスト・ラッド・ロンドン」は、そんなジェットコースターのような展開から始まるサスペンス作品だ。硬派で先の読めないストーリーと、力を合わせて真犯人を追ううちに深まっていく青年アルと刑事エリスの関係。シンプルな線で表現されたロンドンの街は、オノマトペを排除しているせいか静かで緊張感があり、1つひとつのセリフが印象的に響く。

多くの魅力を持つこの作品だが、ここではこの物語が“白人社会であるイギリスを舞台に、偏見にさらされる有色人種たちを描いたドラマ”だという社会派な一面に触れておきたい。

2020年には“Black Lives Matter”が欧米を中心に大きなムーブメントとなったが、日本で暮らしている人の中には、「海外の問題だ」「アジア人には関係ない」と当事者意識を持てずにいる人もいるかもしれない。しかし世界で人種差別的な目を向けられているのは、何も黒人ばかりではない。

現実のイギリスのことを紹介すると、最後に行われた国勢調査(2011年)では英国全体の人口は約6300万人。そのうち約87%が白人で、残りの約13%がアジア系・黒人系・混合系だという。首都ロンドンに絞ると人種構成はもっと多様となり、白人の割合はおよそ60%に留まるが、それでもこの国の大多数が白人であることは理解しておきたいところ。

2巻表紙イラスト
1巻より。

「ロスト・ラッド・ロンドン」でも、人種問題はたびたび話題に挙がっている。エリスがアルに「きみは…名前ではわからないが南アジア系だろう。被害者が白人ではなおのこと世論は苛烈になる」と語るシーン(第2話)や、アルが自分の過去の経験として「俺が誰なのか見た目で決めつける人もまだいるし。『出身国はどこ?』って聞かれたり」と述べる場面(第7話)はその一部。エリス自身も「善良で有益である限りは青い目じゃなくても女王様からお目こぼしを頂けるという論理」で両親に育てられたと振り返っている(第10話)。イギリスの世相に詳しくなくとも、こうした会話から、彼らが置かれている境遇をうかがい知ることはできる。

2巻より。

エリスの同僚・ユキもまた、そんな偏見や差別の目を向けられやすい日系の女性だ。第9話では、ある刑事が彼女を“ミス・ゲイシャ”と呼ぶシーンがある。眉をひそめるユキを前に、エリスは「こちらは新しく配属になったユキ・ハワードだが、彼女がなんだって?(中略)言えないのか」とその刑事に応酬する。エリスの人となりがわかるエピソードであると同時に、人種差別が日常の中で、いかに無意識のレベルで行われているかを浮き彫りにしている一幕だ。

アルの場合はどうか。自分の上着から凶器らしきナイフが見つかり、そこに警察が訪ねてきた絶望的状況で、初対面のエリスに正直にすべてを打ち明けた理由を、アルはのちに「エリスさんは俺が知らないって言ったことを、知ってるとは決めつけなかったから」と振り返る(第7話)。国籍や人種で何かを決めつけず、しっかりと自分の話を聞いてくれる刑事の存在は、アルにとってどれだけ珍しく映ったのだろうか。

2巻より。

エリスが真犯人探しの協力を申し出たとき、アルは「ふたりで?」と意外そうに聞き返す。また第4話では、エリスの「俺たちは圧倒的に不利で、不可解な状況にいる」というセリフを受けて、「“俺たち”」と噛みしめるように言葉を反復する。「家族でもなんでも、他人には期待しない」と言っていたアルにとって、1人じゃない、味方がいる──そう感じられることの心強さは、どれほどだっただろうか。想像は尽きない。

綺麗事だけじゃない世の中で、人種的マイノリティを主人公に綴られる「ロスト・ラッド・ロンドン」。そうした部分に注目して読めば、アルとエリスへの理解がより深まり、この物語を堪能できることだろう。