アニメーションも1人ひとりの手で作るもの
──ここからは制作の具体的なことについても聞かせてください。今作にはコトリンゴさんとこうの史代さんという、片渕監督作品ではおなじみのおふたりも参加していますね。
こうのさんは震災の後に東北方面に心を寄せていらっしゃって、「花は咲く」にも参加いただきましたし、今回ももう一度こうのさんのキャラクターで描くべきだとお願いしました。こうのさんが描かれるキャラクターの中にある、ある種ののどかさがこの作品の芯になると思いました。さらに加えて、祝祭的なムードをこの作品にもたらすために、コトリンゴさんの音楽も必要だと思ったんです。それは本当に大正解でした。讃える曲なんだけど、ちゃんと地面に着地した軽さを持っていて。
──“讃える曲だけど軽さを持ってる”という表現、本当にその通りだと思います。
映像と音楽を編集しながら聴いたりするもんですから、頭の中から離れなくなるんですよね。最初、映像に対して曲が長かったので、少し短いバージョンも作っていただいてたんですけど、関わったスタッフの名前を全部収めたら、長いほうがぴったりになってしまいました(笑)。後半の歌詞の中で実はソフィーが方向音痴だとか、人見知りだっていうことが語られてたりするので、その部分も入ってよかったです。
──キャラクターデザイン・作画監督の瀬口泉さんは、監督の作品には初参加でしょうか?
ちゃんと組むのは初めてかもしれないですね。こうのさんのキャラクターをアニメーションの絵に落とし込むのって実は難しくて、こちらが「花は咲く」と「この世界の片隅に」で噛み締めてきたものに同じレベルで入っていただかなきゃいけなかったんですが、すごく巧みにやってくださってありがたかったです。
──あと気になったのが、原画に大ベテランの佐藤好春さんが参加されてますよね。
ああ、そうですね。佐藤好春さんには犬が歩いているシーンをお願いしました。(片渕が監督を務めた)「名犬ラッシー」でも作画監督をやっていただいたりもしましたから、やってくださるんならぜひ犬を描いてもらおうと。ちゃんと犬を描けるのって、やっぱり好春さんぐらいのベテランの技なんです。コントレールの若い人たちにも、人間はだいぶ描けるようになってきたので「次は牛と馬と犬を描けるようになろう」って言っています。
──ちなみにコントレールでは「つるばみ色のなぎ子たち」を制作中ですが、そのためにすごく時間をかけてスタッフを育成されていらっしゃるそうですね。そこにはどんな思いがあるんでしょうか。
もちろんなるべく時間をかけないで到達したいと思ってはいるんですけど、やっぱり日本のアニメーション全体が、あまりにもボリュームとして膨らみすぎてしまって、1人ひとりが本当にクリエイターって言えるのか、自分が描いた絵がちゃんと画面に映ってるのかとか、直面しなければいけないものがたくさんあるような気がするんですね。そういうものが解決できないにしても、こんな方向があるんじゃないかな、っていうことは示しつつ進みたいなとは思っています。「つるばみ色のなぎ子たち」のスタッフにも「ふくふくの地図」に参加してもらっていて、おかげでクオリティの高い内容になりました。
──コントレールというスタジオの現在地も刻まれたフィルムなんですね。短編ながら、すごくリッチな映像になっていて驚きました。
ありがとうございます。背景も全部絵の具で手描きしてるんですね。なので画面全体が絵で埋まっていない、端っこのほうが見えてたりするんですよ。それが作品のテーマ、全部人の手が作った景色なんだよ、っていうのとつながってるようなところがありまして。そういうところも今回の大きなスクリーンだとよく見えたかなと思います。
福島を見つめ、意味を見つける主人公
──主人公のソフィーは“フランス人の哲学者”というちょっと変わった設定ですが、先ほどのイベントの中で監督が「ソフィーは哲学者なんじゃないかなと思った」とおっしゃっていて。哲学者に“しよう”じゃなくて、哲学者“なんじゃないか”という言い方から、監督の中では自然にそうなっていったんだなというのが感じられました。
ああ、それは本当にそうですね。外側から来るけど、観光客とは違う目で福島を見て、1つずつ目の前にあることに意味を見つけて言葉にしていく、そういう人がいいかなと思って。名前のソフィーもphilosophy(哲学)から来ています。どこからこういう人物像を得たのかっていうのは、自分の中でもよくわからないところがあるんですが……福島に相対する人として自然に自分の中で存在していたような気がします。
──ソフィーは普段からあまり笑わない人なんでしょうか?
はい。それはいろんなものに真剣に相対して、その意味を自分の中に作り出そうとしているからです。そんなふうに物事を見つめた末に、最後にあったのが笑顔であった……そういう着地点に持っていきたかったんです。あと、ソフィーの声が途中で変わるのは、あんまり気になりませんでしたか?
──クレジットにもおふたりの名前がありますし、フランス語と日本語で分けたのかな?と単純に思っていました。
実は最初にフランスの方でソフィーの声を録ったんですが、日本語が難しかったので、今度は日本の役者さんに、それに近い感じでやってもらうことにしたんです。ただ、日本の役者さんのセリフは全部「心の中の声」で、口に出したところから声が変わるんですね。
──ああ、確かにそうですね。
自意識ってそうじゃないですか。心の中の声と口から出た声が少し違う、“私はこういう人間だ”と思っているソフィーと、人から見えるソフィーに少し誤差がある。それが1人の人間の中に両立している、それが人なんだなって思ったりもして。だから違和感があるかもしれないんですけど、自分としてはこれで納得しています。
──意図したものではなかったけど、結果的にソフィーの実在感を強めていると思います。そんなソフィーのもとに赤べこが「ふくしままっぷ」を運んできますが、この赤べこもものすごくかわいくて。動かすにあたってこだわった点などはありますか?
監督補の浦谷千恵さんが赤べこをいくつも集めていたり、効果音で参加していただいた西村睦弘さんも、「赤べこの足音、本物の赤べこでつけました」って言ってきたんですよ(笑)。足音は少し加工したんですが、首を振るときの音も本物の音ですね。西村さんに「赤べこ持ってたの?」って聞いたら「大・中・小、3つ持ってます」って。実は以前作った「マイマイ新子と千年の魔法」の新子の家にもなぜか赤べこがあるんです。そうやっていつの間にか画面にいたり、皆さん持っていたりする。けっこう愛されキャラなんだなあと思いました(笑)。
全部が“文化”にしか見えなくなった
──赤べこが「ふくしままっぷ」を運んできたときに、ソフィーが紐をすーっと人差し指で引く、あの芝居も印象に残りました。
あの紐の解き方はなぜか最初から、ああでなきゃいけない、っていうのは自分の中にありました。出会いというのはそうやって、指1本から始まるものというか。
──そこからソフィーがばっと「ふくしままっぷ」を大きく広げることで、「ふくしままっぷ」の密度の濃さやインパクトがよく伝わりますよね。
この地図はやっぱりこの、丸ごとを見たいですよね。こんなに細かく1つひとつ描いてあるんですけど、重なりながら丸ごとあるっていうのがよくて。ちゃんと福島第一原発も載ってるんですよ。そういうのを避けずに、福島にあるものを全部描いたっていう感じがして、そのことの意味はものすごく大きいんじゃないかなという気がします。
──そうして2人が福島のあちこちを巡っていく中で、ソフィーが赤べこに「そっか、お前も文化なのね」と語りかけるシーンがとても好きです。この“文化”という言葉も、この作品の1つのキーワードなのかなと。
映像の中にサンショウウオジェラートが出てきますが、檜枝岐のほうに行ったとき、お土産物屋さんにサンショウウオの干物が売っていて、「これを食べるのがこの地方の文化なんです」って書いてあったんですよね。ああ、素晴らしい、素敵な言葉だなと思って。それからこの「ふくしままっぷ」を見ると、もうこれ全部、文化にしか見えなくなってきたんです。滝桜やさざえ堂、リカちゃんキャッスルやウルトラマンまで描いてある。“文化”って言葉は、これを全部同列に語れる言葉なんだなと。
──その実感がソフィーの「そう思って眺めると、すべてに魂が宿る」というセリフにつながったんですね。
人間が生きて、何かを作り出しているということ。そうやって今までやってきたことが、そのまま文化なんです。赤べこを作ってきた文化もあるし、喜多方ラーメンを作った文化もある。古いものも、今現在我々が使ってたり食べてたりするものも全部、全部文化ですよね。それはなぜかというと、それもみんな人間が作ってるものだから。そうやって世の中を見てみると、全部が人の手が作り出したものだっていうところに行き着いた。それは、特に大事にする必要はないものかもしれないけど、蔑ろにしないという態度は大事だと思っています。
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登場人物の1人ひとりと出会ってしまったから



