自分のお金で少女マンガ誌を買ったのはちゃおだけ
──ちゃおの話をしていると、「やっぱり今読んでも面白いんだよなあ」とか、当時の気持ちに戻って熱くなってしまって、今も予定の時間をすごいオーバーしながら話しちゃってるんですが……(笑)。
すみません(笑)。
──いやいや、こちらこそすみません(笑)。それだけずっと私たちの心の中に“ちゃお”っていう存在があると思うんですけど、そのちゃおの魅力っていうのを、改めて、つづ井さんはどういうふうに感じていらっしゃいますか?
私はちゃおしか読んでなかったので、ほかと比較した特色っていうものは全然わからないので、大したことは言えなくて申し訳ないんですけど。でも今考えても作品の幅が広いというか、今私の手元にある「ぷく天」と「エンジェル・ハント」だけでも、ほのぼの動物ものとシリアスなダークファンタジーっていう両極端で。これがちゃお1冊で読めてたっていうのが、いろんな素養を満遍なく植えつけてもらってたんだなっていうのが今振り返ってみても思いますね。恋愛ばっかりでもなく、ファンタジーばっかりでもなく、いろんなジャンルの作品。いろんなジャンルに触れるきっかけになっていて、今の自分が好きになるもののもとになってる気がします。
──小学生時代、少女マンガ誌をいろいろ読んだりする人もいた中で、ちゃおはつづ井さんを離さなかったんですね。
そうですね。うちのクラスではもうちゃおが覇権だったので。みんなちゃおは読んでる前提みたいな感じでした。小学校の高学年に上がったぐらいでお下がりで少年ジャンプを読み出して、それで中学生になってから自分のお金でジャンプを買うようになったと思うんですけど、それでも少女マンガ誌を買うっていう経験は、今のところ生涯でちゃおだけですね。
──本当にじゃあ生粋のちゃおっ娘なんですね。
自分でも思っていたよりちゃおっ娘でしたね。
(元ちゃお編集者) 当時、読者の女の子を会社に招いて、「こういう記事があったらいい」「こういうマンガがあったらいい」といった話をしてもらうモニター会を定期的にやっていたんです。でもやっぱり読者は小学生なので、今日みたいな深い話にはならないんですよね。
──そうですよね。私たちも大人になったからこうやっていろいろ言えますけど。
こんなこと言える小学生がいたらすごい。
(元ちゃお編集者) なのでこんなにお話を伺えたのはほとんど初めての経験で、楽しいです。
──たぶん私たちはいくらでも、永久に語れます。
本当に、ずっと。え、私、「シンデレラコレクション」始まったときすごい衝撃だったんですけど!(ここでまた現場のギアが上がる)
──ああ、メゾピアノとコラボしてた! 私も子供のときってナルミヤ(注:メゾピアノなどを擁するブランド)への憧れがあったので。ちょっと高いから親に「買って」って言っても気軽に買ってもらえるようなブランドじゃなくて。そういうマンガが連載しているのもあって、個人的にちゃおってちょっとイケてる雑誌っていう印象があったんですよね。
確かに。いやあ、懐かしい。それこそ初めてのメイクとか、初めてのヘアアレンジとか「極上!!めちゃモテ委員長」を読みながらめっちゃ勉強してたし、憧れてたなあ。
──私も「Dr.リン」を読んでたときはあのチャイナ感に憧れてて。今読んでも毎回ころころと変わる髪型がかわいいなって思います。
めっちゃかわいいですよね。私、青龍、玄武、朱雀、白虎の概念を知ったのは「Dr.リン」が初めてです、たぶん。その後に「ふしぎ遊戯」に触れて。同じ設定出てきたやんけと思って。
──四神の存在を何で知ったか、みたいなのってオタクの中でありますよね。私も「Dr.リン」が最初でした。
(元ちゃお編集者) 「Dr.リン」は夕方帯でアニメも放送されてましたね。その前は「みいファぷー」(※)っていうアニメもありましたが。
※「アニメ週刊DX!みいファぷー」。30分の放送枠の中で「こっちむいてみい子」「ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー」「ヘリタコぷーちゃん」の3作品の短編アニメをオンエアしていた。
──「みいファぷー」! 毎週観てました! もしかしたらつづ井さんにとっては「みいファぷー」は1つ前の世代のアニメという感じかもしれないですが。
そうですね。というか、私住んでいたのが本当に田舎で。アニメとかってけっこう「一部地域を除きます」ってあるじゃないですか。あれで除かれる地域に住んでいて。だから私、自分にとっての“懐かしのアニメ”みたいなのがないんですよ。オタクなのにアニメであんまり育ってきてなくて、本当にマンガだけだった。なので、よりちゃおが占めてる割合が大きいんです。
親戚の女の子との距離を縮めてくれたちゃおの存在
──ちなみに最近のちゃおを目にする機会はありますか?
ほぼないですね。
──大人になるとそうですよね。
そうなんです。けど、コロナ禍より前だから……何年か前にはなるんですけど、親戚の小6の女の子をディズニーランドに連れて行くっていう機会があって。その子と、その子のお母さんと弟と、私でディズニーランドに行って、次の日にはディズニーシー行って、っていうけっこう長丁場の旅行を一緒にしたんです。でも私、その女の子とあまり打ち解けられなくて。「今小学校で何が流行っとるん?」くらいの話しかしてなかったんです。でもその子が3泊4日ぐらいある旅行の2日目で、「コンビニに行きたい」って言い出して。「いいよ、行こっか」って一緒にコンビニに行ったら、ちゃおを買ったんですよ。「今日発売だから今日買わなあかん」って。そしたらその子のお母さんが「そんな重たいものを3泊4日の2日目に買わんでもええ」って言ったんですけど、その子が「いや! 今買うんや!」って。大人しい子だったんですけど、もうちゃおを抱きしめちゃって、聞かなくって。私はそれを見ていて「わかるよ!」と思って。発売されたらもうその日に読みたいよねって、すごい懐かしい気持ちになって。「もう買わせてあげましょうや」って、その子の側に立ってお母さんを説得したんですよ。
──まさに私たちがさっき話してたようなことですね。ひと月の間、どれだけそのちゃおを楽しみに過ごしてきたのか。
だからめちゃくちゃ気持ちがわかったんですよ。で、結局買うことができてホテルに戻って。そうしたらもうその子がずっとちゃおを読んでて。「ちょっと見せてくれん?」みたいな感じで寄っていって、「『みい子』やってるん? 私のときもね、あったよ」みたいなことを言って。それでその子とすごい話が盛り上がったんですよ。「私のときはね、『ミルモでポン!』とかあってね」「何それ知らん」「ええ、知らんかあ」みたいな話をして、それですごい打ち解けたんです。
──いい話だ……。どんな状況であれ発売日に読みたいっていうその気持ちは今の子も変わらないって素晴らしいことですね。
っていうのはすごい思いましたね。旅行先でちゃおを買うって、大きいし重いけど、それを我慢できない気持ちはめちゃくちゃわかるなと思って。そのちゃおっ娘同士の交流がすごく面白かったですね。
ちゃおはずっと子供のものであってほしい
──それだけ昔も今も少女たちに愛され続けている雑誌なんだなと実感します。つづ井さんはちゃおがこれからどんな雑誌であってほしいと思いますか?
そうですね……。私はちゃおもそうなんですけど、子供向けのコンテンツを見るのが好きで。そういう作品って、大人の自分が見るには「え、ここって?」みたいな、なんか引っかかる部分があったりもするんですけど、それでも“子供のものであってほしい”というのを私としては勝手に思っていて。女子男子に限らないんですけど、子供向けのコンテンツは、その年頃の子供が一番楽しめるものであってほしいなって思うんです。こうやって今日みたいに、歳も違えば育ったところも違う人と共通の話題としてこれだけ盛り上がれるものの1つであるためにも、ずっと子供のためのものであってほしい、と。今は大人として楽しませてもらってる立場なんですけど、そう思いながら子供向けコンテンツを観ているんです。なんだろう、うまく言えないな。
──いや、でも伝わります。純粋に子供のために向けて作られたものだったからこそ、今の自分たちにも刺さり続けているわけですもんね。
そう。子供のために作られたものだったとしても、こうやって今みたいに「エンジェル・ハント」とか「ぷく天」とか「みい子」について、大人になっても楽しかった思い出を語り合えたりするし、「これってすごかったな」っていう記憶としてずっと残っているので、そういう意味でも子供のためのものであってほしいというか。ちゃおもいつまでも女児……って言うと性別を限定しちゃってるような感じですけど、そうじゃなくて“心の女児”っていうか。
──性別は関係ないですもんね。“心の女児”。
そのときの子供たちにとっての一番イケてるものだったり、楽しいものの象徴であってほしいなあっていうのは思います。ちゃおっ娘だった者としては、自分が好きだったときのちゃおのままでいてっていう気持ちもあるんですけど、でもそうじゃなくて。今の子供たちのためのものであってほしいっていう気持ちのほうが大きいです。時代に即した変化が必要なんだったら、その時代の子供たちが安心して楽しめるものとしてどんどん変化していってほしくて。そのときの子供たちの一番身近にある、一番楽しいコンテンツとして、ちゃおは存在していてほしいなあって。……っていう勝手な、かつてちゃおっ娘だった大人としての意見でした……。難しいですね、言葉選びが下手ですみません。
──いえいえ、すごく素敵な思いを伺えたと思います。今はちゃおに対する思いをお話しいただきましたが、今のちゃおの読者である、小中学生の子たちにつづ井さんから何かメッセージを送るとしたら、どういったことを伝えたいですか?
ええと……そうですね、当時の自分が今これを読んでいたら、みたいなことしか言えないんですけど。今自分が大切にしているものとか一番好きなものを、もし一瞬興味がなくなったとしても、1つ取って置いといたほうがいいよと。小学生の今、自分が好きなものを、中学生になって興味なくなったりとか、「こんなの子供のものやわ」って思ったりするかもしれんけど、ちょっと一旦それを全部大切な箱に物理的に残しといたら、絶対何年後かにそれに救われる。「懐かしい!」ってなって、「好きやったなあ」とか楽しめるときが来るから、ちょっとそうしてみたらって思います。
──ありますよね、思春期って。今までこんなものにハマってたけど、「私もうこんなんじゃないし」みたいな。
そうそうそう。ちょっと大人ぶりたいというか。
──本当は好きなのに、物理的にも気持ち的にも手放そうとしてしまう。それを手放すのではなく、心の箱でもいいんですけど、そうやってどこかに閉じ込めておくことで、大人になった今開けたときに輝くこともあって。今の自分の生きる活力になったり、その頃のキラキラした気持ちを思い出すことで、そのときの気持ちに戻れたりするっていうのがありますもんね。
ありますね。本当におっしゃる通りで。心の箱、素敵な言葉だな。今の自分にとって“大切”って思ったものを、大人ぶって無理に手放してみんでもいいよって、勝手に思います。ちゃおは変わらずずっとそこにあってくれるので。いやあ、それを過去の自分に言いたい。私、大学生で一人暮らししてる間に、母が断捨離に目覚めてしまって。「もう古い本処分するけどいいよね」って言われて、“古い本”ってどこまでを指すのかわかってなくて。「あ、いいよ。いいよ」って適当に返して、帰ってきたらちゃおのマンガがなくって……。でも日焼けでズタボロになってたし、ずっと読み返してなかったしってそのときは思ったんですけど、就職してからどうしても「ぷく天」と「エンジェル・ハント」が読みたくなって。絶対に本屋で新しいのを買いたかったんですけど、もう新品ってなると売ってなくて。でもどうしても紙で欲しかったんです。だから本当にもう苦渋の決断で中古で買って。それで「ぷく天」と「エンジェル・ハント」だけは全巻中古で揃え直したんです。
だれも私を止めらんねえ pic.twitter.com/6UjuczGONG
— つづ井 (@wacchoichoi) February 16, 2019
──そこまでするほど、その2作品はつづ井さんにとって大事な作品だったんですね。
そう、なので今家にあるちゃおのマンガがそれだけしかないのがもう悔しくて。だから今の小学生も親に断捨離されないように大切にしまっていてほしいと思います。あ、あとこの間、「シンデレラコレクション」の付録のトランプが出てきて。今見てもめちゃくちゃかわいかったんですけど、「ああこれ私、大事にしまってたわ!」と思って。なんかちっちゃいカンカンに入ってたんですよね。「これ何のカンカンだろ」と思って開けたらそのトランプだけ入ってて。「ええ! めっちゃ大事にしとったんやな私」って、断捨離から逃れた「シンデレラコレクション」のトランプがありました。今年、もしコロナが大丈夫そうだったら地元の友人たちとこれで絶対ババ抜きとかしようと思ってます。
──絶対楽しいですね。
ああ、もうなんか、ほんとにしゃべりたいことだけしゃべっちゃってすみません。
──いやいやこちらこそ。せっかくなので、小学館さんからもつづ井さんに何かお聞きしたいことってありますか?
(元ちゃお編集者) そうですね、今のつづ井さんの作風に、ちゃおから影響を受けたものってあったりしますか?
ああ……でも作風というより、私という人格にちゃおが根付いている気がします。それもちゃおの作品というだけでなく、ちゃおを通して得た楽しい経験っていうのかな。友達と共有した思い出とか、そういう自分の小学校時代の思い出の代表する要素の大きな1つとしてちゃおがあるので。なんか自覚できてないところでたぶん染み付いてるんだろうなと思います。
(元ちゃお編集者) なるほど。でも納得します。つづ井さんの毎日楽しく生きているみたいなところが、幼少期のちゃおを通しての体験から今につながっているのかなっていう気がしました。
友達と同じ作品を読んで、その作品の面白さとか1つのコンテンツのものの楽しさを共有するっていうことの根源は、たぶんちゃおだなって今お話ししてて思いましたね。友達と何かを楽しむみたいなところは、友達とちゃおを一緒に読んでたところからきてるのかな。なんかすごい、自分が思ったよりちゃおっ娘だったんだなって、こんなにちゃおが好きだったんだなって、今日しゃべりながら改めて感じました。
(元ちゃお編集者) うれしいです。
楽しい話は尽きず……「ダメだ、無限に出てくる」
──本当に楽しいですよね、こういう話をするのって。じゃあそろそろ締めに入ろうと思うんですが、つづ井さん的に何か言い残したこととかあれば。
全然いっぱいあるんですけど(笑)。終わらそうと思った後めちゃくちゃ出てくる。「くのいち生徒会 こいき七変化!!」の話とかすればよかったなとか思うんですけど。同じもりちかこ先生だとミニモニ。のやつとか。
──ミニモニ。のマンガ(「ミニモニ。やるのだぴょん!」)大好きでした。読みたくなってきた。
こうやってずっと無限になっちゃうんですよね(笑)。いやあ、もりちかこ先生ってめちゃくちゃギャグが面白くて。こんなに女の子って顔を崩してツッコミとかするんだって、すっごい面白くて……いや、すみません。ダメだ、無限に出てくる。
──無限になりますね。ではまた機会があればぜひお話しさせてください。ありがとうございました。
面白かったー! ありがとうございました。……あっ、すみません! 当時のちゃおのホームページの話だけ最後にしてもいいですか?
──どうぞどうぞ(笑)。
当時「ぷく天」のミニゲームとかができるホームページがありましたよね。私、その当時家にパソコンがなくって。だけど小学校の高学年になるとパソコンの授業があったんですよね。そのパソコンの授業で、最後の10分だけ「好きなこと検索していいよ」っていう時間があって。そのときにすごい必死で、最後の10分でちゃおのホームページ開いてゲームやってました。でも私「ちゃ」が打てなくて。キーボードで。「ちゃ」だけ打てなくて。
──ちょっと難しいですもんね(笑)。
だから隣の席のりさちゃんに「『ちゃ』って打って」ってお願いして。その子の家にはパソコンあったから「ちゃ」って打ってもらえたんですよ。それで「ありがと」って言って、自分で「お」を打って。それで「ちゃお」を検索して、ホームページでミニゲームをやるっていうのをパソコンの授業があるときの楽しみにしてました。
──確かに私もパソコンの授業のわずかな自由時間で必死にミニゲームをやってた覚えがあります。
もうそういうような、本当にちゃおには楽しい思い出がいっぱいあって。いや、すみません。たくさんしゃべっちゃって(笑)。こんなに楽しかったことない、本当に。ありがとうございました。
ちゃおっ娘だった当時の思い出と今回の取材について、つづ井にマンガを描き下ろしてもらった。
- つづ井(ツヅイ)
- オタク女子の日常を描くデビュー作のエッセイマンガ「腐女子のつづ井さん」は、第20回文化庁メディア芸術祭マンガ部門の推薦作品に選ばれた。現在は文藝春秋のWebサイト・コミックエッセイルームにて「裸一貫! つづ井さん」を連載中。あまりに身辺情報の少ない俳優にハマってしまった自分と、オタク仲間の元気で楽しい毎日を綴っている。
ちゃおコミでは懐かしのヒット作以外にも、オリジナル作品を多数ラインナップ。ここでは本誌で活躍する作家の新作や、ちゃおでは珍しいデスゲームものなど、注目の4作品を紹介する。
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藤ヶ谷宙(ふじがやひろ)は、近頃同じ電車に乗ってくる皇女学院の星川さんに片思い中。ある日、電車内で痴漢に遭い、恐怖で声も出せずにいた宙をまさかの星川さんが助けてくれた。実は中学のときはケンカばかりの生活で、変わるきっかけを宙がくれたと言う星川さん。少女マンガに登場するカッコいいヒーローのようになりたかった宙だが、逆に星川さんから守られることになってしまう。「オレ様キングダム」の八神が描く、新たな形のヒロインに注目だ。
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ちゃおで連載された「今日からパパは神様です。」は、母を亡くして1人ぼっちになった少女・四羽(よつば)と、そんな彼女の前に現れた神様が織りなすほっこりホームコメディ。番外編では2人と一緒に暮らす雲の妖精・もっくんが、友達を作ろうとしたり、初のダイエットに挑戦したりなどする平和で賑やかな日常が描かれる。
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