コミックナタリー PowerPush - 小山愛子「ちろり」インタビュー

華やかなりし明治の喫茶店から着物と珈琲にありったけの愛を

素敵な着付けの先生が始まりです

──なぜ着物を描きたいと思ったんですか?

小山愛子

着物自体というより、ある着付けの先生の着こなしに惹かれたんです。すごく素敵な女性で。

──先生が始まりなんですね! どういった出会いだったんですか。

そのころ、全然マンガが描けない時期で。いくら描いても描きたいものもうまくかけないし、そもそも描きたいものってなんだろう、っていう状態でした。次の作品でもうマンガはやめにしようと思っているような中で、チェーン店のカフェと、輸入食品とコーヒー豆のお店をかけもちでバイトしていたんですよ。休憩の時にコンビニにお昼を買いに出たら、近くの呉服屋さんに「夏の浴衣教室 1日体験」みたいな張り紙がしてあって。それまで着物に興味があったわけではなかったんですが、なんかいいな……と思って、飛び込んで申し込みました。 浴衣教室にいたのが、その先生です。ほかにも何人か教えてくれる方がいらしたんですが、その素敵な先生にどうしても教わりたくて、わざともたもたして、先生の番が回って来るのを待ったりして(笑)。

──片想い中の学生みたいですね。ちょうど帰り道で会えるように、わざとゆっくり学校を出る……みたいな。

そうそう(笑)。先生はもうその時、呉服屋さんを辞めることが決まっていたんですが、この人にこれからも習いたい、と思ってしまって。で、話をしていたら偶然、友達の友達だということがわかったんですよ! その後、個人的にお宅にお邪魔して教えていただくことになりました。

──ご縁ですねえ。その先生は、まさにちろりにとってのマダム! そういうふうに、女性が女性に強い憧れを抱くことって確かにありますよね。

小山愛子

本当にそういう瞬間があるんだなと。どうしてもこの人じゃなきゃだめだ、と思った。着付けにもいろいろな形があると思うんですけど、先生は紐一本でも道具を少なくしようとする方で。最終的には、どこででも、鏡も見ずに着付けられるようになることを目指す、というような。ふだんから、普通に、着物を着てる人なんだなって。それまで漠然と着物を着るのってなんだかすごい、と思っていたんですが、手品でいう「タネ」を先生からいっぱい教えてもらったような気がしましたね。ちゃんと理屈があって、「なんだ、だからそうやって着るんだ」と、すっと納得がいく。着物のことを難しく考えすぎてたんだなって思わせてくれました。

──バイト中のちょっとしたきっかけから、世界が大きく広がったんですね。

そうですね。それまでも、何回もその張り紙の前を通り過ぎていたはずなのに、なんとも思わなかった。あの日は暑くて、疲れていたのか……バイト先のエプロンをつけてコンビニの袋を手に持ったような状態で呉服屋さんに飛び込んだんですよね。「わあ! 私の今いる世界とはまったく違う世界があるんだ」という感じでしたね。

私のリビドーを入れながら描いています

──着物を描く時はどんなところにこだわっていますか。

今の時代の着方とはちょっと変えています。今はウエストにタオルを巻いて補正して、わざとずん胴に見せたりしますよね。でも明治時代の人って補正をしないで、ぐっと胸が帯に乗っていたり、体のラインを強調するような着方をするんですよ。胸元を大きめにあけて着たりもするし。それが優雅で素敵だなと思って。

──ちろりもマダムも、色っぽい着こなしですよね。首の後ろの衿を、かなり抜いて着たり。

うなじ……好きなんですよ(笑)。本当はこぶし1個分くらいしか抜かないんですが、ちょっとやりすぎっていうくらいが私は好きなので。

「薄物」を着て登場するマダム。実物は裸よりも衝撃的だったという、小山の驚きが絵にも現れている。

──夏に「薄物」という、体のシルエットが透けるほど薄い着物を着る回が印象的でした。マダムのあまりのセクシーさに、ちろりも衝撃を受けていましたが。

私が実際、先生が着ているのを見た時に衝撃を受けたんです。ふすまをあけたら先生が薄物を着て立っていて、向こうから西日がバーン!って射していて……その光景が目に焼き付いて。そんなばかなっていうくらい透けていたんですよ。裸よりも衝撃的でしたけど、いやらしいっていうのとは違って、すごく涼しげできれいだなって思いました。

──マダムのすすめで、ちろりも薄物を着ますね。

普通は大人だけが着るものだと思うんですが、私の欲望でちろりにも着せてしまいました(笑)。

──本当に、そこが「ちろり」の魅力ですよね。日常を淡々と描いているようでいて、実は小山さんの欲望がほとばしっている。

ちろりの脚が透けて見えていることを、小山はトーンを2枚重ねて表現。リビドー全開だ。

連載が始まる前に編集長から「欲望……リビドーを入れてくれ」みたいなことを言われまして。でもあまりにもはっきりわかるようにではなくて、「仕方ないよね、そういう状況じゃあこうなるよね」っていう理由のある形で表現してくれ、と。なので、いつも仕方ない状況にするにはどうしたらいいかっていうことを考えつつ、欲望を発散しています。

──「暑いから、薄物を着るしかない状況なんです」と。

そうそう。でもこうして自分の描いたものをもう一度見ると、ほんとうにねちっこく描いていて恥ずかしいですねえ。一度発散したものなので、見るまで忘れていました。このちろりの脚の部分(図参照)とか、トーンを一生懸命2枚重ねて貼っていた自分が恥ずかしい!

ちろりの着こなしはわざと野暮ったくしています

──着物を描く時はご自分の姿を参考にしながらですか?

自分のことは、見ないですね。先生の着ていた姿を思い出しながら描きます。すごく細くて背の高い方なんですが、それを生かして、きゅっと粋に着付ける。マダムには先生の姿がかなり反映されています。着物の柄も、大胆だったり、ちょっとひねっていたり、しゃれがきいていたり。帯と着物の柄につながりを持たせたりもするんですよ。「壺」の絵がたくさん描かれた帯に、壺だれ柄っていう、釉薬がだらーっと流れているような柄の着物を着て、「今日は壺縛り」みたいなことをやったりする方で。で、それを先生は自分から言ったりしない。私も「気付いてますよ」と思いつつ、そのことを言わないんですよ。お互い、ただにやにやしている(笑)。

3巻最終話でのちろり。連載開始時と比べ着物は布が厚めに、キャラの頭身は低めに描かれている。

──言わないんですね。まさに、粋!

ひそやかに、こっそりっていうのが好きです。

──ちろりの着こなしはまた違いますか?

ちろりは逆に、なるべく野暮ったく描くようにしてます。最初の頃はそうでもなかったんですが、最近はかなりもたもたした着方になっていると思います。わざと布を分厚くして、重そうな感じに描いて、マダムとの差を強調しています。ちろりは3巻までの間に、ずいぶん頭身もちっちゃくなりました。

──確かに初期はちろりもマダムのようにほっそりとした体つきでしたね。比べてみると今はデフォルメされてかわいらしい感じになっているのがわかります。着物は、ずっとこの柄でおなじみ、という感じですね。

「矢がすり」という柄です。本当は明治時代の着物というと茶色っぽくて、縞で……という感じが主流なんですが、それをちろりに着せると、「おしん」みたいになっちゃうので(笑)、私もすごく好きな矢がすりにしました。主人公はこの子、というのがぱっと見てわかるようにしたくて。このキャラクターと言ったらこれ!という衣装を作るのが夢だったんです。

小山愛子「ちろり」(3)/ 2013年2月12日発売 / 840円 / 小学館
作品解説

時は大開港時代の明治。文明開化に沸く港町・横濱。海岸通りの小さな喫茶店で働く……少女がひとり……その名は、ちろり。

1、2巻発売と同時に大反響!今度のちろりは、どんな景色の中に……!! 連載開始前に大反響だった読切作も特別掲載の第3巻!

小山愛子(こやまあいこ)

12月28日生まれ。2001年にまんがカレッジ努力賞を受賞し、2001年に「日常戦線」が少年サンデー超増刊へと掲載されデビュー。ゲッサン2011年7月号より「ちろり」を連載開始。