7月より放送中のTVアニメ「AIの遺電子」。人間とAIが共存する世界を舞台に、ヒューマノイドたちが抱える病とそれにまつわる物語が、ヒューマノイド専門医・須堂光が関わる形で繰り広げられる。山田胡瓜による原作マンガは2015年から2017年まで週刊少年チャンピオン(秋田書店)で連載され、単行本は全8巻が発売中。2019年には人工知能学会の選定するAI ELSI賞を受賞し、マンガ界以外でも大きな注目を集めている。現在、別冊少年チャンピオン(秋田書店)では続編の「AIの遺電子 RED QUEEN」を経て、須堂の研修医時代を描いた「AIの遺電子 Blue Age」を連載中だ。
アニメの放送を記念して、コミックナタリーは原作者の山田胡瓜とゲームAI研究者の三宅陽一郎氏による対談をセッティング。人工知能に造詣の深い2人が、「AIの遺電子」誕生のきっかけから今の時代にアニメ化された意義、人間とAIとのこれからの未来について深く語る。
取材・文 / 前田久撮影 / ヨシダヤスシ
このタイミングでのアニメ化は絶妙すぎる(三宅)
──TVアニメ「AIの遺電子」が現在放送中ですが、ご覧になっていかがでしたか?
山田胡瓜 アニメは色もつくし、動くし、しゃべるし、音楽も鳴るし、いいな……って、なんだか普通の感想ですみません(笑)。AR(拡張現実)の表現なんか、原作より伝わりやすく表現されていたように思います。地味な作品なので、アニメ化して面白いのか?と思っていましたが、結果的により広い方に届けられたのは、自分としては面白い経験をさせてもらえたなと。あと、掲載時からはずいぶん時間が経ちましたけど、まだ個々のエピソードの題材は全然通用するな……というか、むしろ今のほうが内容が伝わりやすくなっているのかな、と感じました。
三宅陽一郎 作品の空気感を再現していて、とてもいいアニメ化ですよね。近未来のちょっとゆったりした時間の流れ方があって、誰かの悩みが描かれても、ゆっくりと物語が進んでいく原作の味わいが、映像になってもきちんと出ている。
──AIがより身近になってきたこのタイミングでのアニメ化となりました。
三宅 このタイミングでのアニメ化は絶妙すぎます(笑)。連載の始まった2015年直後はもちろん、今から半年前でもまだ早かった気がします。あくまで僕の肌感ですが、去年の秋から今年の夏くらいにかけてのAIのテクノロジーの進歩と、社会の受容のあり方は大きく変わりました。そういう変化する社会の空気の中で、このタイミングでアニメ化されたことに、大きな意義を感じますね。僕はゲームの開発者でもあって、エンタテインメントの人間でもあるんですが、こうした受け手側の空気ばかりはこちらではどうしようもないところがある。変えることもできないし、予想するにしても、社会を完全に読めるわけじゃない。
──「自分専用の恋愛ゲームを作る」みたいなお話も、今の文章やイラスト生成AIの状況を見ていると、リアリティを感じてしまいます。
三宅 これからの変化で、さらにリアリティが増すはずですよ。まさに時代に合ったアニメです。
連載のきっかけは「AIに直感を作れる技術が出てきたのでは?」という直感(山田)
──今のお話にもありましたが、「AIの遺電子」の連載開始は2015年。現在のようにAIの新しい話題が連日報じられるような状況ではありませんでしたが、作品のアイデアを思いつかれたきっかけは、なんだったのでしょう?
山田 確かに今ほどではありませんが、2015年頃にも、ディープラーニング(深層学習)や、AIの技術進化が話題になってました。AIを用いた画像認識などのジャンルで、従来の研究よりも頭ひとつ飛び抜けた技術が出てきて反響を呼んでいたのが、おそらく2012、3年頃。僕はもともとIT系の記者だったので、そうした情報に記者として触れていているうちに、これまでとは違う人工知能の流れを意識するようになったんです。「このままの流れでうまく進めば、これまでAIには捉えるのが難しいといわれていた問題も、AIで解決できるようになるんじゃないか?」と。そんな直感があったことと、もともと人工知能が出てくるSF作品が好きだったんですね。「2001年宇宙への旅」とか、もうちょっとエンタメ要素が強い作品でいえば「ロボコップ」とか(笑)。
──あまりその切り口で考えたことはありませんでしたが、確かに「ロボコップ」もそうですね。
山田 主人公は半分機械で、半分人間ですからね。ああいう有機物と無機物の間というか、人間とロボットの間で揺れ動くものの人間性みたいなところに、フェティッシュな感じがあると、前々から僕は思っていたんです。世の中の動きと、そうした自分の好みを踏まえてネームを描いてみたら、編集部のチェックを通って、それが気がついたら「AIの遺電子」として連載になっていた、というわけです(笑)。
──先端技術を扱ったSF作品をお描きになる発端に「直感」が関わっているのは、不思議な思いがします。
山田 それで言うと、そのときの直感って言い換えるなら、「AIに直感を作れる技術が出てきたのでは?」という直感だったわけですよ(笑)。専門家である三宅さんの前でこんな雑な言い方するのは恥ずかしいですけど、「こういう場合はこう処理してください」と人間が決めたプログラムで特定の問題を処理するのではなく、なんだか知らないけどぼーっと学習させておいたAIに、人間がそれっぽい問題を投げると、それっぽい答えが返ってくる。これって、人間の直感に近いものがコンピューターの中で生み出せているように感じたんです。
──そうして描かれた「AIの遺電子」を、三宅さんはAIの研究者として、どうお読みになられているのでしょうか?
三宅 いつも「すごいな」と思って読んでいます。僕は星新一が好きで、ほとんど全部の作品を読んでいるんですけど、山田さんの作品と星さんの作品は、「未来の浮遊感」みたいなものが似ているように感じていて。「そんなに遠くなくて、でも、そこまで近くない」という、絶妙な距離感の近未来が描かれているんですよね。
山田 星さんの作品って、とても慎重に言葉を選んで、テーマを普遍性のあるところに落とし込んでいるんですよね。SFというジャンルにはあえて小難しい言葉を使ってみるというか、時代の最先端の科学的な知見をわざとそのままの言葉使いで作中に出すことでSFらしさを出すところがある。でも星さんは、科学的な知見を抽象化して、「本質的にはこういうことが起きる」というのを寓話的に書いている。影響されている……というほど、星さんの作品を網羅的に読み込めているわけではないですし、描いている作品も星さんのものと比べたら全然なんですけど、どこかそうした手法は意識していました。そこを読み取っていただけていたのは、うれしいですね。
三宅 物語の包み方……と言うんですかね。おっしゃるとおり、星さんはすごく本質的なことを描くんだけど、小説としてのまとめ方、ラッピングの仕方がおしゃれで、うまくて、優しい。山田先生の作品も、同じような読後感があるんです。物事の本質を描くんだけど、読み終えたときの印象はソフトで、そこが素晴らしいな、と。扱っている題材で、もっと衝撃的な効果を生み出そうと思えばできるのに、あえてしていない。なかなかできることではないですよ。
山田 もっとバシッ!とやったほうがいいんじゃないか、地味すぎたんじゃないかって、今では思っていたりしますけどね(笑)。でも、そういう意味でちょっと特殊というか、レアな作品になったとは思います。ほかのジャンルではわかりませんが、少なくともマンガ表現としてはあまりないものにできたかと。
三宅 それだけ読者の方を信頼してるんだな、と思いますね。そして研究者としての目で見ても、この本は十分、研究書として通用するレベルのことが描かれている作品だと思っています。
山田 わ、ありがとうございます。それはうれしいです。