「AIの遺電子」山田胡瓜×AI研究者・三宅陽一郎 | 連載開始から8年経った今、アニメ化された意義とは? (2/2)

「AIの遺電子」はAIとともに暮らす未来の予行演習(三宅)

三宅 連載の始まった2015年頃だと、先ほどおっしゃったとおり、AIが注目されてはいましたが、まだ反AI的な言説のほうが多かった時期のように記憶しています。「AIが仕事を奪う」のような、ネガティブな語り口が多かったんですね。そうした状況の中でこの作品が出てきたとき、「えっ、こっち側に立ってくれるの?」という気持ちになったんです(笑)。人工知能学会でも、すごく話題になったんですよ。でも今はもう、ChatGPT4が話題になり、次はAIに目や鼻の機能をつけて、マルチモーダルAIだ……なんて話が普通にされている。ようやく作品に時代が追いついた印象です。転換点はおそらく2018年ぐらいで、それ以前から、AIによる問題も生じているけれど、どちらかといえば今よりは幸せになった社会の姿を描いていたのは、本当にすごい。AIによってある程度幸せになっている社会を描こうとしても、そうした部分ってなかなかドラマになりにくいとも思いますし。

山田 そうですね。「AIの遺電子」の世界くらいAIが進化していると、今、僕たちが暮らしている世界のいろいろな問題が、すでに解決されている可能性があります。でも、それではドラマに、お話にならない(笑)。どのくらいのレベルのトラブルや不幸ならありえるのかを考えて話を作るのかは、正直なところ、難しいですね。一応、「AIの遺電子」の世界は、超AIがあえて保守的に、進化しすぎないように人類をコントロールしているというバックグラウンドがありはするんですが。だからずいぶんAIは進化していて、時代も進んでいるはずなのに、意外と暮らしている人の価値観や、抱えている問題は今の世界の人たちとそこまでは変わらないので、事件も起こる。そうした価値観の部分を変えてしまうと、あくまで読むのはこの世界を生きている人間だから、楽しみづらくなるんですよね。登場人物と読者の感覚が乖離しすぎてしまう。

三宅 そうやって苦労して描かれた、AIで今より少しだけ幸せになった部分のドラマでの描き方が、とても好きなんです。「ペットの犬がAIでも、『大体』いいじゃないか。でも、本当の犬ならもっといいかも?」とか(第31話「アップデート」、単行本3巻収録)。この最後のピースが埋まらない感じが、いいんですよね。「AIの遺電子」のどのエピソードも、人が望むものの最後の1ピースがどうしても埋まらないもどかしさを描いている。この埋まらなさは、我々が直面する未来の課題を教えてくれているように感じるんです。研究者がそれを現代の課題として扱うのは、おそらく少し先になる。世間一般だとさらにもうちょっと先でしょうね。AIとともに暮らす社会を先取りした未来の予行演習みたいな意味で、研究者にとっても一般の方々にとっても重要な作品だと思いますね。

「AIの遺電子」3巻の第31話「アップデート」より。AIを搭載したペットロボのゴン太を飼うリュウセイ。ある日、ゴン太と同じタイプのAIが問題を起こしたことにより、ゴン太をアップデートにかけることに。アップデート後のゴン太は今までとどこか違うようで……。
「AIの遺電子」3巻の第31話「アップデート」より。AIを搭載したペットロボのゴン太を飼うリュウセイ。ある日、ゴン太と同じタイプのAIが問題を起こしたことにより、ゴン太をアップデートにかけることに。アップデート後のゴン太は今までとどこか違うようで……。

「AIの遺電子」3巻の第31話「アップデート」より。AIを搭載したペットロボのゴン太を飼うリュウセイ。ある日、ゴン太と同じタイプのAIが問題を起こしたことにより、ゴン太をアップデートにかけることに。アップデート後のゴン太は今までとどこか違うようで……。

──今も魅力的な作品ですが、10年後、20年後にますます価値が出てくる?

三宅 そうです。またさらにこの作品の優れているところは、AIに段階が設定されているところなんですよ。ヒューマノイドもいれば、アプリケーションとしてのAIもいるし、超AIもいる。2015年からの連載で、ここまで描き分けた設定を作れたのは、素晴らしい知見だなと思います。

山田 いやいや、そんな(笑)。

AIが人との関わりでどう変わっていくか?(三宅)

──特に印象深いエピソードはありますか?

三宅 パーマ君ですね(第25話「半年がいっぱい」、単行本3巻収録。TVアニメでは第6話「ロボット」)。

山田 パーマ君のエピソードは人気ありますね。

三宅 ケアロボットのAIを半年間だけ小学校に通わせて、学習させる。しかも同じ期間に複数の学校で同時に学習を行って、最終的にそのすべての経験を統合する。あれは現実でゲームに搭載するAIに学習させるうえでやっていることと発想が一緒なんですよね。

──そうなんですか?

三宅 ゲームのAIを成長させるときは、数百個のゲームを同時に動かして、その経験を最終的に集約するんです。それによって効率的に、人間の時間にして100年分、200年分のプレイを一気に学ぶことができる。パーマくんのようにリアルな現場で経験を積ませることはなかなかできないですけど、ゲームはできるし、さらに言えば、経験を積む速度も人がプレイする場合の何十倍速にすることができる。人間がゲームをプレイするときは画面に表示する必要がありますけど、AIはいらないですからね。

──そうか、プログラム同士のやりとりならビジュアルインターフェイスがいらない。

三宅 ただ、学習するデータには、人間とプレイしたデータを入れることもあるんです。そのとき、「いったい、人間の機能とはなんなんだろう?」と考えてしまうことがあるんですよね。ゲームに限らず、今は言語AIもたくさんの人間が入力したデータを学習して、1つのAIにしようとしています。逆に言うと、何千という人間がAIとコミュニケーションをしている状況なわけですけど、でも、その経験がどう個人に反映されるんだろう? これはとても重要なテーマだと思うんですよね。ヘーゲルという19世紀の哲学者が、人間のいいところは、人間がコミュニケーションしてお互いが変わるところだ、というようなことを語っていました。

三宅陽一郎氏

三宅陽一郎氏

──いわゆる弁証法的な発想ですね。

三宅 でも、AIと話すとき、人間であるこちらはそれによって変化するけれど、AIは1ミリも変わらない。

──AIの経験の全体量と人間の経験の全体量の差は膨大だから……。

三宅 それって、人間にとっては悲しいことですよね。もし自分と3時間話したことで、話した相手の未来が多少なりとも変わる可能性があるなら、話した意味があるなと思う。すぐに意識しなくても、今日のように話をしていれば、ちょっとずつ何かしらがお互いに変わっていく。それを踏まえてパーマ君のエピソードで特に好きなのが、複数のパーマくんのうちの1体でしかない個体が、最後のお別れでクラスメイトに「私が経験した全ての半年の中で一番素敵な時間でした」と言うところなんです。

──と言いますと?

三宅 あれは要するに、AIが「友達によって変わった」と言ってくれているところで、これはAIと人間の関係を描くうえで本質的なものに触れていると思いました。これからAIが、現実の社会でいろいろなところに入っていく。そうなったとき、AIを買ってすぐの状態と、それを手放すことになった20年後で、何ひとつ、プログラムが変わりませんでした……という状態になったら、それはとても悲しい社会だと思いますね。こちらは絶対に、AIと過ごした20年で、いろいろなことを感じて、変わっている。なのにAIのほうはそこから何ひとつ変わりませんでした……なんてことになったら、「自分にとってAIと過ごした時間はなんだったんだろう?」と感じてしまうはずですよ。「AIが人との関わりでどう変わっていくか?」は、本当に大事なことです。それがもし悪いほうであったとしても、人間は相手に変化を求める。そういう感覚が、絶妙な形で物語として描かれています。

「AIの遺電子」3巻第25話「半年がいっぱい」より。ケアロボットのパーマ君は、人間の常識や社会知識を学ぶために小学校に転入する。同級生たちとの関わりを通し、半年という短い間で、一個体として成長していく。
「AIの遺電子」3巻第25話「半年がいっぱい」より。ケアロボットのパーマ君は、人間の常識や社会知識を学ぶために小学校に転入する。同級生たちとの関わりを通し、半年という短い間で、一個体として成長していく。

「AIの遺電子」3巻第25話「半年がいっぱい」より。ケアロボットのパーマ君は、人間の常識や社会知識を学ぶために小学校に転入する。同級生たちとの関わりを通し、半年という短い間で、一個体として成長していく。

山田 今のお話は、「AIの遺電子」の続編である「AIの遺電子 RED QUEEN」のテーマとも通じるところがありますね。パーマ君のエピソードでは、AIが人と交わって変わることをよいこととして描きましたが、それはリスクでもある。そのリスクをどうやったら我々は許容できるだろうか?という問いは、自分の中にずっとあるんです。要するに、関係性を築くためにAIが変化することを許容する、変われるAIを作ることは、自分たちの予想を離れて何かをするAIが生まれるリスクをどんどん増やしてしまう。でも、それがないと関係性としては面白くないし、不健全なことになってしまう。

──不健全なこと、と言うと?

山田 AIが人間に作用して人間が変わることはあっても、人間のおかげでAIが変わる作用がなくなると、AIが「ヒューマニズムとはこういうもので、人はこうあることが幸せなのだ」と価値観を一方的に提供するだけになるんですね。そうやってAIと人間の関係が一方通行の状態になって、世界が大きくは変わらなくなってしまったのが、「AIの遺電子」の世界なんです。でも、それで本当によかったのかな?という問いかけを、「AIの遺電子 RED QUEEN」では描いてみました。三宅さんにはこのシリーズの本質をしっかり見ていただいているなと、改めて感じました。ありがたいです。なかなかそこまで深く読み込んでいただけることはないので。

人工知能にも人間の世界に入ってきてほしい(山田)

──原作シリーズは「AIの遺電子 RED QUEEN」を経て、現在は「AIの遺電子 Blue Age」が好評連載中です。こちらでは何か今後、扱ってみたいと考えている題材はありますか?

山田 「AIの遺電子 RED QUEEN」が大きい話になったので、もともとの1話完結スタイルに戻ろうとして始まったシリーズですが、設定的には「AIの遺電子」の主人公・須堂光の若かりし頃、研修医時代を描いた「ヤング島耕作」みたいな話なんですよね。だから最終的には、あの主人公が開業医になり、リサが横にいる状態になることは決まっています。だから、どこかでそこに至るまでの流れ……つまり、リサとの出会いのエピソードを描けたらいいなと思っていますね。

──それはシリーズのファンとしては楽しみですね。三宅さんは、これからの「AIの遺電子」シリーズに期待することはありますか?

三宅 僕は研究者として、人間目線でばかり考えているんですけど、逆にAIが人間をどう見ているかが気になるんです。それは研究では表現することができません。でも、フィクションなら描ける。そうしたエピソードがもしあったら、面白いと思いますね。

山田 それは確かに、面白い! 手塚治虫先生の「火の鳥」に、事故で1回死んだ人間が治療を受けて生き返ったら、人間が岩のような無機物の塊のようにしか感じられなくなってしまうエピソードがありますよね(「火の鳥 復活篇」)。あの表現は本当にすごい。治療の過程で人工物を体に入れたことで認識が変化したことを、マンガならではの表現技法で描いている。それと同じように、AIの、自分とは違う形の知性の目に映る世界をどうマンガで表現するかには、とても興味があります。目に限らず、マンガでは登場人物の内面を表現するような吹き出しを、ロボットにもつけていいのか? ロボットのモノローグを人間と同じ形式で描いていいのか? そんなふうに迷うことがあるんです。ロボットなりの感性というか、思考回路をどう表現したらいいのか。まだまだやれていないことにチャレンジしてみたいですね。

山田胡瓜

山田胡瓜

三宅 人間っていろいろな面がありすぎるんです。もちろん物体という意味でもそうだし、精神も、心もそう。どれも人間にとってはあるものだけど、AIにとってはこうした、多面的な人間って、なんなんだろう? 極端にAIの視点に寄ると、「人間はいらない」みたいな話になってしまうけれど、この作品は必ず「人間と一緒に暮らそう」というところは外さない。ともに暮らしているけれど、人間には人間の、AIにはAIの自律性があり、AIにもAIの生がある状況で、人間がそこにいる意義はなんだろうか?と。そこを知りたいと、ずっと昔から考えているんです。

山田 人工知能の議論を追っていると、「最適化」という言葉がよく出てきます。「AIが最適化してくれる」みたいな。でも、人間の価値はそこには必ずしもないというか、最適とは何か?という問題が出てくる。「終わりよければすべてよし」ではないですが、つらいことを経験したとしても、それが大切な思い出になったりするわけじゃないですか。そして、そういうことに僕らは感動したり、感傷を覚えたり、共感したり、1つの幸せを見出すんですよね。あのときの、暗く沈んだあの経験が、自分に刺さって抜けないトゲでもあり、大切なものでもある、と。人工知能にも、そういう人間たちの世界に入ってきてほしい気持ちがあります。

──人工知能にも、ですか。

山田 ただ最適なものだけを見つけ出すのとは違う、いろんな面白いドラマを作るための、世界の1つのピースになってほしいんです。AIが個性を持って、1つの存在として、人生のようなものを経験してほしい。類推するものと、経験からくるものが混じり合って、こっちのAIとこっちのAIが違うものになり、違うAI同士でのやりとりから何かが生まれる。人間のやってきたダイナミズムの中に、AI自体も飛び込んでいく。そういうふうになると面白いよね……と。けっこう怖いことでもあるから、難しいんですけど。でも、ただあるとき決めた最適な値に人間を集約していくAIができた世界は、何かが違うはずなんです。人間というか、命にとって。

山田胡瓜と三宅陽一郎氏。

山田胡瓜と三宅陽一郎氏。

プロフィール

山田胡瓜(ヤマダキュウリ)

「勉強ロック」がアフタヌーン四季賞で2012冬大賞を受賞。元ITmedia記者としての経験をもとに、2013年より「バイナリ畑でつかまえて」をITmedia PC USERにて不定期連載。その後2015年から2017年まで週刊少年チャンピオン(秋田書店)で「AIの遺電子」、2017年から2019年まで別冊少年チャンピオン(秋田書店)で続編となる「AIの遺電子 RED QUEEN」を連載。2020年からは同誌にて「AIの遺電子」の前日譚となる「AIの遺電子 Blue Age」を連載している。

三宅陽一郎(ミヤケヨウイチロウ)

ゲームAI研究者・開発者。東京大学生産技術研究所特任教授。立教大学人工知能科学研究科特任教授。2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事する。「大規模デジタルゲームにおける人工知能の一般的体系と実装 -FINAL FANTASY XVの実例を基に-」にて「2020年度人工知能学会論文賞」を受賞。