田島列島「子供はわかってあげない」は、水泳部に所属する高校2年生の女子・朔田美波の、ひと夏の冒険を描いた物語。マンガ大賞2015で2位にランクインするなど話題を呼んだ同作が、「南極料理人」などを手がけた沖田修一監督によって実写映画化され、8月20日に全国で封切られる。
ナタリーでは映画の公開を記念した特集を展開。コミックナタリーでは原作者である田島と、沖田監督による対談をセッティングした。映画を「宝物みたいな存在になりました」と語る田島と、田島作品の魅力を「独特の軽やかさ」と話す沖田監督。お互いにリスペクトし合う2人の掛け合いをご覧あれ。
なお映画ナタリーでは後日、上白石萌歌と細田佳央太の対談をお届けする。
取材・文 / 大谷隆之撮影 / ヨシダヤスシ
まさか原作者の自分が泣くとは思わなかった(田島)
──田島さん、素敵なTシャツをお召しですね。
田島列島 えへへ(笑)。はい。
沖田修一 あ、「魔法左官少女バッファローKOTEKO」。それ、確か撮影中にスタッフがお金を出し合って作ったんですよね。しまった。僕も着てくればよかった(笑)。
──というわけで、本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、田島さん。完成した映画をご覧になった感想はいかがでしたか?
田島 控えめに言って、最高でした。
沖田 おお、よかった。ありがとうございます。
──特に印象に残ったシーンはありましたか?
田島 どこだろう。正直、全部よかったんですけど……やっぱり美波が泣くシーンかな。嘘をついていたとお母さんに告白するところと、あとは高校の屋上でもじくんと話すところ。私も一緒に泣きました(笑)。まさか原作者の自分が泣くとは思わなかったけど、たぶん(上白石)萌歌ちゃんに感情移入しちゃったんですね。
──今の父親ともすごく仲良しだけど、実の父親がどんな人なのかも知りたい。ヒロインの朔田美波は、明るいけれど実は複雑なキャラクターですよね。
沖田 そうですね。いつもは飄々と笑顔で切り抜けているんだけど、何かの拍子にふっと寂しさが見えたりする。その落差がグッとくるというのは、原作を読んだときから感じていました。田島さんのタッチがユーモアに溢れてるので、余計そう思えるんですよね。
田島 そうかあ。自分ではあまり意識してなかったんですよ。泣かせる方向に持っていくつもりもなかったですし。むしろ描き進めていくうちにストーリー上の問題がいろいろ出てきたので。それを1つひとつ解決していくので精いっぱいでした。
──単行本のあとがきに、執筆時の思い出を書かれていますね。掲載が決まっていたわけではなく、「これは趣味だ」と自分に言い聞かせながら、「2カ月間引きこもってネーム全20話分を描いた」と。
田島 すごく昔の話なので、あまりよく覚えてないですけど(笑)。
沖田 「子供はわかってあげない」という題名はどこから思い付いたんですか?
田島 これも適当に付けちゃったというのが正直なところです。描き始めた時点では、載せてもらえるかどうかもわからなかったですし。
沖田 へええ、そうなんだ。
田島 私、最初は読み切りの短編でデビューしまして。編集さんからはずっと「連載しましょう」と言ってもらってたんですが、うまくいかなかったんです。それで自分の中で「これはお遊びの連載ごっこ。ごっこだから何やってもいい」と思い込むことにして。どうせなら日本人が好きそうなもの全部入れてやろうと。もともとラブコメが好きなので、基本はシンプルなラブストーリーにして。あとは家族、探偵、カルト宗教。巨額のお金。
沖田 あははは、日本人、そんなにカルト宗教好きですかね。
田島 え、好きじゃないですか! ワイドショーでもめっちゃ追いかけたりするし。
沖田 そうかそうか、確かに。
屋上のやり取りは、初めて読んだときから心を掴まれました(沖田)
──美波が幼い頃に生き別れた父親が、新興宗教の教祖になっていたというプロットは、そこから生まれたんですね。沖田監督は今回のオファーがくる前から原作がお好きだったそうですが、どういうところに惹かれていたんですか?
沖田 独特の軽やかさ、ですかね。さっきもお話ししたみたいに、主人公はちょっとした孤独を抱えた女子高生なんですけど、決して思い詰めてはいないっていうか。田島さんのなんともいえないユーモアが世界全体を包み込んでいる。そこが面白いなあって思いながら読んでいました。最後の屋上のやり取りは、初めて読んだときから心を掴まれましたし。映画には盛り込めなかったけど、その後に続くエピローグもすごく好きだった。まあその時点では、まさか自分が監督することになるとは想像していなかったんですけど。本棚にぽんと置いておきたい作品だなあって。
田島 うれしいっす(笑)。
──初めてのマンガ原作ものですが、じゃあ依頼を受けたときは「やったぞ!」と。
沖田 そうですね。最初にお話をいただいたのは、もう5年くらい前なのかな。「次は10代の女の子が主人公の映画でも作りたいなあ」と思ってたんです。なので「あ、これは呼んだな」と思った(笑)。
田島 あはは。
沖田 まあ、それは半分冗談ですけど。それまで撮ったことのない企画だったし。しかも原作が大好きな「子供はわかってあげない」。これはがんばってみるしかないと。
──主人公の水泳部員・美波と、あるきっかけから彼女と仲良くなる同級生のもじくん。2人のキャラクターがとにかく初々しくて最高ですね。先ほど田島さんは「ストーリーを前に進めるのに精いっぱいだった」とおっしゃいましたが、2人のひたむきな一生懸命さには、描き手の思いが込められているようにも感じます。美波ともじくんには、どこかご自分が投影されている部分ってありますか?
田島 そうですね。振り返って考えれば、そういう部分はあると思います。例えば、親に本当のことを言えないところとか。真剣なときほど、つい笑っちゃうところとか。あとはアニメ好きなところも。
沖田 ははは。それ、まんま美波のキャラクターじゃないですか!
田島 そうかな(笑)。でも少なくともこの2人は、作品の中では、私が普段思わないようなことは言ってないですね。
監督が2人をすごく大事に思ってくれているのが感じられて(田島)
──その原作を映画化するにあたって、監督はどこに軸を置かれましたか?
沖田 映画ではなるべく、親子の話をクローズアップしたい気持ちがありました。……要はお父さん目線ですね。
田島 なるほど。
沖田 ちなみに僕自身は中学・高校と男子校で、あんな感じのキラキラした経験って一切ないんですよ。当時はずっと「共学いいなあ」と憧れていただけで。
田島 共学だからって、別にキラキラとかないですよ。
沖田 そうなんですか?
田島 いい青春を送ってたら、たぶんマンガ家にはなってないっす(笑)。
沖田 はははは。僕も同じです。ただ今回は、田島さんが描かれた初々しい世界に本気で乗っからせていただいて。美波ともじくんのツーショットは、それこそ10代の女の子になった気持ちで一生懸命撮りました。もしこれが自分のオリジナル脚本だったら、最後の屋上みたいなシーンは絶対に書けなかったと思う。
田島 なんか、思い出してきました(笑)。映画化が決まったとき、監督がわざわざ会いに来てくださったじゃないですか。
沖田 はい。伺いたいこと、確かめたいことがいろいろあったので。
田島 そのとき沖田さん、「あの屋上のシーンはやってあげたいんです」みたいなことをおっしゃったんですよ。「やりたい」じゃなくて「やってあげたい」。その言葉の使い方から、監督が2人のキャラクターをすごく大事に思ってくれているのが感じられて。それで私、安心してぜんぶ丸投げしちゃったんだった。
沖田 うーん……あんまり記憶にないなあ(笑)。ただ、基本的に任せてもらえそうだと思って、すごくうれしかったのは覚えています。その気持ちに応えなきゃなと。
──屋上のシーンを描いていたときのことは、鮮明に覚えていますか?
田島 そうですね。あのシーンは自分の中の壁を全部取り払った状態で、他人の目とか評価とか、そういうのをまったく気にせずに描きました。だから連載が決まったときは、ちょっと恥ずかしかった。親にはあんまり読まれたくないなと。
沖田 映画になったら、ご両親どころの話じゃない(笑)。
屋上のシーンには自分の人生の反省が出てる(笑)(田島)
──原作では屋上のクライマックスの前に、美波が夢の中でジョニーという馬と語り合うエピソードがありますね。
田島 はい。
──そこでは「好き」という言葉が、人にとってどんな意味を持っているか、軽妙だけど深いやり取りが交わされる。実は「子供はわかってあげない」という作品のエッセンスが凝縮されている気がして印象的でした。
田島 あれは、自分の人生の反省というか(笑)。何かを好きになったら、ごちゃごちゃ考えず、とにかく好きと言ったほうがいいと。そういう気持ちが出てますね。ただ、映画はやっぱり開かれたものであってほしいので。監督がそういう人生観っぽい部分を省いて、1本のすっきりした青春映画にしてくださったのは、逆にうれしかった。
沖田 2時間ちょっとの映画に盛り込めることって、そんなには多くはないので。原作のどの要素をメインに据えるかというのは、けっこう悩みました。ふじき(みつ彦)さんと、シナリオも何稿も書き直しています。結果、マンガ版の大きな魅力である謎解きの部分、いわばハードボイルド的な展開は思いきって落とすことにした。それによって、原作では大活躍するもじくんのお兄さんの場面はぐんと少なくなって……。
──もともとは兄、今は姉になっている門司明大。実家を飛び出し、探偵業を営んでいる設定ですね。映画では千葉雄大さんが演じています。
沖田 すごく人気のあるキャラクターなので、原作ファンの方は物足りなく感じるんじゃないかとか、葛藤はありました。ただ、それでもシンプルな話にしたほうが、原作の魅力が出せる気がした。あと、最初に田島さんとお話しした際、「女の子の成長はもしかすると父親からの卒業かもしれません」みたいなことをおっしゃったんですよ。
田島 いわゆる「父殺し」ってやつですよね。「子供はわかってあげない」だけじゃなく、古今東西いろんな物語の根本にはこの構造がある。それを「父親からの卒業」というマイルドな言い方にしたんですね(笑)。
沖田 その言葉も1つのヒントになって、彼女がお父さんに会いにいくパートを話の軸に据えました。おそらく映画化をきっかけに原作を読まれる方もいるはずですし。映画では描けなかったエピソードは、そのときのお楽しみとして残しておこうと。
2021年8月20日更新