ナタリー PowerPush - THA BLUE HERB
ILL-BOSSTINO、「沈黙の2011年」を語る
2011年は「死」というものを突きつけられた1年だった
──THA BLUE HERBは2011年2月にDVD「PHASE3.9」のリリースをもって第3段階を終了し、充電期間に入りました。しかしその後、3月11日に東日本大震災が発生します。BOSSさんにとって、2011年はどのような1年でしたか?
「死」だね。「死」というものを突きつけられた1年だった。ポジティブだった第3段階が終わった直後にあんなことが起こるなんて。本来「死」っていうものは身近にあって、明日でも明後日でもいつでも訪れるかもしれないものなのにね。でも、あの日起こったことは自分にとってもすさまじい痛みだった。しかも、それがパレスチナやイラクでどうのって話じゃなくて、この自分たちの国で突然起きた。それに俺自身も、昔から知ってた函館の若いラッパー、そして俺をずっと支えてくれていた札幌の親友を去年亡くした。札幌に縁のあった大先輩もこの世を去った。どれもが突然だった。
──「死」が突然やってくることを、みんな感覚では理解していました。しかし、実際にこんな形で体験したことはありませんでした。
うん。本当に感覚ではわかってたよ。「死」っていうものはあるし、いつそれが来るかもわからない。「大切に生きなきゃだめなんだよ」っていうのも観念的にはわかる。でも、現実的にそれが起きたときのリアリティっていうのは……。辛いし、悲しいし、今も国全体がそういうムードにあると思う。そんな状況下で「もう1回みんなで気持ちで上がっていくためには、どういう言葉が必要なんだろう」って、ものすごい考えた。
──実際BOSSさんは2011年、ほぼ沈黙を守りましたね。
(震災直後に)いろんな人たちがYouTubeとかで作品を発表して、俺もそういうのを観たり聴いたり、誘われたりした。ただそれは俺にはできなかったんだ。もちろん「なんで今ここで歌わねえんだよ!?」って思う自分もいたよ。だってTHA BLUE HERBは、俺自身が逆境を跳ね返すために始めた音楽だからさ。「今まさに究極の逆境じゃないか!」って。でも、だからこそもっと深く考えてやりたかった。3月11日から少なくとも1カ月の間は、俺も含めみんなパニックだったし。自分の中で気持ちの整理もついて、こうやって人前で喋れるだけの落ち着きと知識と意見も得て、しかもそれを表現する言葉にも自信がある、そういう状態になれなければ、俺は作品を発表できないと思ったんだ。
──あの混乱した状態では、THA BLUE HERBとして作品を発表することはできなかった、ということですね。
そうだね。だから、沈黙してる間は「伝えるに足る作品ができるはずだ」と信じて、言葉を自分の中に蓄積していたよ。
「あかり from HERE」という曲が持つ力
──しかし、BOSSさんは2011年に3回だけステージに立ち、クラムボンと「あかり from HERE ~NO MUSIC, NO LIFE~」をパフォーマンスしました。オフィシャルサイトでは、自らクラムボン側に共演を打診したと書かれていましたが、沈黙することを選んだBOSSさんが、なぜ自ら共演を希望したのか教えてください。
今「なぜ共演を希望したのか?」と訊かれても説明はできないな。多分「あかり from HERE」という曲が持つ力が、俺にそうさせたんだと思う。
──あの曲は、まさにどうにもならない状況や、行き場のない不安感に対する曲ですよね。
(原田)郁子ちゃん(クラムボン / Vo, Piano)は「逆境に強い曲だね」って言ってたよ。
──最初のステージは、震災から100日後の仙台ですね。
100日経ったとはいえ、傷なんてそんな簡単に癒えるものじゃない。俺のラップは強圧的だから、あまりプレッシャーを与えないようにすごく注意したよ。歌詞は少し変えた。演奏についても、クラムボンの3人と随分話し合った。
──あの状況下での演奏は、かなり難しいものだったでしょうね。
うん。でも、音楽が浸透していくのがよく見えたよ。
──お客さんの反応はどうでしたか?
客席は観ていたけど、1人ひとりの顔は観られなかった。それぞれ悲しみや絶望を抱えた人たちのことを、俺は観ることができなかった。仮にそれを観ていたとしても、ここでは言えない。とにかくすごくリアリティのある場所だったよ。フィクションじゃない本物の世界。本当の音楽の可能性を感じた瞬間だった。
──その後BOSSさんは「JOIN ALIVE 2011」と「FUJI ROCK FESTIVAL '11」という2つのフェスにクラムボンと出演しました。オフィシャルサイトでは、「絶望し、迷い、きっかけを待っているのは東北の人達だけじゃないのかもしれない」と自身の心境の変化を語っていますね。
「JOIN ALIVE」と「FUJI ROCK FESTIVAL」のステージで「あかり from HERE」をやったとき、歌詞と自分が見ている光景とのシンクロがすごかったんだよ。今もそうだけど、みんな「ちょっとこの国やばくね?」とか「どうなっちゃうの? 俺たち」みたいな不安を感じてるじゃん。でも、去年の夏はそれが今以上に鮮烈だったんだよ。だから、そんな行き場のない思いを抱えた多くの人たちがこっちを向いて、俺が発するリリックに反応してくれるんだ。「そうだよ! 俺もそう思ってたよ!!」って、お客さんが強く共感しているのを皮膚で感じたというか。
──その経験がBOSSさんに新たに曲を作るモチベーションを与えたということですか?
そうだね。その意味でも、あのステージに立つ機会を与えてもらって良かったよ。俺にとっては、離れた場所でニュースを見るよりリアリティがあった。たった5~6分間だけど、いろんな人といろんなことを会話できた気がしたな。
THA BLUE HERB(ざぶるーはーぶ)
ILL-BOSSTINO(Rap)とO.N.O(Track Maker)が1997年に札幌で結成。ライブではDJ DYE(LIVE DJ)がバックDJを務める。THA BLUE HERBの最大の特徴は強いメッセージを持ったリリック。デビュー当時は東京のヒップホップシーンと地方に目を向けないメディアへの怒りを全面に打ち出して大きな話題となった。そして、1998年に1stアルバム「STILLING, STILL DREAMING」、2002年に2ndアルバム「SELL OUR SOUL」をリリース。独自の世界観を確立したリリックとソリッドでミニマルなビートが人気を集め、アンダーグラウンドなヒップホップシーンで支持を集めた。2007年に3rdアルバム「LIFE STORY」を発表後、約3年半で日本全国179カ所におよぶライブを敢行。2011年2月にそのツアーのライブドキュメンタリーDVD「PHASE3.9」を発売した。そして2012年3月14日に約4年半ぶりとなる新作「STILL RAINING, STILL WINNING / HEADS UP」をリリースする。