ナタリー PowerPush - 中村一義
「最高宝」「魂の箱」「魂の本」 至高の3アイテム同時リリース
もう、ずーっと『OZ』を作ってたんですよ。
二〇〇三年は『OZ』全曲のデモを作って、
二〇〇四年は一年かけてレコーディングをしてました。
──武道館が終わって、いよいよ中村さんは100sの一員としての活動に突入するわけですけど。
中村 そうですね。でも、武道館が終わった直後は「100sってどうなんの?」みたいなのが僕の中にはあって、それはメンバーの中にも、形は違えども同じようにあったとは思うんですよね。フェスから始まった一発のものなのか、とか。それはリスナーの方を含めて、みんなそう思ってたんじゃないかな。
武道館も終わった後、そこのところを思い切ってメンバーと話してみると、みんな、まだ作りたいっていう気持ちがあって。それで、あるときにバンマスの池ちゃんとラーメン食いながら、「100sどこまで行こうか?」って話をして。それで池ちゃんが「また作ろうよ」って言ったのかな。それで僕は「じゃあ三枚作ろうか」って言って、それでずっと来てる感じですね。それをずっと、お互いに覚えてやってきた感じもあります。
──じゃあ、仮に武道館が終わった後、ソロに戻るという可能性もあったわけですか?
中村 そうですね。正直なところ、ちょっと休みたいって気持ちもあったんですけど、やっぱりバンドとしての受け止められ方を宙ぶらりんにしておくわけにはいけないな、と思ったんですよね。
──確かにこのとき、世間的に「中村一義は100sというバンドを作って、その一員としてやっていくんです」ってことまでは言ってないですよね。
中村 言ってないんですよ。それで『OZ』の前、シングルの『A』を出すときに、それを正式に言ったんですよね。コメントを書いて、ホームページとかいろんなところで発表したという。
──武道館の後に池田さんと話をして、メンバーと話して、100sで行くことを決めた、と。
中村 はい。行ってみようか、と。
──そんな決意とは裏腹に、武道館が終わってから二〇〇三年、二〇〇四年の二年間リリースがまったくないんですよね。
中村 いや、これには明確に理由があって、もう、ずーっと『OZ』を作ってたんですよ。簡潔に言うと、一年かけてデモを作って、一年かけてレコーディングしてたっていう。二〇〇三年は『OZ』全曲のデモを作って、二〇〇四年は本チャンを録って、二〇〇五年にリリース。表立った活動はなかったですけど、この二年間というのは、ホントにハードでしたよ。そのハードさっていうのは、やっぱり100sがナメられちゃいけないっていうところから来てるような気がするんですけどね。
──それは世間一般で言われる「中村一義&100s」みたいなイメージに向けて、ですよね。
中村 そうですね。『OZ』に関して曲を作るっていうことは100sと一緒にやることを前提にコンセプトから作ることになってきますし、メンバーそれぞれに才能のあるところを僕が吸い上げてプレゼンテーションしたいという気持ちもありましたし。あと、メンバーとの共作もありましたしね。
──たとえばローリング・ストーンズじゃないですけど、ジャムセッションから曲が生まれる、みたいなこともあるんですか?
中村 そういうのもありますよ。そういうことができるっていうのが100sの強みだなっていうのを、僕は感じましたね。自分一人だったら、なかなかセッションっていうのはないですから。たとえば旋律と歌詞があるだけの状態、コードが添えられている状態でも、セッションは始められますからね。
確かに、これは死だと思います。
そして最後に辿り着くのは死んだ人を想うっていう、
自分にとっては正しいところに帰着するんです。
──『OZ』はいま改めて聴いても、すごくへヴィな大作ですよね。
中村 まず、この『OZ』っていうタイトルから浮かんだアルバム、コンセプトから生まれたアルバムなんですよ。どういうことかと言うと当時、そろそろ二郎さんの元気がなくなってきて、最後の入院をする間近なんじゃないかってことになってて。
だからバンドの作品ではあるんですけど、僕っていう、それこそワン・オブ・ゼムの想いっていうものがバンドの中で表現できるアルバムにしよう、と。つまりは100sっていうものが、こう、僕に対してグローブになっているっていうか。そういうアルバムを作ろう、というビジョンから始まったんです。
──中村さん個人のへヴィな状況を受け止めて、それをバンドとしての作品に昇華できるものにしよう、と。
中村 ただ、そんな中で『OZ』のデモを作っているときから、100sの各メンバーの身内でも不幸が続くようになって。ベースのヒロのお母さんが亡くなったりとか、池ちゃんのお母さんが亡くなったりとか、ヘヴィなことがどんどん続いたんですよ。
僕的に一番ヘヴィだったのは早苗の父方のおじいさんが二〇〇三年の十二月に亡くなったんです。かなりショックだったんですけど、その数日後の三十日に今度は早苗の母方のおばあちゃんが亡くなって。さすがに、そのときは僕、その場で失神しちゃったんですよね。バーンって状況部屋で倒れちゃって。だから、逃げてるっていうか、すごく傷だらけっていう感じがありましたね、『OZ』を作ってるときは。
──精神的にも、肉体的にもヘヴィな状態ですよね。
中村 レコーディング自体もヘヴィで、ブッ倒れたりしたのも一度や二度じゃなかったし。「光は光」という曲を録りを終えて、地下のスタジオからミキシングのために別のスタジオへ移動することになってたんですけど、地上に上がる途中で、過呼吸がヒドくなって道にブッ倒れた後、そこからの記憶がないんです。そのときはメンバーがミキシングのスタジオに向かってくれて、作業を見届けてくれたんですけど。だから、ホントにしんどかったですね、このときは。
──やっぱり『OZ』は、どこか死に近いところにある感じはしますよね。
中村 確かに、これは死だと思います。ありったけの死生観、そのときに自分が感じているものを、どれだけ入れられるか? どれだけ引かれても、どれだけ入れられるかっていう。でも最後に辿り着くのは、やっぱり死んだ人を想うっていう、自分にとっては正しいところに帰着するっていうのはわかってたんで。
ただ表現者としては、そこで終わりなんですけど、そこから表現者ではない、生活者である自分に立ち戻ったときに引っ張られるじゃないですか? それはありましたよね。
──『OZ』の死の匂いに、生活者としての中村さんが引きずり込まれてしまう?
中村 そうですね。あとは、ここまで突き詰めた表現をやっていく中で、自分のキャパシティが完成したというのを自覚しちゃったんですよね。その完成したキャパシティに対して達観を迎えたな、とも思ったんです。もうパンパンだと。あくまでも当時のってことではあるんですけど、でも、人一人が持てる容量は決まってる、とも思ってて。僕の場合は過ごしてきた環境のせいもあって、かなり早熟にならざるを得なくて、キャパシティだけはすごく大きく与えられてたとは思うんですけど、それがパンパンになってしまった。ということは、この先はバカにならないといけないんだな、というのを自覚した時期でもあったんです、この『OZ』プロジェクトを終えたときっていうのは。要は、このまま行くと死ぬなって思ったんですよ。
だから、この『OZ』っていうタイトル自体、『オズの魔法使い』っていうファンタジーから来てるんですけど、そこに一滴のリアルがないとファンタジーも作れない。ドキュメントすら作れないっていうのがあったんです。そして、そのリアルを持って水かきするのは、相当死に近いことだっていう。肉体的にも本当に大変でしたね。みんなの精神バランスもおかしくなっていくし。二年とか延々やってるわけですからね。
──アルバム間のインターバルで言うと、中村さんの活動史上、ここが一番長いんですよね。
中村 やっぱり、僕は僕で二郎さんへの想いがあったし、絶対にやり遂げないといけないと思ったし。それだけの大作というか、これだけの想いがあるんだっていうのをアルバムで示したかったし、メンバーにもいろんな出来事があって、そこへ向けた想いっていうのもあったハズなんですよね。初めは僕の二郎さんへの『OZ』だったのかもしれないんですけど、その二年っていうときを経て、みんなにとっての『OZ』になっていったんですよね。だから『OZ』っていうのは、すごくファンタジックなタイトルなのに、みんなにとっては、すごくリアルなタイトルに思えてきたんですよね。
──『OZ』の最後に収録された「ハルとフユ」っていうのは、中村さんがずっと飼われていた……。
中村 そう、うさぎなんです。ハルっていう子は死んじゃってたんですけど、フユっていう姉妹がいて、その子がハルが亡くなってからも寂しそうにしながらも生き延びてくれたんです。その子も、レコーディングの最後ぐらいに亡くなっちゃったんですよね。一番身近にいた生き物が、また死んだっていう。
──それは、まあ、ひとつの象徴というか。
中村 だから、この「ハルとフユ」という曲は、いつも二番目に好きな曲なんですよ。
──二番目ですか。
中村 一番目がコロコロ変わるんですけど「ハルとフユ」は、いつも二番目なんです。そこで、やっぱりうさぎの死、一般的に言うと人の死からは軽く思われちゃうのかもしれないけど、それが最後にあるっていうのは、自分にとってはファンタジーかなあって。同等ですよっていうのが自分がいつも提示するファンタジーだと思ってるんで、それでアルバムを終われたっていうのは、すごく嬉しいですね。状況部屋で池ちゃんが足踏みオルガンを弾きながら僕が歌う。それが最後のレコーディングだったんですよね。「状況が裂いた部屋と別れ、フユよ、おやすみ」って歌詞、そのまんまなんですよね。
DISC 1
- 犬と猫
- ここにいる
- 永遠なるもの
- 主題歌
- 魂の本
- 笑顔
- ピーナッツ
- ショートホープ
- ジュビリー
- ハレルヤ
- 最高(Acoustic Ver.@状況が裂いた部屋)
DISC 2
- キャノンボール
- セブンスター
- 扉の向こうに
- いきるもの
- 希望
- Q&A
- つたえるよ
- モノアイ
- 最後の信号
- 愛すべき天使たちへ(Acoustic Ver.@100st.)
「魂の箱」収録内容
- 金字塔
- 太陽
- ERA
- 100s
- OZ
- ALL!!!!!!
- 世界のフラワーロード
- 未発表/DEMO音源集
- アルバム未収録音源集
- ビデオクリップ集(新曲を含む、これまでのビデオクリップを収録)
※2月28日までの予約限定生産商品
中村一義(なかむらかずよし)
1975年生まれ。東京都江戸川区出身のシンガーソングライターで、1人で作詞、作曲、アレンジ、すべての生楽器を演奏する制作スタイルをとる。1997年1月に「犬と猫 / ここにいる」でデビュー。1997年6月に「金字塔」、1998年11月に「太陽」、2000年9月に「ERA」とオリジナルアルバム3枚をリリース。独特の感性が光る歌詞と繊細なサウンドで人気を博す。2001年、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001」に出演した際のバンドメンバーが集結し、2002年にシングル3枚およびアルバム「100s」を発表。その後2004年には同メンバーでバンド・100sとしての活動を開始し、現在まで3枚のフルアルバムをリリースしている。