「漫才師」という肩書を下ろし、自分の未来へ向けて書き下ろした自伝的エッセイ。お笑いナタリーでは川西へのインタビューを実施し、「漫才師を辞めるにあたって」という衝撃的な書き出しに込めた意図や、なぜこのタイミングで筆を執ったのか、そして今後の活動について今考えていることを聞いた。
川西賢志郎 インタビュー
──昨年秋に伺った(NHK総合のコント番組)「LIFE!」の取材以来です。お元気でしたか?
元気ですよ(笑)。元気そうでしょ?
──お元気そうです。川西さんが出ている舞台はないかな?とチケットサイトをチェックしていたところ、クロスバー直撃・前野さん主催の「劇団前野の500円ミュージカル」に名前がありました。川西さんは天竺鼠・川原さんのライブなど、以前から変わったライブによく出演されていますよね。
そうですか? 僕の中ではすごくシンプルなんですよ。ライブを主催する本人のやりたいことが詰まったイベントで、「川西のこういう部分が必要だから力を貸してくれ」という明確なオファーだから引き受けるわけです。だから大前提、ご本人のやりたいことがまずあって、そこに僕の何を求めているかがはっきりしているという基本姿勢に対していいなと思えるものを精査してお受けしていったら、結果そんなイベントばっかりに出演してたってだけのことです(笑)。
──最近はそのほか、どういう活動をされていましたか?
去年1年間、基本的にはゆっくり過ごしましたけど、やっぱりメインはこの本の執筆でした。数カ月はほぼこれをやっていましたね。喫茶店に行って、ずっとスマホで書いていました。今までも(執筆活動は)スマホでしかやってきていないから、それしかできないしそのやり方に落ち着いちゃっているんですよ。正直、「こんなに大変なのか……」とは思いましたけどね。近所の喫茶店を網羅してしまいました(笑)。
──1日何時間くらい喫茶店にいらっしゃるんですか?
まちまちですけど、平均3、4時間はいたんちゃうかな? 眼精疲労からくる頭痛と肩こりに耐えながら書き上げました(笑)。
──「本を出そう」と考えたのはなぜですか?
やめると決めたときに、今まで何を考えて歩んできたのかを全部吐き出して次に進みたかったんです。そのほうが身軽になって、よりパーンと次に切り替えられるんじゃないかなと。“本”という形にしたのは、考えていることがちゃんと伝わらないと意味がないと思ったから。丁寧に丁寧に、より伝わるように何度も言葉の推敲を重ねたかったんです。
──この本が「漫才師をやめる」という前提で書かれていることにまず驚きました。解散してピンになり、自然と漫才をやらなくなる人もいますが、「やめます」と宣言する人はあまりいないので。
今まで漫才を楽しみに劇場へ足を運んでくれていた人たちには、はっきり言ってあげないと不誠実かなと思ったんですよね。これまで自分は漫才師だということを前面に出して活動してきましたし、劇場へ来てくれてた人たちだってそう捉えて応援してくれていた人がたくさんいただろうから、納得がいかないんじゃないかと思った。だから、解散するにあたってきちんと言葉にして「もう漫才師をやめますね」と言わないと、自分のこれまでの振る舞いに責任が取れないと思ったんです。もちろん、誰かからユニット的に「どうしてもあなたと漫才がしたいです」という強い思いを持ってオファーをいただいたら、「いいよ」と言うかもしれません。だけど、“漫才をやること”と“漫才師であること”は違いますから。
──川西さんとしては、「漫才師をやめる」と言ってしまうことに躊躇はなかった?
それはもう解散を決めたときにはありませんでした。自分の中では解散と漫才師をやめることはセットとして選んだ決断なので。「(漫才を)やったらいいやん。もう一回誰かと組んだらできるやん」と言う方もいると思いますけど、そういうことちゃうねんなっていう温度感は、この本を読んでもらえたら伝わるのかなと思っています。
──これを読めば理解できるといいますか、受け入れるしかないといいますか。
あははは(笑)。そうですね。いつも僕はそういう気持ちにさせているんやろうね。特に劇場へ好きで観に来てくれていた人たちには。受け入れるしかないですよね。俺もある種、自分の受け入れるしかないところを受け入れて進んできてるから、そっちも受け入れてくれよ、と思うんですよ。俺も受け入れてんねんから(笑)。
──確かに(笑)。それが川西さんですからね。
そうそう。順番でいうと、まず芸人・川西賢志郎が生まれてからという意味で、俺があってのお前なんやから、お前もそれは受け入れてくれよと(笑)。まあ、そういうところが合わないと思う人もいると思います。でも、今まで漫才師として見せてきた姿と、これから一人で見せていく姿は絶対に違うだろうし。同じように舞台に立ってネタをやってもそこで披露するものも全然違うものになってくるから、僕は今までの延長線上にあるけど、みなさんが今までの延長線上で応援できるかどうかは別の話になる。だから、この本を読んで決めてもらえたらいいかなと思ってます。選べる自由がある中でそれは自然なことだから、去っていく人は去っていくと思うし、逆に新しく興味を持ってくれる人もいるやろうし。よりお互いの求めるものが合致した関係性でライブができるようになることも期待して書いています。
──本を読んで、川西さんが広い視野でお笑いを考えていると感じました。能登半島地震のボランティアに参加された記事(「能登への良い連鎖に繋げたい。川西賢志郎が災害ボランティアを通じて感じたこと」あしたメディア by BIGLOBE)も拝見しましたが、社会に目を向けるきっかけになることはあったんですか?
特に大きいきっかけがあったわけではなくて、お笑いをやっていけばいくほど、社会から隔絶された世界にいるような感覚が芽生えてきたんです。例えば、世界情勢が悪化しているというニュースや、深刻な災害があったというニュースが流れたりしたときに、「お笑いを見て笑いましょう」っていう風に当事者でない人たちがいったん笑いで安心感を得るってことはあると思います。もちろん不安になった心を一時的に避難させることは生きていく上で必要だし、それもお笑いの役目なのかもしれません。だけど、すべて同じ世界で起こっているんだということを忘れてはいけないと思う。情勢の悪化も災害も、安心感を得るために触れたお笑いも、すべて同じ世界での話だから。いつかどこかで向き合わなきゃいけないことを完全に放棄してしまうのは違うかなと思っていて。ボランティアもそうで、過去にロケで土のう作りを手伝ったんですけど、「大変ですね」なんて言いながらスコップで土を掘って、時間が来たら「はい、OKです」で終わり。自分の中で、それはなんだか無責任な感じがして。お笑いやユーモアって、本来は人と人がコミュニケーションを取る中で生まれたものだから、お笑い芸人が社会とこんな形でしか関われないのかと自分的に悔しかったんでしょうね。いろいろ経験しながら、お笑いのあり方みたいなことを考えるようになったんだと思います。
──そんな今の川西さんは、次のフェーズではどんなことをしていくおつもりなのでしょうか? 3月には「ワンマントークショー ―はじまりとおわりとはじまりと―」の開催が控えています。
解散することになってから、まず本を書いて自分で区切りをつけること、そして1人でしゃべるライブをすること、この2つを決めていました。寄席における漫才は大衆的な演芸だから、あくまでその日のお客さんに寄り添ってなるべく満遍なく楽しめるもの、その前提を大切にしながら自分が面白いと思うことをやる、というのが僕が捉えていた漫才師としてのあり方なんですが、今後1人でやっていくことは強烈に自分を出さないとまず興味を持ってもらえないだろうと思うんです。だから言葉遊びや表面的なもので終わらずに、ちゃんと芯を捉えながら笑いの取り方としても自分が納得いくものにして、自分の考えや経験してきたことをもとに舞台の上でしゃべる、ということに重きを置いていきたいです。寄席には立たないから舞台数は以前よりぐっと減りますけど、定期的に自分でライブをやらないと、芸人として居座った意味がないと思うので。とりあえず自分が決めた本を出すこととライブをやることが終わってから、先のことは考えようと思います。
(ヘアメイク:山内マサヒロ、スタイリング:神山トモヒロ)
川西賢志郎「ワンマントークショー ―はじまりとおわりとはじまりと―」
大阪公演
日時:2025年3月7日(金)18:00開場 19:00開演
会場:サンケイホールブリーゼ
料金:前売4000円 当日4500円
東京公演
日時:2025年3月20日(木・祝)17:30開場 18:30開演
会場:めぐろパーシモンホール 大ホール
料金:前売4000円 当日4500円
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クラーク・ケント @okaokavt
寄席には立たないから舞台数は以前よりぐっと減りますけど、定期的に自分でライブをやらないと、芸人として居座った意味がないと思うので。とりあえず自分が決めた本を出すこととライブをやることが終わってから、先のことは考えようと思います。 https://t.co/Hh7YRSVhvE