コントの神様・志村けんが残したもの 第1回 [バックナンバー]

ナイツ塙「だっふんだぁ」

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日本を代表するコメディアン・志村けんが3月29日、70歳で他界した。あまりにも突然すぎる死は、芸能界はもちろん、お茶の間にとっても信じがたい出来事だった。一方で、各局が放送する追悼番組で大笑いした視聴者も少なくないだろう。本企画は、この世を去ってなお人々を笑わせ続ける志村けんが、現在活躍する若手芸人たちにどんな影響を与えてきたのか紐解くもの。志村へ深いリスペクトを捧げる芸人5組にその思いを綴ってもらい、志村と同郷のカラテカ矢部にイラストを描き下ろしてもらった。第1回は、ナイツ塙の文章を掲載する。

寄稿 / 塙宣之 イラスト / 矢部太郎

だっふんだぁ

5歳の時に幼稚園の授業中におなかがゆるんで、うんこを漏らしてしまいました。それから毎日、うんこの事をいじられるようになりました。

小学校に入っても、うんこの事でいじめられるようになり、どんどん内向的になっていきました。唯一の楽しみは「8時だョ!全員集合」を見る事でした。毎週、志村けんさんのコントに腹がよじれるほど笑わせてもらいました。その中で子供ながらに思った事がありました。コントの中でよく「うんこ」が登場してくるのです。僕はうんこでいじめられているのに、この人はうんこを面白く笑いにしている。だったら僕もうんこをネタにして笑いにしたらいい。悟りが開けた瞬間でした。

早速、自作のうんこソングを作りました。タイトルは「うんこくさくさベイベー」。それをクラスのみんなの前で歌いました。予想以上の大爆笑でした。その日からいじめがパッタリとなくなりました。

僕の好きな言葉に「笑いは庶民の武器 笑いは庶民の知恵」とあります。どんなにつらい状況でも笑いに変えてしまえば無敵だという事を志村けんさんに教わりました。去年の秋、一緒に飲む機会があり、このエピソードを志村さんに話しました。何も言わず、ただ照れながら嬉しそうに焼酎を飲んでいました。

先日ある番組で志村さんがお笑いを目指したきっかけの話が放送されていました。小学校3年生の時に運動会の徒競走の時に緊張でおなかがゆるんで、うんこを漏らしてしまい、それから「うんこたらし」というあだ名をつけられてからかわれるようになった。それを払拭したいと当時よく聞いていた柳家金語楼の落語の酔っぱらいをまねして、クラスのみんなに見せ、それからひょうきん者として人気になったという話でした。

そんな過去があったのであれば、僕が話した時に「俺と一緒だよ」って言って欲しかったけどそれを一切言わずニコニコしながら焼酎を飲んでいた志村さんは本当に格好いいです。女優の黒木瞳さんも一緒だったのですが、その時に黒木さんから再三にわたって「志村さん役者やってくださいよ」とお願いされていました。それに対して終始、生返事でした。なんではぐらかすのだろうと思っていましたが、その時にはNHKの朝ドラ「エール」や映画「キネマの神様」への出演が決まっていたんだと思います。それを言わない志村さんはやっぱり格好いいです。2つとも実現しなかった事がとても残念です。

お亡くなりになったニュースを見た瞬間、手が震えました。体中の力がなくなりました。今でも信じられません。志村さんの映像が流れる度に瞬時に涙が出てきます。

日本中に危機感を持たせてくれたのは、間違いなく志村さんです。またこの危機を乗り越えた時に笑顔になったとしたらそれも志村さんが作った笑いです。志村さん、本当に本当にありがとうございました。アイーン(愛)してます。お笑いの原点は「だっふんだぁ(脱糞だ)」。

塙宣之

ナイツ塙

ナイツ塙

1978年3月27日生まれ、千葉県出身。漫才協会副会長。2001年に大学落語研究会の後輩だった土屋伸之とナイツを結成した。2008年から3年連続で「M-1グランプリ」決勝進出。「平成25年度文化庁芸術祭 大衆芸能部門」優秀賞受賞、「平成28年度(第67回)芸術選奨 大衆芸能部門」文部科学大臣新人賞受賞、「第33回浅草芸能大賞」奨励賞など受賞歴多数。2018年、2019年に「M-1」審査員を務め、昨年8月に「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」(集英社新書)を刊行した。

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