コントの神様・志村けんが残したもの 第3回 [バックナンバー]

ザ・マミィ酒井「我が家にバカ殿が来た日」

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日本を代表するコメディアン・志村けんが3月29日、70歳で他界した。あまりにも突然すぎる死は、芸能界はもちろん、お茶の間にとっても信じがたい出来事だった。一方で、各局が放送する追悼番組で大笑いした視聴者も少なくないだろう。本企画では、この世を去ってなお人々を笑わせ続ける志村けんが現在活躍する若手芸人たちにどんな影響を与えてきたのか全5回の連載で紐解く。第3回は、ザ・マミィ酒井。

寄稿 / 酒井尚 イラスト / 矢部太郎

我が家にバカ殿が来た日

ぼくは志村けんさんに憧れたただの若手芸人です。直接関わりはございません。ぼくなんかが執筆するのはおこがましいと思ったのですが、志村さんがぼくにくださった最後のお仕事だとも思ったので書かせていただきます。

ぼくが志村けんさんを知ったのは今から20年くらい前の小学生のときです。家族で夕ごはんを食べるとき親父がチャンネルを選ぶのですが、急に白塗りちょんまげ極太眉毛の人が映り込み「なんだなんなんだ!?」となったのがきっかけです。親父にこの人は「バカ殿」だと教えてもらいました。バカなのにお殿様? 小学生のぼくには興味しかなかったです。親父にバカ殿を見せてくれとお願いしたのですが「お前にはまだはやい」とだけ言われ、チャンネルを変えられそうになりました。必死に抵抗し、ちょこっと見せてもらうと、もう笑いが止まりませんでした。家族みんなも笑っているのに親父はまだリモコンを握っていました。女性のおっぱいが映り込んだ瞬間、親父が目にもとまらぬ速さでチャンネルを変えました。このとき親父が言っていた言葉の意味がすこし分かりました。

それからというものバカ殿の虜になってしまったぼくは、毎度のようにバカ殿を見せてくれと親父に懇願するようになりました。「お前、またあんなにエッチなのが見たいのか!」と言われましたが、「エッチなのが見たいんじゃない! エッチなことをするバカ殿が見たいんだ!」と、親父からしたらよくわからない理由で強引に丸め込み、なんとか見せてもらえるようになりました。あと、ぼくは剣道を習っていたのですが、バカ殿と時間がかぶっている日はお稽古がまったく手につきませんでした。1秒でもはやくあの殿様を見たくて帰り道をダッシュ。重たいはずの防具も不思議と重くなかったです。家に着くと母があったかいごはんを作って待っていてくれていました。家族でテレビを囲んで、みんなでゲラゲラ笑って、やっぱりエッチなとこで気まずくなって、志村けんさんは間違いなく我が家のど真ん中にいました。ここだけの話、食卓の下でこっそりパンツの中に手を伸ばしたこともあります。

いつしかぼくも人を笑わせるお仕事がしたくなり、お笑い芸人になりました。芸人になってから志村さんのコントを見ると凄すぎて震えます。なんで酔っぱらっている演技だけでこんなに面白いんだ? 怒り顔から泣き顔の切り替えはどうやってるんだ? どんなにエッチなことしてもまったく不快じゃないのはなんでなんだ? もう憧れが止まりません。自分の欲望のままにコントをする志村さんがかっこよすぎます。演技をお勉強させていただきながら、めちゃくちゃに笑わせていただいています。

今の相方と出会い少しずつですがテレビにも出られるようになり、もうすぐ志村さんに会えるかもと思っていた矢先の訃報で涙が止まりませんでした。一度でいいからお話してみたかったです。欲を言えばガールズバーでお酒を交えたかったです。なにより、一緒にコントがしたかったです。それがぼくの夢でした。その夢は叶いませんでしたが、志村さんのような面白くてスケベでかっこいい素敵なおじさんになる夢ができました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

酒井尚

ザ・マミィ酒井

ザ・マミィ酒井

1991年6月1日生まれ、東京都出身。トリオ「卯月」として活動したのち、メンバーの1人だった林田洋平と2018年9月にザ・マミィを結成し再出発。精力的にライブを開催し、昨年7月に「お笑いハーベスト大賞」を前身とする「ツギクル芸人グランプリ2019」(フジテレビ系)で優勝。同年12月には初単独ライブ「パパプライド」を開催した。毎週土曜放送の「チルテレ」(BS日テレ)内のコーナー「ザ・マミィのコント肉一頭盛りキャバレー!!」、ネットラジオGERA放送局などに出演中。

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