木下惠介

キノシタケイスケ

1933年、松竹蒲田撮影所に入社。最初は技術部、1936年監督部に転じ、島津保次郎などの助監督につく。監督として、松竹の伝統に基づく庶民を描いた秀作を連発。日本初のカラー長編「カルメン故郷に帰る」(1951)や、「二十四の瞳」(1954)が代表的。1998年12月30日、脳梗塞のため死去。