松任谷由実|音楽で刻んだ2020年の記録

松任谷由実が約4年ぶりのオリジナルアルバム「深海の街」を12月1日にリリースした。世がコロナ禍へと突入した今春、ユーミンは制作と向き合えない精神状態に陥っていた。かつてごく短い期間だけ自ら音楽と距離を置いた時期こそあったが、今回のような閉塞感は48年のキャリアの中でも初の経験だったという。彼女はそんな時間とどのように向き合い、本作を完成させたのか? その制作背景から創作のフィロソフィーまでを聞いた。

取材・文 / 内田正樹

今記録しないでどうするの?

──本作の制作は初夏からスタートしたそうですが、今春のステイホーム期間はどのように過ごされていましたか?

4月、5月は家から一歩も出なかった。アーティストとしてはまったく機能していなかったし、何よりも人と自由に会えないことが本当につらかったですね。実は昨年から、次のアルバムは「SURF & SNOW」(1980年発売の10thオリジナルアルバム)の40年ぶりの続編「SURF & SNOW VOLUME TWO」にしようと準備を進めていたんです。

──そうだったんですか!?

近未来型の“脳内リゾート”をテーマに、部屋にいながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚を味わってもらえるようなアルバムにしようと。でも、そんなムードも新型コロナで一気に吹き飛んでしまって。

──そうでしょうね。そこからはどう過ごされていましたか?

プロデューサー(松任谷正隆)は新たな糸口を見つけようと、ずっと自宅のスタジオで打ち込み作業を続けていましたね。私は家事と自分の体のメンテをしながら、規則正しい生活のリズムを心がけつつ、CDライブラリーをアルファベット順のAから順に漁っていました。毎日、朝は2人でお茶を飲みながら音楽の話題や、そうじゃない話題もいろいろと話し合って。でも、6月になると、私はさらに強い焦燥に襲われてしまって。「今は音楽どころではない」「自分のクリエイティビティはここで錆びついてしまうのか?」。そんなふうに塞ぎ込んでしまうこともありました。

──これまでに同じような経験は?

いえ。デビュー以来、経験したことのなかった閉塞感でした。

──そこからどのように制作へと意識を転換させたのですか?

7月に入って、ライブラリーのLまでたどり着いた頃、無理やり自分を奮い立たせたんですよ。「今のこの思いをしっかり記録しておくべきだ」と。のちの世界史に大きく刻まれるはずの未曾有の年なのに、「今記録しないでどうするの?」と。何より、このまま音楽を作らないと、私はかえって心身をおかしくしてしまうと気が付いて。私にとって創作とは自分を見つめる作業だから、苦しくても自分を見つめなければ未来も見えてこない。まず自分自身を救済してあげないと、何も話が進まない。たとえ発狂のリスクがあるとしても、私自身のために、自分の奥底に深くもぐって何かをつかみ取りにかからなければと思って。

──なるほど。

逆にチャンスだと思うことにしました。来年だと、もしかしたら自分の危機感も薄まっているかもしれないし、もしくはもっと疲れてしまっているかもしれない。今このタイミングでアルバムを出すという行為そのものに、これまで音楽をやってきた自分なりの姿勢を反映させたかった。だから今年中のリリースにこだわって、自宅のスタジオでレコーディングを始めました。

──ご自宅のスタジオというのは、どんな規模感なのでしょうか?

16年前に作ったスタジオで、宅録レベルではなく本格的なレコーディングに対応する規模の設備です。当時、LAで訪れたスタジオを参考に、温かみのあるウッディなリビングの延長にコンソールがあるという感じ。崖の途中に建っている家の地下階にあって、一方が窓、三方が土に埋まった状態です。維持には苦労させられるけど、これを作っておいたのは松任谷(正隆)の先見の明ですね。当時から「これからは自分で発信ができなきゃダメだ」と断言していましたから。私の先見の明と松任谷さんの先見の明はいつもまったく異なる。でもそれがいいんでしょうね。

──制作は順調に進みましたか?

ときどき突き上げられるような不安に襲われ、泣きそうになる場面もありました。それでも年内中にリリースすることに強いこだわりがあったので、なんとかがんばれました。きっとこれから先も忘れない、思い出深いレコーディングになりました。

松任谷由実

この世の結界が壊れるような予感

──1曲目は「1920」というタイトルです。これは西暦でしょうか?

はい。今年の5月、私の母が100歳を迎えまして。調べてみると100年前の1920年(大正9年)とその前後の頃って、スペイン風邪とかアントワープオリンピックとか、この2020年との共通項がいくつも見つかって、そこからイメージが広がりました。

──ベル・エポックを経て大恐慌が起こる前夜、言わば“狂騒の20年代”ですね。

そう。歌詞に「ギャツビー」が登場していますが、フィッツジェラルドの「楽園のこちら側」(1920年出版)が昔から好きなので。

──演奏はベースとキーボードのみで奏でられています。

シンプルな編成だけど無心で聴いていたら冒頭のディレイから脳を刺激されて、音の隙間、つまりは“行間”からたくさんの情報が読み取れ、すぐに「アネモネ色」が見え、「振り子時計」の音が聴こえてきました。自分が存在しなかった時代を見てきたかのように描く。そんな行為に自分自身を追い込むことで、新たな扉が開けた思いです。

──続いての「ノートルダム」は、「1920」と連作のような関係性にあると感じられますが。

そうですね。この2曲を書き上げたとき、アルバムの全体像に明確な手応えが感じられました。ディストピアとユートピア、天使と悪魔が同居しているようなパリのノートルダム大聖堂は昔から好きな場所で。でも、去年4月の火災で消失してしまった。そのニュースを観たとき、悲しみと同時にとても不安な、なんだかこの世の結界が壊れるような予感に襲われて。そのときの思いを曲にしました。特に「重なる白骨を引き離すとき 砂になって崩れる」という歌詞は、自分でも究極のロマンティシズムだと思っていて。

──歌詞には今回のコロナ禍の状況も反映されていますね。

ヨーロッパ全体が喪に服しているような情景です。本当の意味でゴシックな描写を落とし込んだ、あまり類を見ないポップスが書けたという自負がある。アルバムの中でも1、2を争うお気に入りのナンバーになりました。パリはとても好きな街だから、また自由に歩けるようになるといいなという願いも込めて。早くあちこち旅ができるようになるといいですね。

プロデューサーからのお達し

──次の楽曲「離れる日が来るなんて」は、歌詞の「白い息が消える空 明(さや)けく星の光」というくだりがいいですね。「明(さや)けく」って、いい言葉だなって。

私もこの言葉が好きで、どうしても使いたかったの。ステイホーム期間中に「方丈記」「枕草子」「徒然草」といった古典を読み直していたら、今に通じる言葉や学生の頃の勉強で残っている言葉を見つけまして。そうした沈澱が曲に浮かんできたんです。制作の始めの頃は、ここを曲の出だしにしていたんだけど、プロデューサーと「青春のインパクトが感じられるようなフレーズで始めたいね」と相談しているうちに、「離れる日が来るなんて」という歌い出しが浮かんできて。「現し世(うつしよ)」とか「白骨」とか、どの曲の歌詞にも一番言いたい箇所がありますね。そう言えばよく「文学的」とか安易に言うけれど、たまに「文語だったら文学的なの?」「難しい漢字や四字熟語を使ったら話の筋道が通っていなくても文学的なの?」って意地悪を言って噛みつきたくなる(笑)。

──(笑)。ユーミンの場合は、「絵画的」と言われる局面が多かった気がします。

それを言われてきたのは確かに私くらいだったかも(笑)。

──4曲目の「雪の道しるべ」についてはどうですか?

「私に振り向いた影が 笑っているのだけわかった」というところがお気に入りですね。本当は影だけじゃ笑っているかどうかまではわからないはずなんだけど、それが影だけでわかるのがいいなって。「愛している」も「会いにゆく」も、世界中で何度となく歌われてきた表現だけど、文脈や用途で意味がまったく変わってくるし、1曲1曲、すべて違いますよね。言葉だけだと平易と思える描写も、メロディやサウンド、歌い方を伴うことでがらりと変わる。その好例のような曲だと思います。

──続く楽曲「NIKE 〜 The goddess of victory」で歌われているのはサモトラケのニケのことですね。

プロデューサーから「ギリシア神話をメタファーにしたような詞を書けないかな?」というお達しがあって(笑)。昨年の全日本スキー連盟のイベント(「LIVE SNOW & SNOW JAPAN PRESS CONFERENCE 2019」)で披露した、スノーエリートたちへの壮行曲です。歌詞に登場する「あの丘」のイメージはオリンポスの丘。もし「SURF & SNOW VOLUME TWO」を作っていたら、この曲と「雪の道しるべ」は収録していたんじゃないかな。

──アスリートの世界もショウビジネスの世界も、勝利の女神はいつも「おいでおいで」と手招きをするけれど、それはあくまで片道切符で。

そう。で、あとは何の責任も負わないの(笑)。だけど神に恋して、一度でも栄光を手にしてしまった者は二度と引き返せない。勝利の女神との契約って、つまりは悪魔との契約ってことなのよ(笑)。