YOSHI|日本のカルチャーに危機感抱く17歳の使命

YOSHIがPanasonicの完全ワイヤレスイヤホンRZ-S50WのCMソングとして書き下ろした新曲「VOICE」を3月20日にリリースした。13歳の頃にOff-Whiteのデザイナー兼ルイ・ヴィトンのディレクターであるヴァージル・アブローにそのファッションセンスを賞賛され、一躍ファッション界の重要人物となったYOSHI。モデルや俳優として活動する中で、昨年5月にアルバム「SEX IS LIFE」でVirgin Musicよりアーティストデビューを果たした。2020年第1弾、そして17歳になって初めて発表する作品「VOICE」を使用したCMは、3月下旬より全国で放送中。音楽ナタリーPower Push初登場のYOSHIは、自分の活動の原点となったというミニ四駆やファッションとの出会い、そして「VOICE」に込めた思い、CM撮影で使用した完全ワイヤレスイヤホンの使用感などを語ってくれた。

取材・文 / 清本千尋 撮影 / 伊藤元気

ミニ四駆とヴァージル・アブロー

──先程ロケで原宿を回りましたけど、お店から店員さんが次々と出てきて声をかけられていましたね。

中1の頃からストリートが好きで原宿に通い詰めていたら、気付いたらみんな友達になっていたんです。

YOSHI

──顔の広さに驚きました。今回は音楽活動に関するインタビューですが、まずYOSHIさんのルーツとして欠かせないファッションのお話を聞かせてください。ファッションを好きになったきっかけに、ミニ四駆があるんだとか。

はい。僕小学校高学年の頃にミニ四駆をやっていたんです。ミニ四駆のサーキットには年上の人が多くて、そこでどんどん友達が増えたんですよね。ミニ四駆友達でYohji YamamotoやRick Owensを着ている人がいて、カッコいいしおしゃれだなと思ってファッションに興味を持ちました。

──それでまず池袋のRight-onに服を買いに行ったんですよね。

Right-onでお母さんにMA-1をねだったんですけど、「その歳で高いジャケットを着るなんてありえない」って全然買ってくれなくて。3時間におよぶプレゼンの結果買ってもらえたんですけど、今はそのMA-1がどこにあるのかもわかりません。一生使いますってプレゼンしたのに(笑)。

──ミニ四駆を通じてファッションに興味を持ったYOSHIさんの人生は、Off-Whiteのデザイナーとルイ・ヴィトンのディレクターを務めるヴァージル・アブローとの出会いで劇的に変わります。

とあるパーティに行ったらヴァージルがいて。僕がOff-whiteのベルトを首に巻いたファッションでそこにいたら、ヴァージルが僕の写真を撮って自分のInstagramに載せた。次の日の朝にはInstagramのフォロワーが1万5000人になっていて、完全にライフチェンジングですよ。僕は当時ファッショニスタやインフルエンサー、ましてやアーティストになるつもりでは全然なかったのに、人生がガラッと変わりました。

──当時は何になりたかったんでしょうか?

どうなりたいとかは具体的になかったけど、世の中がつまんないなと思っていました。今流行っているものよりも、自分が生まれる前に流行っていたものやカルチャーに興味がありましたね。なんでかと言うと、僕はロマンが大好きだから。ミニ四駆っていくらでも改造したりできて、言うならばロマンの塊なんですよ。ミニ四駆を通じて何度失敗があっても、何事も突き詰めていけば絶対に成功が生まれると確信して、僕は我が道を進んでいって成功すべきだと思いました。

──ミニ四駆はYOSHIさんにとって原点なんですね。

絶対にそう。ミニ四駆から学んだことはかなり多いです。ミニ四駆はもう飽きてやらないし、毎年大掃除をするたびに邪魔だから捨てようと思うんですけど、捨てられないんです。今は、家宝として取っておこうかなと思っています。

昔のもののほうが面白いってみんなわかってる

──ミニ四駆は飽きてしまったというYOSHIさんですが、今はどんなことにロマンを感じていますか?

うーん、稼ぐことですかね。ロマンって言うならば無駄の塊じゃないですか。でも僕にとっては一番大事なことで。パテック・フィリップのノーチラスっていう800万くらいする時計があるんですけど、時間なんてスマホがあれば確認できるのに僕はそれが欲しいんです。毎朝時計を腕にかちゃっと付けることが好きだし、「やべえ時計してるじゃん」って人から言われるのもいいなと思います。

──なるほど。

YOSHI

今のファッションって、ファストファッションブランドがメインじゃないですか。そんな中でルイ・ヴィトンを買う理由……それはもうロマンでしかない。当時生まれていなかったから本当のところはわからないですけど、1990年代はデザイナーズブランド最盛期で、SupremeやAPE、HYSTERIC GLAMOUR、NUMBER (N)INEみたいなブランドが人気がありましたよね。ハイブランド、デザイナーズブランド、あとはリサイクルショップで買う古着みたいな感じだった。それにファッションがメインカルチャーで、そこをハブにしていろんなカルチャーが成り立っていたじゃないですか。今はファストファッションブランドがたくさん増えた分、個性がなくなってしまっているように感じる。もちろんそれが悪いというわけではないですけど。

──音楽ではどうでしょう?

つまり日本のファッションも音楽も商業的になってしまったということなんです。THE BLUE HEARTSには「青空」という曲がありますよね。今はああいう普遍的ないい曲が生まれにくくなっていると思っていて。それはハイブランドの新作より、アーカイブが売れる理由と同じ。つまりは昔のもののほうがやさぐれていて、カッコよくて、面白いってみんなわかってるからなんですよ。0から1にしたものが売れないのが今の日本。なんでかと言うとコンテンツがある程度出そろって安定を求めているからなんですよね。それに我が道を行くと苦労することをわかっているから。僕は矢沢永吉さんのライフスタイルが大好きで、それは彼が「矢沢永吉として過ごせる人生は1回きり」だとわかったうえで1分1秒を大切に生きている。そんな矢沢さんがメインストリームだった時代があったわけですからね。いい時代だったと思います。

我が道を進めばいい

──今回リリースした「VOICE」でも自分の好きなように生きてほしいと歌っていますよね。

はい。それはずっと僕が伝えていきたいことで、我が道を行くとめちゃくちゃ苦労すると思うけれど、1回きりの人生なんだから楽しく行こうぜっていうことなんです。だって安定を求める人生なんて、楽しいですか? 最近コービー・ブライアントも死んだし、世界で新型コロナウイルスが蔓延してて、人間はいつ死ぬかなんてわからないなと思いません? 今回のテーマは「明日、自分がどうなるかなんてわからないから1日1日を大切に生きよう」。これは僕の座右の銘の「死と狭間」と通ずるものでもあります。絶対に自分の人生に後悔したくないから、いつ死んでもいいように17年生きてきたし、これからもそうやって生きていくって決めているので。特に若い子たちには我が道を行くことの大切さを伝えたいんですよね。親に「学校に行きなさい」と言われて行くのも1つの正解なのかもしれないけれど、極端な話、自分の人生なんだからもし行きたくなかったら行かなくてもいいと思うし、学校に行く以外でやりたいことがあるならそれをやったほうがいい。ニートになりたいのであればニートになったっていい。

YOSHI

──好きなように生きろと。

そう。Instagramで「YOSHIくんはカッコよくて憧れます」とかコメントされることもあるんですけど、僕は憧れられたいんじゃないんですよ。だって憧れても君は僕にはなれないし、僕だって君のようにはなれない。僕からエナジーを受け取って、それで自分の人生の目標に向かっていってほしいんですよね。

──YOSHIさんの考え方はすごくフラットですよね。

というより、今の人たちって異様に腰が低いんですよ。悪いこととは言わないけど、形だけのリスペクトなんて必要がない。自分にもっと自信を持って自由にやったほうがいいと思うんですよね。大事なのは関わる人すべてにリスペクトを持つこと。それは年齢とか性別とか人種とか何も関係ない。だっていつ生まれるかだなんて自分で決められないんだから。もちろん仕事をやっている歴が違うとか、財力や権力があるとか、いろいろな尊敬する要素があると思いますよ。でもそれ以前にみんな同じ人間だから同等であり、リスペクトし合うべきだと思っています。

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YOSHIの音楽の原点